第百十五話 民族大移動
納屋に連れられていった勇者は、村民が何をしているのかを聞かされ驚いていた。
「村を捨てる覚悟は決めた。ソレホスィ、皆を頼む」
そう言って、村長は勇者に頭を下げた。
いつでも出られるように、村の片付けと準備を整えていたというのだ。
勇者が到着したときは、運ぶものだけを村長宅に集めていたところだった。
頑固な者もいる。
簡単に説得が進むとは考えていなかった勇者は、安心したため呆けていた。
段々と喜びが増すと、勇者も頭を下げ返す。
「俺様のわがまま勝手な手紙で、判断してくれるとは。説得してくれたのも、村長さんなんだろう。ありがとう、村長さん」
「礼ならトネィーリに言え。この子が説得したようなもんだ」
「そんなことないです。決めたのは村長さんですし」
「そうか、助かったぞ。トネィーリよ」
村民が全員集まったところで、村長さんは移住先の詳細を求め、それに応じて勇者は話し始めた。
最も心配なのは仕事の有無だろう。新大陸の新領地や、用意した村や畑について説明した。
満足とはいえないだろうが、生活を送ることができる段階にあり、それぞれが暮らしながら整えていってほしいと、勇者は精一杯伝えた。
一通り伝え質問に答えたりしている内に、すっかり日が高くなっていた。
「すまん村長。やることがある。準備の続きを頼んだぞ」
行きたいところがあるからと、勇者は行き倒れ君を伴って崖の道を進んでいた。
断崖絶壁の中ほどに、わずかな段差のような道がある。
横這いで壁をつたわなければならない道だった。
「お、落ちる、落ちたら死ぬ! どうしてこんな崖っぷちに来るんすか!」
「何を言っているのだ。細いだけのただの道ではないか」
「細すぎるっす!」
「命綱を繋いでやっただろう。しっかり岩肌に張り付いていろ。ここだ」
勇者は足を止めると、晴れ渡る空と、眩しいほどの白い稜線をじっと眺めた。
冷えた空気が映し出す空は、やけに鮮やかで、それは美しかった。
行き倒れ君は、勇者の佇まいに不可侵な空気を読み取り、口を閉じて空へと目を移した。
さして自然の美しさなどに興味のない行き倒れ君でさえ、壮大な景色を息を呑んで眺めていた。
勇者が、勇者になりたいと強く願ったのは、突然の両親との別れという、覆しようのない現実が突きつけられたからだろう。
それは現在の勇者を作る切欠となりはしたが、実際に形作ったのは自分自身だ。
これからは誇りを持って、自身を信じて生きていく。
もう、勇者像に縋ることはない。
この崖は亡くなった両親の墓だ。
勇者は静かに、過去への別れを告げていた。
崖の道を戻らずに、勇者は先へと進んだ。
勇者が生まれ育った住処へ向かっていた。
谷のそばにあり、崖と木々が入り組んだ、人の気配など皆無の場所だ。
白い雪の中に忽然と黒い穴が現れ、獣がいるのではと、行き倒れ君は身が竦んだ。
「お婆ちゃんは、片付け上手だな。相変わらず自然によく馴染んだ玄関だ」
「は?」
行き倒れ君には、ただの黒い穴にしか見えないが、勇者は懐かしそうに入っていく。
慌ててついて入ると、暗く細い入口の通路沿いを縁取るような畑が続き、奥には垂れ幕が見える。
「ふふん、俺様を育んだ素晴らしい住居だ」
「まじ洞穴……」
「……なにか?」
「いえ、なんでもないっす」
勇者は、もう一度見ておきたいと思ったこともあるが、お婆ちゃんの荷物が目的だった。
お婆ちゃんのことだから、大したものはないからとそのままにしたのだろうと、納屋で会ったときに思ったのだ。
それは案の定で、衣類を収めた籠すらも置き去りだった。
「その辺にある籠の箱をまとめてこれで縛ってくれ」
「わかったっす」
勇者達が戻ると、すっかり出ていける準備は整っていた。
実のところ、長いこと国を空けていられる時期ではないとは承知していたのだ。
しかし、一旦動き出してしまえばますます苦しくなる。
無理を押して出てきた。
少しでも早く戻れることは、ありがたいことだった。
(何より、お城ちゃんが心配だ早く戻りたい)
焦れる気持ちを抑え、小心者能力を発揮する。
まだ、この場に問題が残っているのを察知していた。
「村民よ、村長さんを囲め!」
「はいな」
「なっなにをする!」
ぴんと来ていたのだろう。勇者の掛け声に、村民らは荷物の上に置いてあった縄を手に取ると村長さんを囲んだ。
「村長さんよ、自分だけ荷物をまとめていないだろう。そんなこと、誰だって見抜くぞ」
尊重はしまったといった表情を浮かべていたが、唇を噛むと苦々しい心の内をさらし始めた。
「それは……それでいいんじゃ。わしは、この村の村長だ。村と命運をともにする。それに、今まで追い出した者達に、とても顔向けができん」
