第十九話 神代の木霊
「おっふぁよう……」
翌朝、勇者城の表に、誰もが疲れの取れきっていない顔で現れた。
特に疲労が出ていたのは、勇者にタダノフ、そしてノロマの呪いを受けた三人である。
さすがの勇者も、日課の平地民を見下ろす儀式は、ほんの短い時間で終えた。
勇者は、覇気のない動きで朝餉の支度をしているコリヌ一行に混ざり手を貸した。
各々食事を手に石に腰掛けると、勇者はぼやくようにノロマに話しかけた。
「いやあ昨日は散々な目に遭った。どうだノロマにタダノフ、あのヘンテコな落書きは消えたか?」
「勇者さんの首には、まだ残ってるっすね」
行き倒れ君は、勇者の日課に付き合わされた腹いせに、昨晩の事は夢でなかった証拠を突きつけた。
タダノフとノロマも呼応するように頷いて続ける。
「乙女の柔肌に変な模様がついちまって憂鬱だよ」
「すっかり馴染んでしまったようですなー。俺の素敵なまな板にチャームポイントが増えてしまいましたよ」
タダノフは、歴戦の猛者らしくあちこちに傷跡がある。
普段から誇らしげにそれを掲げているのだから、今さら妙な模様もクソもないと思うが何か違うのだろう。
逆にノロマは呪いが成功したことが嬉しいらしく、自慢げだった。
呪いが成功しようとも、思った結果と違ったならば、ある意味失敗ではないかと勇者は忌々しげにノロマを睨んだ。
「おまけに、目の色も青いままですな」
コリヌも勇者達三人の顔をかわるがわる見た。
「でも、光はなくなったみたいっすね」
行き倒れ君が、状態の変化を追加した。
「ただの黒い落書きになっちゃったよ」
「俺もそうですな。落書きではなく魔術陣円ですが」
タダノフとノロマもそのようだ。
現象は、全員が同様の変化を見せていた。
勇者は珍しく、言葉少ない。
もっちゃもっちゃ食事を咀嚼しながら、ぼんやりと考えに耽る。
勇者だけでなく、全員がそんな感じではある。
(そもそも呪いは成功したのか? そうだとしても悪い方に成功しているかもしれんではないか)
そう勇者は不安に思ったりしたが、聞くとわくわくするものの、呪いのような眉唾な術を本気で信じているわけではない。
本気で心配しているのは毒の方だった。
すぐに変化が現れたのだ、指の傷口から怪しげな薬液を吸収したのが原因なのは間違いないだろう。
速効で急激な変化をもたらすようなものだったが、死に瀕してはいない。
通常は、変化が現れた時がピークであろう、と勇者は考えを繋げる。
(死ぬような劇薬ならば、今こうしてぴんぴんしてないだろうし、遅効性の毒物ならば見て取れる変化も些細なものであり、なおかつ日々投与しなければならないのではないか。しかし、一晩経ったがあれ以上の何事もない)
勇者は小心者能力を駆使した。
時に心配しすぎると、都合の悪いことは見なくなる欠点も備えた能力である。
しかし最も重要なのは、心安らかに過ごせることにあった。
(そうだな。再び勇者城をこの目にできたのだ。それでよしだ。うむ!)
気だるい気分が晴れて辺りに意識を向けると、ノロマがローブの前をはだけてタダノフや行き倒れ君に詰め寄っていた。
やばいやつに話しかけるのは躊躇われたが、一応は勇者の仲間ということになっている。
その行動を正すべく、嫌々ながら声をかけた。
「あぁノロマよ、朝からお盛んなのも結構だが、時と場所を考えてはくれまいか」
正気を失った者は、どんな行動を取るか分からない。
勇者は、いつでも避けれるような態勢をとった。
「ソレス殿……なんでやたらと警戒されてるので?」
「己がどのような状態か、考えてみることをお勧めするぞ」
勇者の意味するところに、ノロマだけでなくタダノフ達も嫌な顔をした。
「なっなんてことを言うんだよ!」
「うえっ朝から嫌なこと想像させないでくださいよ!」
「パンツははいてるから紳士だもん!」
ノロマはタダノフの拳によって、地面へとめりこんだ。
勇者も睨まれ慌てて言い訳をする。
「ゆ、勇者としてはぁ仲間の素行に問題があると困るのだよ! 早とちりしてすまんかった!」
ノロマは賢明に、落書きの意味についてあれこれと解説していたということだ。
「ですから落書きではなく、魔術陣円なのですからして」
「はっはっは、それならそうと初めから言わんか」
改めて勇者は、ノロマの丸い落書きを見定めた。
どんなに見入ったところで、とんと理解は出来ないのだが、あれこれと連想が弾む。
顎を片手で支えつつ、勇者は唸っていた。
連想で出てきたものの一つに、言葉がなかなか出てこないものがあったのだ。
(なんだっけ、のたうつような生き物といえばミミズ? いやもうちっとでかい生き物だったような……蛇、そうだ蛇に関する何かのような気がしないでもない!)
