第百十四話 故郷へ
勇者は、木屑を片付けながら、今し方まで働いていた成果を満足気にながめた。
ようやく、お婆ちゃん用簡易住居を完成させられたのだ。
「やっぱそれなりに時間がかかったっすね」
「そうだな。後は、手を借りるとするか」
「それがいいっす」
行き倒れ君の手は借りたが、自らの手でお婆ちゃん用の住居を用意出来た事が誇らしかった。
手紙は届いた頃だろうか。
大慌てで村長宅に集まり、集会でも開いているかもしれない。
そんな光景が頭が過ぎる。
「残りの住居建築を小作隊に任せて、その間に迎えに行こうかと思うが……」
「手紙で知らせるんじゃないんすか?」
行き倒れ君は少しばかり驚いたようで目を見開いた。
「移住希望者じゃあないからな。状況がはっきりしないところに、突然来ないかと言われても困るだろう。顔を付き合わせて説明しなければ、伝わるまい」
使者を出せば良いのだろうが、なんせ道慣れた者でなければ即遭難の危険がある山脈内だ。
勇者が直々に向かうほかなかった。
かといって到着してすぐに出られることもないだろう。
手紙が無事に届き、心の準備をしてくれていることを願うしかなかった。
さっそく、その晩の竃会議で議題とした。
「馬を借りるから、麓村までは時間はかかるまい。問題は山中の移動と、説得して荷物をまとめて戻る……そういったことを考えれば、二ヶ月はかかるかもしれん」
行きは馬で駆けて行くが、山中と戻りは歩きとなる。
全員分の馬や馬車を用意するのは無理だ。
馬は麓村に預けるつもりだが、戻りは荷を運ぶのに使う。
(どれだけの村民が決心してくれるかにもよるが……いや、決心してもらわねば)
半端な人数が残ることになれば、ただでさえ貧窮している村だ。
畑へ割ける人手が減り、すぐに立ち行かなくなる。
たとえ、恨みを買うことになろうとも、中途半端なことは出来ない。
「ううむ、長期間空けることになりますな。気懸かりは、ノスロンドや中央からの使者が訪れた場合なのですが」
「以前、不在時の対応係を決めたではないか。頼むぞ、王様代理コリヌ」
「そうでしたねって、王様代理ぃ! いえいえタダノフ嬢にノロマ殿もいらっしゃるではないですか!」
「愚かな、この二人に務まると思うのか」
「まさか思いませんとも」
勇者の横からふてくされた声が遮った。
「ソレスぅ、なんだかとっても失礼なこと話してる気がするんだけど」
「向いてないと分かってるなら、なんで俺は副王とやらにされたので?」
「たんに向き不向きの話をしているのだ。俺様が出ている間、この地を防衛できるのは、タダノフ、ノロマよ、貴様らだけなのだ!」
「防衛! なんだ分かってるじゃないか。そうだよ力仕事ならお任せってね!」
「俺は」
「ノロマは呪い係だ」
「おまじな」
「そう、それで結構!」
相変わらずだが、コリヌが指示してくれるならどうにかなる。
そういうことにして、勇者は旅の準備に取り掛かった。
荷を背負い、馬を借りて挨拶をすれば、突然コリヌが慌てだした。
「えっお二人で向かうですと! なりません、今や大事な身なのですぞ!」
「おや、話していなかったかね」
しかし、馬二頭を借りる時点で気が付いてほしいものだった。
コリヌはお供もなしに出るなどと、考えてもみなかったのだ。
勇者の非常識を舐めすぎだった。
「せめて護衛達をお連れ下さい。すぐに仕度させますから!」
「そわそわするなコリヌ。麓の人間には気難しい山なのだ。護衛君が三人とも倒れたら、俺様も遭難してしまう」
遭難と言われれば、二の句が告げなかった。
マグラブ領主時代に、出かけておくべきだったと後悔する。
「本当に、お二人だけで行く気ですか」
「行き倒れを数えなくてもいいぞ。俺様一人のようなものだ」
「お一人など、ますますとんでもないことです!」
「なら、お供は一人連れて行こう。ほれ行き倒れだ。これで二人だ。一人ではない」
「ぐぬぅ、子供のごとき言い草を。仕方がありませんな」
二人の無駄話の背後を、行き倒れ君は半目で睨むのだった。
「……役立たないのに俺は行かなきゃならないんすか。納得いかないっす!」
領民たちの心配する声を背に、勇者と行き倒れ君はお迎えに旅立った。