勇者は村長の苦悩など知りはしなかった。
しかし意外ではない。
誰しも悩みや黒い歴史は存在するだろう。自分だけと思うと居たたまれないので存在していて欲しい勇者だ。
ともかく、そう思えば、優しい気持ちにもなれるというものだった。
「ふぅやれやれ村長さんめ。俺様が場所を用意はしたが、実際に村として機能するには、村民と村長が必要だろう――村長さんがいる場所が、村なのだよ」
「……わしの居る場所が」
村長は感じ入ったように、勇者の言葉を繰り返した。
「この、小僧っこが……」
村長さんは微笑み、その目尻は光っていた。
「というわけでだな、縄を外してくれんか」
「みなさん荷台に乗せてくれ」
「なんでじゃ!」
荷台からはらはらと様子を見守る村長さんを尻目に、他の村民らが村長さんの荷をまとめあげたのだった。
その晩は納屋で最期の炊き出しだ。
「ソレホスィ、もう一杯どうだね。ここで、もう一度お前さんに食べて欲しかったんだよ」
「やはりか。お婆ちゃんが作った味だと思った」
にこやかながら、どこか寂しげなお婆ちゃんを見、周囲を見渡せば同じ表情が目に入った。
皆が集まっているのにもかかわらず、やけに静かな食事だった。
辛いことの多い場所だったが、それだけに少しの良い思い出がなおさら輝いて見える。
そんな思い出に浸っているようだったが、それらに勇者と同じく心で別れを告げているのだろうか。
厳かな静けさだった。
◇◇◇
荷物がある分、苦労した旅だったが、ようやく海が見えたときには、やり遂げた満足感があった。
砂浜に踏み入ったとき、勇者の体の内に、力が充填されるような感覚の変化があった。
体が、呪いの範囲に触れたのだ。
それに、笑みが浮かぶ。
「勇者様が戻ったぞおおお!」
岸から叫ばれた伝言が、丘の方へと続きながら遠ざかっていく。
ほんの少し離れただけだというのに、懐かしい感じがしていた。
「なななんとおおっ! 勇者様がいっぱい! ありがたやー」
「族長も節穴さんか……」
「わーわー!」
「なっ、いったいなんだね。お前さん方は」
北の山中村村民らは、突然取り囲んだわーわー民に戸惑いながら身を寄せ合った。
怯えているようである。
わーわー民たちは、囲んで膝をつくと拝みだしたのだ。
「うむ。俺様も初めて見たときは奇妙に感じたものだ」
しかし話を聞いてみれば、謎の声にも理由があった。
元々は山間の草原で放牧をして暮らしていた部族らしい。
よく響く声は、家畜を追い立てたり、遠くの人間とやり取りするために、特殊な発声法を編み出したものとのことだった。
「世の中には様々な能力が存在するな」
声はともかく、独特の信仰概念を持つらしく、どうやら勇者は崇められているようなのがくすぐったくもある。
しかしあの様子ならば身代わりができたではないかと、ほくそ笑む勇者だった。
丘の上に登りきるや、どたどたと駆け寄る気配があった。
「おお勇者よ! よくぞご無事でえええ!」
「なにするっすぶっ!」
駆け寄る者へ向けて、勇者は咄嗟に行き倒れ君を投げつけていた。
「なんだコリヌか驚いたではないか」
「あいたた、いきなりひどいではないですか」
「こんな開けた場所で見間違いようもないっす!」
「すまんすまん行き倒れ。つい手が滑ったのだ」
「勇者様、素晴らしい制球技術です!」
「即座に道をあけた身のこなしは素晴らしいぞ護衛君」
「誰が球だ!」
タダノフとノロマも出迎えに走ってきた。
思えば、旅を共にしだしてから離れて行動するのは初である。
おお心の友よと勇者は手を振った。
「ソレス殿ーやっと帰りましたか。もう王様の身代わりなんか勘弁ですからして!」
「ソレスーお土産、餌は!」
勇者は、二人との挨拶は後回しにしようと決めた。
改めて勇者は、丘の仲間を村人達に紹介した。
全員がこの地で重要な役割を持つのだから、村民達には覚えてもらっておくためだ。
それから村長さん達を紹介した。
「北の山中村村長さんに、勇者お婆ちゃんだ!」
「なんだい勇者お婆ちゃんなんて。ダメョです。孫が大変お世話になっているそうで、本当にありがたいことです」
「ええー」
「なんだ、その意外そうな声は」
仲間達は、勇者そっくりで、がたいのよい老婆を想像していたが、小さく普通の年寄りだったのだ。いささか残念そうな響きも含まれていた。
コリヌが村長さんの前に出た。
「ああ、こほん。して村長、名をお伺いしてもよろしいか。村も幾つかあるものでして」
コリヌは、レビジト村と南開拓村に加えてもう一つ村ができるからと、呼び分けが気になっていたらしい。
「これは失礼しましたな。ノンビエゼと申します」
