第百十七話 大黒柱
勇者が早朝から日課をこなしていると知ったトネィーリは、思い切って勇者に声をかけていた。
「岩場体操っていうのに、わたしもついて行っていい?」
「構わんが、おなごには厳しい体操だぞ」
ただの屈伸運動だが、その後に稽古がある。
そう考えたが、行き倒れ君はまだ無理をさせない方が良い。
稽古相手には出来ないが一人よりはいいかと、トネィーリに頷いた。
トネィーリが夜明け前に起き城へ向かうと、ちょうど外へ出てきた勇者が伸びをしている。
勇者は岩場に飛び乗った。
ふり向くとトネィーリがよじ登ろうとしているので手を貸し、引き上げる。
「どうだ、素晴らしい眺めだろう!」
自分が作ったわけでもないのに、勇者は鼻高々で自慢した。
「ほんとうに……雪だけじゃなくて、たくさんの色にあふれているね」
トネィーリの言葉に、不思議な気持ちになりつつ、勇者も眺めた。
冷ややかな気候に乾いた空気が、色褪せたような緑と土色を作る場所だ。
それでも白と黒といった故郷の村と比べればそうなのかもしれない。
唯一鮮やかな色を映すのは空だったが、冴え冴えとした色にも同じようで違いはある。
(そうだ、故郷のお引越し大作戦は、完遂したのだ)
暮らす苦労はこれからもあるが、これまで張り詰めていた気が解れるようだった。
しばらく景色を眺め、故郷から様々な思いにゆるゆると馳せていた。
早めに日課を終え、勇者はやること帳を確認しようと城へ戻ると、トネィーリもついてきた。
「どうだ、新しい棲家は。慌しく適当な家に適当に詰め込んでしまったが、仕事場が決まれば、合わせて振り分けなおすだろうから、また村長にも苦労をかけるな」
「移動したばかりだもの。みんな忙しいのも楽しそうだよ……その」
トネィーリは、少し言いよどんだあと、頬を赤らめて言った。
「わたし、こんな素敵な土地に……ソレくんと暮らせるなんて、嬉しいな」
勇者は、そういえば嫁にとお婆ちゃんらに無理強いされているのを思い出した。
可哀相にも施された洗脳を解いてやらねばなるまい。
しかし解除方法が分からなかった。
(お婆ちゃんを締め上げて口を割らせるなど不可能! ううむ、せめて俺様の方針でも伝えてみるとするか)
勇者には、心に決めたことがあった。
それは、一般のご家庭では推奨されることはない。
「嫁に来るのは構わん。だが、一つだけ言っておく。俺様は、一家の大黒柱にはなれない」
北の山中村の周囲は、黒々とした樹皮を持つ太い木に囲まれている。
雪崩などを警戒し、滅多に切り倒すことはしないが、村長宅の納屋や倉庫のような重要な施設には使われる丈夫な木だ。
大黒柱とは、それを一家で最も重要な働き手である主人を例えた言葉である。
要するに「俺働かねぇから」と言っていると同義だった。
勇者が言ったことはとても情けなく聞こえるものだったが、続きがあった。
「俺様は、一家だけでなく、この国の大黒柱となるのだからな!」
親指を立て、びしっと自分の顔を指差す勇者の顔は真剣そのものだ。
ここまでならば確かに、王様なんだから当然かと思えるものだ。
トネィーリも、話を聞いた時点で覚悟はしていたのだ。
しかし、さらに言葉は続く。
勇者は拳を握り締めて、聞き間違いのないほどの大声で明言した。
「俺様が生涯において最も大切にするのは――お城ちゃんと決めているのだよ!」
勇者は高らかに関白宣言をし、挑発するようにトネィーリを見た。
こんな調子では嫁のきてがないだろう。
「や、やっぱり城ぉっ!」
トネィーリはたじろいだが、負けじと拳を握り締め、気合いを入れなおした。
「そっそれでもいいです! わたし、頑張りますから!」
普段は下がった目尻がおっとりとした雰囲気をまとわせているトネィーリだが、今は眉根を寄せ、しっかりと勇者を見返していた。
(あ、あれ? 操られているようなふらふら具合ではないではないか?)