「むむぅっ思い出したぞ! こりゃウロボロスギ飴のようなのだ!」
勇者は子供の頃に食べた、細長い棒状の飴を思い出していた。
その黒っぽい飴は、甘さも控えめの素朴なものだが、貧相な村では十分に贅沢なお菓子だった。
それさえ何かの祝い事で一度食べたきりである。
「懐かしいっすね。子供の時に食べましたよ」
行き倒れ君を筆頭にコリヌ一行も頷いていた。
「なんだいそりゃ、どんな餌なの」
「なんと、ウロボロスギ飴を知らぬというのかタダノフ!」
心底可哀相だと憐れむように勇者はタダノフを見て首を振った。
「ちょっとばかりあたしの知らない餌を知ってるからって、むかつく顔するんじゃないよ」
タダノフは文句をつけつつも、心底悔しそうに拳を握り締めていた。
「はっはっは、その内開墾作業が落ち着いたら、皆に作ろうではないか」
「やったーさすがソレス。餌のことは任せたよ」
この中で、南方の国から来たのはタダノフだけである。
恐らく北方特有のお菓子なのだろうと勇者は思った。
ノロマは、勇者の口にした名に感心していた。
「あーなるほど。タダノフ殿、飴のことはひとまず置いといてですね。ウロボロスギ蛇というのは、古い杉の洞に住むといわれる神代の化け物です。伝承では、地元勇者が山に分け入り、そのおどろおどろしい大蛇を退治したそうですよ」
勇者の村や領内に伝わる伝承で、「勇者」と言えばこの勇者を指す。
意志だけは化け物を退けた鉄の意志を持つ勇者のようだねと、揶揄されつつ村の者に勇者と呼ばれ始めたのだった。
「ふーん。その蛇ってのも美味しいのかい」
「いや美味いかは伝わってませんが……ともかく、大蛇の胴の断面には、切っても切っても同じ模様が表れたと言われているのです」
「その通りだタダノフ。ウロボロスギ飴は、それを可愛らしく模した偉大な棒飴なのだ! 歯が折れるかと思うほど硬い。ゆえに、慎重に舐めなければならぬ難物よ」
食べた経験のある者は、懐かしげにうんうんと頷いた。
「だからあんま好きじゃなかったんすよね」
「乳歯が抜けまして大変でしたなあ」
飴のせいで過去へと話はそれかけていたが、ノロマは構わず伝承について話した。
「その大蛇のように、切った断面に同じ模様が出てくる飴なのですよ。ソレス殿は、その断面図に着眼されたわけですなー。言われてみれば、この魔術陣円もそのように見えなくもない」
「そうだろうそうだろうノロマ」
にこやかに話している勇者達に、タダノフが疑問を呈した。
「斬ったことないから知らないけどさ。蛇の胴って、骨と肉部分の二重丸が続くだけじゃないの? なんか当たり前の気がするんだけど」
「はっはっはっ。タダノフよ、それ言ったら伝説が台無しになるだろが……あああああっ!」
「ぎゃぴー!」
勇者が唐突に叫び声を上げたために、ノロマは石から転がり落ちた。
「い、痛いで、ござる……なんですか、近くで叫ばないでくださいよソレス殿」
「全くもう。それで、何の叫びだったのさ」
「ノロマの叫びのせいで忘れちゃったじゃないか!」
勇者はばたばたともがきだした。
喉元まできているものが出ないもどかしさは、当人にしか理解できない苦しみだろう。
「なんだっけな……もう一回ノロマを転がしてみるか」
「もう堪忍してくっおほおおおっ!」
勇者ははたと立ち止まって、拳を握った。
「おう。今の衝撃で思い出したぞ」
「衝撃を受けたのはノロマだろ。それはいいけど、なんなの?」
「いいじゃんこのウロボロスギ。かっこいいじゃんっ? 旗に描こうではないか!」
「おお、確かに領地を一目で確認できる旗印は必要ですな。自陣の旗が見えたときのあの安らぎは素晴らしいものですぞ!」
コリヌの顔が輝いた。
勇者はそんな体験はしたことがないし、したくもないので理解できないが、言わんとすることは分かる。
「どんな模様でしたっけ」
「ほれ、これこれこうだ」
行き倒れ君の疑問に、勇者はすらすらと地面に書いて見せた。
「ふうん。三つの腺が絡まってる感じ? 確かにこのマジュツ円ってのにも、似てるかもね」
タダノフはちらりと、胸元の模様を見て言った。
「ま、丁度いいではないか。決まり!」
その後は、コリヌ達ものりのりだった。
仕事をほっぽって、旗の形はどうするだとかで盛り上がったのだった。




