第二話 大争乱時代の幕開け
お目出度い縄のすぐそば、ど真ん中には、勇者印を置いてあった。
勇者のマイ座布団だ。
姑息にも、端を縄の真下に来るよう配置してある。
はみ出た綿を押し込み、あて布で塞いだりして大事に使っている。
お婆ちゃんが夜なべして縫ってくれたものだし、これがないと眠れないのだ。
「座して、待つべし」
勇者は座布団を丁寧にはたいて埃を払うと、腕を組んでじっと眺める。
さらにもったいぶって皺を伸ばした後に、ようやく座った。
思考力は落ち、動作は緩慢になる。
徹夜能力を駆使したため、犠牲にしたものだ。
(なあに、まだ三日目よ。目覚まし用の苦虫も備えてある。余裕余裕)
余裕ぶりながらも勇者は、陣取り合戦の前哨戦なんてもので、体力を浪費してしまったことに、内心ハラハラしている。
あれ、ちょっと前哨戦ってかっこよくね?
なんて逸れる思考を苦労して戻す。
そうだ、ここで弱みを見せれば、第二第三の杖男が現れるだろう。
だから勇者は、おくびにもださない。
徹夜能力使用中は、感情表現能力も衰退する。
心配しなくとも、おくびにも出なかった。
一安心すると、集中が途切れた。
そわそわと落ち着きなく辺りを見回す。
勇者の両隣にも、座布団が並んでいた。
あきらかに勇者の影響を受けた、便利アイテムだ。
それが一つの事実を示していることに気が付き、はっとした。
すっかり忘れかけていたが、勇者には同行する二人の仲間がいたのだった。
「ソレス、場所取りご苦労さん」
「ソレス殿、獣の如き咆哮が聞こえたようですが、何かありましたので?」
噂をすれば、ハ……いや、影。
「おお、よくぞ戻った!」
記憶から、その存在を滅しかけたことを知られまいと、殊更元気良く声を出した。
先に声を掛けてきたのは、勇者が初めてゲットした仲間だ。
ソレホスィの名を勝手にソレスと短縮して呼び始めたのも、こいつだった。
成人男性の平均身長よりは少し高いのが密かな自慢の勇者よりも、さらに頭一つは高い背。妬ましいほど筋骨逞しい肉体美を誇る――女戦士。
彼女は燃えるように赤く輝く(※日に当たった時限定)赤銅色の髪を、野放図に背へとたらしている。
名はタダノフォロワーダ・マヌアニミテ。
おざぶに二人が座るやいなや、先ほどの戦闘でのクールな活躍を語って聞かせた。
「ということがあったのさ、お前らが野グソ垂れてる間にな」
「ば、バカっ! お花を摘みに出かけてたんだよっ!」
「ええい近付くなタダノフ。俺様が小さく見える」
「妙な切り方で呼ぶな!」
勇者は、タダノフの怪力にも警戒していた。
体に合わせてあつらえた、通常よりも長めの剣は、槍と言っても差し支えない。
そんな長いリーチにバネのような俊敏さで攻撃されては、ひとたまりもない。
勇者はタダノフとの出会いを思い起こす。
故郷の雪山で行き倒れていたタダノフを拾った。
うっかり道に迷って、南方の国から大陸縦断を遂げたという剛の者だった。
あの時、餌付けに成功していて本当に良かった。
ここまでの道のりも、荷物持ち兼護衛として非常に役立ったのだ。
「野生が呼んでおったのです」
「誰だお前」
「な! ソレス殿ぉ貴方の忠実なる上に愛らしい僕をお忘れか!」
そうだった、こいつが勝手についてきた仲間その二だと、勇者は賢明に名前を思い出そうとする。
それは後回しにして、それなりに外見を説明しよう。
短い朽ち葉色の髪は、そのまま枯れ草を植えたようで、その下にのぞく鉤鼻は毟り取りたい衝動に駆られる。