勇者もようやく、トネィーリの本気具合を理解した。
洗脳でもないなら、強引なお婆ちゃんに押し切られたのではと憐れんでいたのだが、それも無用の心配だったようだ。
力強く言い放ったものの、勇者は途端に気弱になり、困ったように頬を掻いた。
「そのぅ、俺様でよいのかね」
気まずそうに確認する勇者の声には、トネィーリを追い払いたいのではないといった気持ちを感じた。
トネィーリはそれに力を得て、はっきりと答える。
「もちろん! 小さい頃からソレくんしか考えられなかったの」
ダメョや村長さんらに押し切られたのではないと、トネィーリ自身の言葉で伝えたのだ。勇者も信じかけていた。
「だって、ソレくんしか歳が合う人いなかったし」
「それは俺様でなくても良かったということか!」
思わず指摘した勇者の手を、トネィーリはそっと握って引き寄せた。
「違うの。ソレくんと、わたししか居なかったってことが、その、運命みたいな感じがして……その相手が、ソレくんで本当に良かったって思うの」
トネィーリが顔を真っ赤にしながらも、懸命に伝えようとしてくれるのは分かった。
しかし勇者は、おなごに言い寄られたことなど一度もない。
どう接すればよいのか分からず面映かった。
ともかく、問題ないのならば、勇者が言えることはただ一つだ。
「なら、よろしく頼む」
トネィーリは満面の笑みを浮かべ、「はい」と頷いた。
その目には涙が浮かんでいた。
勇者は城から逃げ出した。
「ここまで逃げればよかろう」
勇者はレビジト村立て札前の休憩所にある椅子に腰をかけ、切り株のテーブルに紙束を置いた。
勇者が国を離れていた間に、届いていた書状に、ようやく腰を落ち着けて目を通す時間が取れたのだ。
コルディリーの町長さんからも、ご挨拶返しとお祝いなどの手紙が届いていた。
これは定期便を出したときに受け取ったようだ。
手下印が書かれていた。
次にノスロンドからの書状だ。
準備が整ったから近々に使者をよこすとのことだ。
「はて、準備とな」
不審に思ったのは、中央からのものが見当たらないことだった。
何かしらの報せがあると考えていただけに、肩透かしを食らったようだった。
来ないものを気にしても仕方がない。
ノスロンドの使者から分かることもあるだろう。
勇者は急ぎ、領内の整備を進めようと予定を書きつけていった。
ふと、トネィーリに言った言葉が思い返された。
勇者は己の家族は大切に思うだろうが、お城ちゃんが第一義だ。
それは何も、お城ちゃんの麗しさに目が眩んでではない。
(この呪いがなければ、国を護ること能わず。非力な俺様を許せよトネィーリ)
家族のため、国のためにも、勇者は何よりも城に心を添わせねばならないと決めたのだった。
◇◇◇
さて、ノスロンド王マニフィクの思いつきとはなんだったのだろうか。
それは間もなく訪れた使者によって明らかにされた。
「使者ってお爺さんか。ご健勝でなによりだ」
「ふっふん。まだまだわしもいけるじゃろ」
どうやら腰痛の頻度は減ったようたが、重い鎧は脱ぐことにしたようだ。
シュペールの、これが最期の無茶という心意気は本物だったらしい。
自ら馬に跨るのも止め、馬車に揺られてきたのだ。
近衛兵の顔からは、苦労性なげっそりとした影は消え、晴れ晴れとしていた。
シュペールに海向こうまで来るように要請を受け、勇者は海の道を渡っていた。
そこには、兵のみならず人や資材が押し寄せ溢れていた。
「こここれは、お爺さんめ計ったか!」
「おぅ落ち着くんじゃ、よく見ろ」
よく見れば、ほとんどは人夫といった一般の民衆だった。
「あの道も、良い景観じゃからのぅ」
「ノスロンド王も思惑は同じ、観光とそれにまつわる商取引かね」
マニフィクは、全ての問題の落とし所が解決する策がこれだと考えた。
町作り計画だ。
この地を撤退し、勇者が離れていた数ヶ月の間、マニフィクは計画を立て、中央とのやり取りをして忙しく過ごしていた。
中央は渋々といった体で、許可を出した。
わざと渋るのは中央の手口だから、許可が早かったのなら、概ね好意的に受け入れられたと見て良い。
ひと気がない荒野のために、中央はこのすかすかで広大な土地をひとまとめに、北方自治領として管理していた。
それは、あえてそうしていたのだろう。