「いざ行かん、勇者を育んだ故郷の村。北の山中村へな!」
勇者はともかく、行き倒れ君は道中苦労していた。
旅慣れてない上に、乗馬も得意ではない。
「いったい勇者さんは、どこで色々と覚えたんすか……」
「ふっ、執念が見せた夢、かな」
行き倒れ君はおかしいよと揶揄したのだが、勇者は褒められたと思ったのか照れて妙なことをほざきだした。
本当に年下かよと、行き倒れ君は不思議でならなかった。
下働きしながら町を転々としていたそうだから、見識が広いのだろうとは思う。
一つの村に腰を据えていた行き倒れ君は、手下隊や屈強班を思い出し、違いを感じていた。
彼らを思えば、下働きの人間も捨てたものではない。
町村で暮らしている者達は、荒っぽい彼らを下に見ているような気配があるのだ。
「だからって、今さら点々と暮らすなんて、ごめんだけどな……」
「何をぶつぶつ言っている。馬は預けたし、山に入るぞ!」
行き倒れ君は、心底後悔していた。
「さささ、さむいというか痛い。いたいっす」
勇者も行き倒れ君も、全身に厚い敷き布を巻いていたが、それでも冷たい空気を遮るには至らない。
そもそも寒くなる季節に雪山に入るなど、正気ではなかった。
「ぬ、行き倒れ種族には厳しい道だったか」
勇者は特に何事もなく歩いているのだが、行き倒れ君はこれはやばいと覚悟を決めていた。
「いま、分かったっす。なんで勇者さんが俺達を行き倒れ種族なんて呼ぶか、ようく分かったっす。こんな場所で育った野生児に比べたら、俺なんか確かに貧弱な種族っす。それでいいっす。せめて人間でいたいっす……」
「ぶつくさ言ってる暇があったら、さかさか動いた方が身体は温まるぞ」
「わーってます。いきましょうさあいきましょう」
行き倒れ君は、震えながらもまだ死ねるかと勇者の後を必死に追った。
◇◇◇
「やれやれ、まだ午前中で助かったな」
呟きながら、北の山中村村長は、柔らかな雪の中をゆっくりと歩いた。
勇者から届いた手紙を、ダメョの住む洞穴に届けにきたのだ。
開封し一枚目を読んだ時点で、みるみる呆けてくるダメョの表情を目のあたりにし、村長も顔を険しくした。
今度こそ、悪い報せだと思ったのだ。
「そっ村長さん、大変だおおごとだよ!」
「落ち着いてダメョ婆さん、まさかソレホスィは……」
「生きてるよ! そうでなくて、引っ越さないかだって! ああ、どうしよう……」
生きてるという言葉に村長はほっとすると、引越しが気になった。
以前の手紙では畑を持って働いているとのことだった。
生活が安定したから呼び寄せたいということだろう。
「ダメョ婆さん、孫が来いというんだ。わしらや村のことは気にせんでええ」
この歳になって、村を離れるなど考えもしなかっただろう。
突然のことで気が動転しているのだと、ダメョを落ち着かせようとそう話しかけたのだ。
「違うんだよ村長さん! 村長さんもだよ!」
村長は困惑した。
「いやわしは」
「じれったいね、読んで! この辺だよ」
ダメョの取り乱し方が気になり、恐る恐る目を通し、そして叫んでいた。
「わしもか!」
二人は目を合わせると、できるだけ急いで村長宅へと向かったのだった。
北山中村では、勇者の予想通り、村長宅の納屋で集会が開かれた。
各家から代表を出すのではなく、全ての者を集めた緊急集会だ。
葬式でも全員がいちどきに集まることはない。
村民達は、何事かと興奮を抑えられずにいた。
「大変な話がある。心して聞いてくれ」
そうして村長が告げたことに、ほとんどが腰を抜かした。
「はぅえええええぇぇ!」
全員が、子供の頃の勇者を思い浮かべていた。
奇行しかない。
昔からとんでもない子だと考えていたが、あんぐりと口を開けたまま、言葉が出てこず、しばらくぱくぱくと口だけを動かしていた。
村長は、ソレホスィが領主になったと言ったのだ。
「こっ小作人どころじゃないな。おったまげた」
「領地を持っただって? 本当だろうね……」
「見栄なら、来いとまでは言えんだろうよ」
その後は生活をどうするか、向こうの生活はどうなるかと話し込んでいた。
一向に話はまとまらず、どんどん話は昔を懐かしむものに変っていく。