痩せこけた貧相な体を、泥をまぶして天日に干したような色のローブで覆っていた。
傍らには常に、黒く分厚い巨大な本を抱えているからには、腕力は相当なものだろう。想像したくはないが、肉体のバランスは悪そうである。
しかしチンピラを片付けていたのを見たこともあった。なかなかの本使いだ。
と、そこまで詳細に説明したものの、名前はまだ出てこない。
「貴方の愛弟子であり、素敵な呪い師でもある、ノロマイス・ルウリーブですよ?」
そうだったそうだったと、勇者は自身の額を手の平で叩いた。
「うむ。忘れるわけなかろう呪術師よ」
「ま・じ・な・い・し、なのですうッ!」
呪術おっと呪い師は、懐から取り出したハンケチーフを、口の端で齧って悔しがった。
絶対にそいつを近づけるなよと、勇者は心で呟くのみだ。
勇者には、呪術の違いなど理解できないしどうでもよかったが、うるさいので話を誤魔化すことにした。
場所取りが最優先事項だと思い出させるのだ。
「誰にも邪魔はさせぬよ。安心しろノロマ」
「妙なところで名前を切るのはやめてください! 鈍重そうで失礼しちゃうではないか!」
(ええい、文句ばかり言いおって)
後は面倒臭いので聞き流しつつ、この奇妙な縁を不思議に思っていた。
この男は怪しげな術を使う。
例えば食堂が満席で、早く席を取りたいとき。
あるテーブルを通りすぎる際に、「あっ」と小さく声を上げて立ち止まる。
その席の人間にだけ聞こえるように。
そして実に気まずそうな顔で、ちらと横目で客の顔を見、己の指先へと視線を戻す。
そこには誰の者かも分からぬ、髪の毛が摘まれているのだ!
実に厭らしい精神攻撃ばかりを取り揃えている。
タダノフは力馬鹿、ノロマはトリッキーな手を使う。
(俺様は万能型だからな)
そう評しているのは勇者自身だけだった。
が、ともかくそう信じていたので、あまり認めたくはないがバランスの取れたパーティだと思っていた。
そんなこんなで、干潮時が何故か幾つかスルーされ――いよいよ運命の日が訪れる。
妙な蝶々を喉元にくっつけた男が、抱えてきた椅子の上に立った。
国から派遣されたイベント振興会会長だと挨拶をしていた。
「あー、お集まりのぉ~しょっくぅん! 幾日も長いことお待たせしました! お陰で露天商の売り上げはウハウハです!」
理由をつけて期日を延ばしたのは、目先の利益獲得のためだった。
「ぶ~!」
「ぶ~いんぐですか。聞こえんなあ! さてこれより、諸君のウハウハ心を満たしちゃうぞ! わくわく大争乱イベント、只今より開・催・ですっ!」
どこからか取り出した、両腕で抱えなければならないほどの大きな植木バサミが、縄へと向けられる。
勇者は目を見開いた。
腰を落として、爪先に力を込める。
後に並ぶ者達も、すぐに走り出せるような姿勢をとっている。
「今こそ、死力を尽くすとき!」
血走った目には、既に皮算用で一杯の妄想世界が広がっていた。
緊張に絶えかねて倒れだす者までいたが、誰も屍を振り返らず前方へと集中する。
「用意! せ~の、ぶちぃっ!」
ついに、輝かしい未来へと続く道は、開かれた!
勇者は華麗に飛び出した。
後続を大きく引き離すステップ!
着地とともに懸命に駆ける。
風のようにさかさか走る――地を這うような気分の完徹七日目の朝。
心臓が洒落にならない軋みに唸る。
良い子は決して真似してはならぬ禁断の技。
それは生命力を削って捻り出されるのだ。
「しかし負けられん! ソレホスィの名に懸けいでぅ舌噛ん……!」
勇者達の戦いは、まだ始まったばかりだ!