しかし、もはやそれが許可しない理由にはならない。
中央への申請理由としては簡単だった。
他国との領境になったのだ。巡回では済まされない。
常に警戒するための拠点を置く必要があると伝えたのだ。
そうして、新たな拠点を築くために人が派遣されたのだった。
「どうだね勇者小僧よ! 町の名をパスルーとする。すいすい渡れそうで良い響きじゃろう。良しなに頼むぞ!」
「小僧ではないぞ、ぎっくりお爺さんめ!」
「ばっばらすでない勇者きゅん!」
「はっはっは冗談だ。それにしても、町を作るとはたまげたな」
シュペールは勇者の驚いた反応に満足し、近くにいた壮年の男二人を呼んだ。
「ほれ、こいつが領主で、こっちがパスルーの町長とする男だ」
「北方自治領を治めております。これからの取引は、この街を通じて行われることになります。どうぞお見知りおきを」
「パスルーとの実際のやり取りは私が表に立ちます」
二人と挨拶を交わし、勇者はノスロンドの思い切りの良さに感嘆していた。
「なるほど、そういうことか。ようやく飲み込めたぞ」
「にぶちんじゃのお」
「年の功には叶わないものだな。うむ感服した!」
「誰が爺じゃ!」
ノスロンドが、国境を超える関所の町としてパスルーを配し、トルコロルと取引を開始する。
それによって勇者を正式な国の王として、その独立を認めたことを行動で示したのだ。
身を切る痛い計画ではあったが、ノスロンドにも利はあった。
マニフィクが勇者へ示したのは、新興国との友好を深めるためといったことに乗じての、取引を半ば独占することなどだろう。
表向きにはそうだった。確かに遂行される事実でもある。
もう一つ、ノスロンドにある問題により、別の意味が加わる。
北部の各国内に広まる、中央への不満を解消することだ。
それには、前提がある。
中央は、主に北の人間を減らしたかった。
その理由が、争いで死のうが移住だろうが、北から流失すればよい。
確信したわけではなかったが、マニフィクとシュペールは壮大な喧嘩をした後に話し合い、ようやく中央の意図へと近付いた。
気が付いたのは、徴税官の、思い切りの悪い行動にもあった。
本人が領主として収まりたかったというだけには思えない。
恐らく、中央からの指示が関係していると考えたのだ。
真実がどうかはともかく、マニフィクはそれを元に計画を立てた。
中央に送られた町づくり計画提案書には、こうあった。
新大陸への拠点は不可欠であると。
物流や補給の拠点として必要となる場所だ。
しかし潮の満ち引き頼りであるため、時間が悪ければ手前の荒野に足止めを食う。
人が留まるような場所に、仕事を求めてくめような輩が増えれば、勝手に住み着いたり露天を開いたりといった治安の悪化を招く。ならば宿場町を置くほうがよい。
これで警備を固定し、強化する理由とした。
次に、取引の拠点ともすることで、最低限町を維持するだけの費用を捻出するということだ。
辺境だからと援助してでも維持しなければならないなら、ただの金食い虫となるし、今までと同じく巡回でよいということになる。
すでに、トルコロルと取引の計画はあることを記した。
これは皮算用だが、計画を通すための案である。
中央はノスロンドの国力を削ぎたい筈だが、消えて欲しいわけではない。
面倒な管理を丸投げできる場所は欲しいだろう。
海の道近辺の所有者は中央だが、依然として警備の管理はノスロンドだ。
したがって町を作っても、兵は出さなければならない。
さらにノスロンドは、町の構成員もノスロンドから出すと書いた。
中央が望む通りに、人を減らせるのだ。しかも町を任せるならば、能力の高い価値のある人員だ。
細かく書かれた理由付けなど、中央は気にも留めなかった。
読み取ったのは、いずれにしろ懐を痛めるのはノスロンドだけということだ。
国として認めるなら、関所は必要だ。
却下する理由がなかった。
そしてこの計画は、中央とノスロンド協賛という触れ込みであり、北にあった不穏な噂も相殺することとなった。
こうしてノスロンドは、民の間の中央に対する不穏な噂を諌めよ、という約束を果たすこととなる。
その状況を中央が受け入れたからでもある。
恐らくは、北を落とすだけよりも得な状況となったためだろう。
噂の出所は、はたして中央だったのか――定かではない。