これでは時間が立つばかりだと、一人の若者が動いた。
「よいしょっと……村長さん、わたしは向かうべきだと思います」
爺婆バリケードを潜り抜けて前に出た若い娘は、真っ先に決断し、固い意志を村長へと伝えていた。
周囲は静まる。
「村長さん悲しんでいたでしょう。この村は朽ち果ててしまうのかって」
「そうさな……このまま朽ちていくのを待つだけ。それなら、ソレホスィが開いてくれた道に、賭けてみてもいいのかもしれん……わしは」
村長は、思わず顔を伏せてしまう。
これまで、村を出た者を非難してきたことが、村長を苦しめてきた。
ここに戻り辛くしたのも、自身の頑なさのせいだと考えてだ。
せめて「いつでも戻って来い」と言えていたら、出て行った者の何人かは伴侶を連れて帰ったかもしれない。
何度そう思い、後悔したかしれない。
これが、村長として最善を尽くせる最期の機会。
ソレホスィがくれた機会だと、村長には思えた。
村長は顔を上げ、村民を見た。
「わしは村長として、村を放棄することに決め、全員が移住することを望む」
自身以外の者だと、胸中で呟いた。
こんな自分までついていくのは、虫が良すぎるだろう。
◇◇◇
集会が行なわれた後、村民は収穫期以上に慌しく過ごしていた。
そんな中、勇者と行き倒れ君は、村の境界を踏み越えていた。
「どこが境目か分からないっす……」
「そこに印があるだろう」
明るい日差しの下だが、行き倒れ君には、どこもかしこも雪で埋まり、黒い幹を覗かせる木々の森としか映らない。
諦めて、ただ勇者の後を追った。
徐々に開けた場所や、道らしきものが見えてきた。
その先に、黒ずんだ木造の家が幾つか囲うように建つ、広場らしき場所。
「そこが村の中心地だ」
一応は、ぼろぼろとはいえ膝丈ほどの柵があり、今度は行き倒れ君にも境が理解できた。
家の存在に、生きた喜びさえ感じていた。
雪に穴を掘っての野宿は勘弁して欲しかったのだ。
帰りを考えて、既にうんざりしていた。
中ほどに辿り着くと、勇者は目を丸くした。
真ん中に建つ最も大きな納屋の周辺に、人が集まっていたのだ。
いつもなら、畑や狩りや、室内での仕事なとで、人を見かけることは少ない。
それがなにやら、荷物を納屋に運び入れている。
一人が勇者に気付いて飛び上がった。
「そっ村長さーん! 帰ってきた、帰ってきたよ!」
あれは豆畑さんだろう。麦畑さんに、蕎麦畑さんもいる。
「ほんとうだ、ソレホスィ!」
「おう村長さん。どうした皆さんおそろいで」
「ソレホスィかい、元気そうじゃないか……!」
進める勇者の足が一瞬止まり、そして走り出した。
「お婆ちゃん! どうした、何かあったのか!」
お婆ちゃんが村まで出てくることはあまりない。
しかも、昼からこれだけ人が集まる理由といえば、送別会くらいのものだった。
勇者は、また誰かが亡くなったのかと心配したのだ。
「そりゃあ、こっちが聞きたいよ! とつぜん引越ししろなんて手紙を寄越して!」
「へっ、じゃあこの集まりはなんだね」
そのとき、納屋の中からそろぞろと人が出てきた。
「ソレホスィ、お帰り!」
「手紙読んだよ!」
「まあ、大きくなって」
あっと言う間に、勇者達は村民に囲まれていた。
「うっわー……勇者さんがいっぱい」
「たわけた目だな。全く似ておらんぞ」
村人は全員雪のような白い髪をしていた。
一塊に集う人々は、遠目に見れば綿毛を持つ植物のようだろう。
なんとも不気味な光景だと、行き倒れ君が息を詰めていると、高く若い女の声が人垣の外から聞こえてきた。
「ちょっと、わたしも見たい。おねがい通して!」
白い人垣を掻き分けて、若い娘が顔を出した。
「そっソレくん! 本当に、ソレくんだ……お帰りなさい!」
他の者と違い、娘は楽しげというよりも、やけに親しげな笑顔で勇者を見上げていた。
勇者の村の者達は、麓の者達に比べて全体的に縦横大きめである。
しかし娘の背は村の者にしては低めで、頭のてっぺんが勇者の鎖骨辺りしかない。
栄養が足りてないのかと勇者は不憫に思った。
人垣が空いて全身が見えると、娘の笑みはさらに深まった。