「そうですか、えっ」
「ダメョ殿は」
「ノンビエゼです」
「ですよね」
コリヌは困惑気味に、勇者と村長さんを見比べた。
「コリヌよ、北の山中村の者は全員同じ姓だ」
「そ、そうでしたか。ではノンビエゼ村長、立ち話もなんですのでこちらに」
「今まで村長だけだったもので、そう呼ばれるのは不思議なもんですな」
「そうだった、皆疲れているだろうし移動しようか」
移動しようとした勇者の尻肉が悲鳴を上げた。
「痛いよお婆ちゃん!」
「いちばん大切な紹介を忘れておいでだよ」
「誰のことを」
「きゃっ」
勇者のそばに突き飛ばされたのはトネィーリだった。
勇者は特に手助けすることもなく、勢いのまま勇者の腕に鼻をぶつけた。
「あのぅ勇者よ、そちらのお嬢さんは……」
「トネィーリだ。ただのお隣さんだいたたたた!」
「ソレホスィの嫁御ですよ。よろしくお願いします」
「ダメョお婆ちゃんったら! まだその、早いですし……!」
丘の上は静まった。
コリヌは気絶寸前だ。
「よっ嫁ってあの嫁? なんたらちゃんは俺の嫁とかいうのでなく?」
「コリヌよ、なんだそれは」
周囲から歓声が上がった。
「おおおっ王妃様ばんざあああい!」
「わーわー! わー!」
「え、おうひさま……?」
「こらわーわー民よ、おちつきたまへ」
しばらくもみくちゃにされた後、ようやく解放されたときには、さすがの勇者もぐったりしきっていた。
長旅で皆疲れているから落ち着くようにと話すと、方々に散っていた。
嫌な予感がしないでもなかったが、勇者は村人達を休ませることを優先した。
そうして城へは向かわず、コリヌが案内するまま、その裏手へと後に続いた。
「おう、帰ったか!」
小作隊長が出迎えたそこには、家々が建ち並んでいた。
簡易とはいえ、筍住居とは違い木造だ。
勇者は丘の上にできた家々を見渡し、感動に打ち震えていた。
そこには勇者が思い描いて書きつけていたものが、再現されていたのだ。
特に思いつかなくて誤魔化したところさえ、うまいこと形にしてくれていた。
「よく、ここまで短期間に……よくやってくれた!」
「へへん、お頭の覚え書きがよく出来てたからな」
「勇者様、小作隊だけでなくレビジト村もお手伝いしたのです!」
「族長も皆、ありがとう」
さっそく勇者は、疲れているだろう村人達を、家に入るよう勧めた。
割り振りなどは明日からでもいいだろう。
荷解きを任せて、勇者はコリヌの元へ飛びついた。
報告が色々と積もっているだろうし、勇者も気になっていた。
しかし、特に気になったのは、町に増えているように思えた筍型簡易住居である。
「コリヌよ、どうも町に人が増えた気がするのだが」
「ああ、そうでした! 移住希望者が訪れてましてな、しかも勇者をご存知といった者ばかりで、どうしたものかと留め置いているのです」
「俺様を?」
集まっていたのは、かつて勇者が転々とした町村で、縁のあった者達だった。
会ったというよりは、遭ってしまったといった感じだが、勇者が忘れ難い存在なのは確かだろう。
彼らの耳に、新大陸の独立するという話が届いたのだ。
噂と呼ぶには明確に、取引に関する報せがノスロンド内に出されていたのだ。
それは、争いはないから安心して商売しろと保証されたようなものだった。
そこに畳み掛けるような情報が入る。
率いているのが、あの勇者だということだ。
それで過去にあった勇者とのやり取りを思い出すと、頭に血の上る出来事も含めて、ふふっと笑みを浮かべてしまうのだった。
そして人々は己の店を見る。己の屋敷や地位や過去を省みる。
「あの坊が、いっちょまえに育ったか」
ここまで築き上げてきたが、これ以上の変化はないだろう。
「新たな町ってのも、いいかもしれねえな」
そもそもが勇者が気になるような物に関わっていた連中だ。
どこか変り種の気質を持ち合わせていたのだ。
彼らは話を聞くや移住を決断したのだった。
再会も嬉しい事だったが、勇者は海岸沿いに店を置く計画に打ってつけの人材が来たと喜んだ。
「今後もよしなになはっはっは!」
「相変わらず悪い笑いしてんなはっはっは!」
久々の竃会議で、コリヌらから報告を聞いた。
わずかに離れていただけで、様々なことが起こっており、とても晩飯後の一時で済む分量ではなかった。
勇者は翌日に時間を取り、話を聞いてまとめたことを、行き倒れ君にも手伝ってもらおうと見たのだが。
「もう、むりっす……」
「行き倒れ!」
行き倒れ君は寝込んだ。
倉庫の寝床に、勇者は薬や水を運んだが、唸らずにはいられなかった。
「行き倒れ種族とは、なんとも、ひ弱な種族よ」
「そっとしといてくれませんかね……」