「わあ、立派になったね」
勇者以上に真っ白に見える真っ直ぐな髪は、顎辺りの長さで切りそろえられている。
さらさらとした揺れは、首の細さを強調するようだ。
前髪だけが眉毛付近で切り揃えられ、大きな薄青い瞳がはっきりと覗く。
鼻梁は低めで一般的な美人顔とは言えないだろうが、すっきりとしており、より爽やかな印象を与える。
他の村人同様に、娘の鼻周りも雪焼けのせいか淡いそばかすが散っているのだが、それが冷たい色合いに暖かさを添えていた。
笑顔とあわせると、まるで雪の止んだ朝に、高台で日が昇るのを見たような温かみを湛えているのだ。
勇者は、娘を威嚇していた。
「何奴……!」
今や勇者も地位や名誉を持つ身。
見も知らぬ村娘が笑顔ですり寄るなど、碌なことではあるまいと警戒したのだ。
勇者が両腕を構えたとき、背後から不意に攻撃を受けた。
この、身体が覚えている攻撃――。
「いでっ! あにすんだお婆ちゃん!」
「馬鹿もんがぁ。お隣の娘さんのことも忘れたのかいこの薄情者。山を降りてお前さんの頭も地に落ちたのかねまったく……ぶつぶつ」
勇者は、つねられている臀部の痛みを忘れて目をむいた。
お隣といっても谷を越えた先だったから、そう頻繁に顔を合わせていたわけではないが、他に同年代がいなかったのだ。嫌でも存在は覚えている。
「なんと、トネィーリか。あの、お隣の洟垂れ小娘だったとは、いたいっお婆ちゃん痛いっ! 尻の肉がはがれるよ!」
「相変わらず、失礼な子だよ」
「やだあ、そんなこと覚えてたんだね」
トネィーリは頬をほんのり染めたが、どこか嬉しそうだった。
「たったしかに記憶にあるぞ、その頭。同じ髪型だろう」
「あっ伸ばすと仕事の邪魔だから、仕方なくって……」
目線を落として、トネィーリは頬の周りになびく毛先を指でつまんだ。
その仕草は、勇者が子供の頃から変っていない。
変ったといえば、つまむ指から菌糸のような鼻水が糸を引いてないことくらいだった。
「いや不思議なものよ。昔はキノコの笠を頭に乗っけているようだし、鼻水の胞子も飛ばしているはで不恰好だと思っていたが、今は首があるせいかよくお似合いではないかはっはっ痛いっ! 今のは褒めたではないかお婆ちゃん!」
「お前さんはほんっとうに無神経だね!」
「ダメョお婆ちゃんったら。わたし、そんなに覚えてもらえてるなんて、嬉しいな」
「トネィーリは病気かね、顔が赤いぞ」
周囲から笑い声が上がり、何故か村長がにこにこ顔で語り始めた。
「あれあれまあまあ、こりゃ良かったことだ。今じゃあ釣り合いのとれる年頃のもんが揃わんからのう。そりが合わなんだらお終いだが、お前さんらは運がええの」
「村長さんよ何を言っているのだ。まだぼける年でもあるまい」
「あたしの孫だってえのに、こんなに鈍臭いなんて信じられないよ!」
「もう、みんなしてからかわないで」
トネィーリは首筋まで真っ赤にして、顔を手で覆った。
「なんなのだ。訳が分からんぞ」
「よぉし、お客さんもいるし休憩だ。みんなを呼んできてくれ」
村長さんが声を掛けると、村民の数人は移動を始めた。
同じく呼びに出ようとしたトネィーリを、村長さんは止める。
「トネィーリはここにいてくれ」
「ほれ、ソレホスィ、手を繋いでおやり。昔はよくそうしてたろ」
「あれは山ではぐれないようにと子供への決まりごとではなかったか」
「久々だしええだろ、ほれ!」
「わっ分かったって! 意味は分からんがお婆ちゃんの命令は絶対なのだ。許せよ」
「あっ……」
勇者はトネィーリの小さな手を掴むと、追い立てられるように納屋へと向かった。
背後では、行き倒れ君が呆然と突っ立っていた。
「まじかよ……めちゃくちゃかわいいじゃないか……」
心の底から理不尽なものを感じずにはいられなかった。
「こんな、こんな勇者さんにだってあんな、めんこい娘がいるのに……くっ!」
拳を握り締めて打ちひしがれる行き倒れ君に、村長が朗らかな声をかけた。
「おぅい、あんたもこっちさ来い。温かいもん用意するぞ!」
突然に寒さが増してきた。心の寒さのせいでもある。
温かいものに釣られるように、ふらふらと納屋へ続く行き倒れ君だった。