第百十二話 呪いと共に
「うぼぇ……」
「はい、水」
「助かった、行き倒れ……」
勇者は丸一日眠っていた。
それを訝しく思いつつ、がんがんと痛む頭と胃をごまかすように水を呷った。
よろめきながら外に出ると、すっかり明るい。
しかし竃にはいつもの面々と、煮立つ鍋。
ちょうど朝飯の時間だった。
「おお、勇者よ。復活するとは安心しました。ささ野菜汁で栄養補給を!」
コリヌは緊張も解けたようで、朗らかに椀を差し出してくれた。
今までなら半日爆睡すれば目覚めたものである。
呪い効果で補助されているのは、疲労の感覚を軽減するだけで、実際の疲労は据え置きということなのだろうか。
(それともっそんなまさか! これがいわゆる大人になれば疲労が残るというあれなのか!)
急激な使用による心身への負荷――などと答えが返ってきた。
疑問は即座に解決し、勇者はわずかに渋い顔をした。
便利ではあるが、妄想の爆走街道がさびしげである。
(すぐに答えが分かるというのもロマンが薄れる気がするな……いや贅沢な悩みか)
勇者は竃の側に座って頭を抱え込みながらも、眠っていた間の報告を聞いた。
領民全員が、後片付けを済ませてくれたとのことだった。
毒茸の罠用竃なども撤去し、拠点作りで荒れた海岸沿いも均しなおした。
その辺は意外なことに、兵達が率先して片付けたらしい。
領民らが預かっていた武器を返すと、晩の道を渡って戻っていったそうだ。
南の開拓民も、手伝いが終わると、まとめ役ら数人を残して帰ったとのことだ。
「そうか。ん? みなみんはいるのか」
目が霞んでいるせいかと思ったが、竃周辺に姿はない。
「荒らされた勇者の畑を手入れしようと、村人達に混ざって出かけてしまいまして」
「まさかこんなに寝入ってしまうとは、なんとも心苦しいな……よし、もっと完徹能力を」
「それは鍛えなくていいっす。今後はますます規則正しくないと、仕事に響くっす」
「わ、わかっているともさ」
温かい汁を啜ると、徐々に痛みも和らいだ。
「しっかし、ソレス殿。ここが国になるとは、びっくりたまげたもんですなー」
「ぶふーっ!」
「ちょっと、噴出すくらいならその餌もらうよ!」
勇者は野菜汁にまみれた口元を手拭いで押さえた。
「く、国、くに……夢物語ではなく、本当に」
「勇者よノスロンド王と直々に話したではありませんか! 忘れないで下され!」
未だ、自称ではある。
しかし、ノスロンドは独立を認める表明として商談を持ちかけた。連合国傘下の一つでしかないとはいえ、国は国だ。
使者代理となった護衛隊隊長も、こちらの独立を前提に報告をまとめるはずだ。
中央への報告を待つまでもなく、既成事実は出来上がっていた。
「今さら青褪めないでくださいよ。周りが不安になるっす……」
「そ、そうだな。昨日、いや一昨日か。話し合いの情景がありありと脳裏に渦巻いてしまってな。ちょっとばかり驚いただけなのだ」
心臓が早鐘を打ち始め、ちょっとどころではない疲労が襲った。
(いかん、また寝込んでる場合ではない!)
椀を傾け、ぐいと残りを流し込む。
足がよろめいかないか確認しつつ、ゆっくりと立ち上がった。
「また会議といきたいが、まずは畑だな」
領民達を労い、植えなおしをしつつ、行き倒れ君やコリヌには被害状況の確認に走り回ってもらう。
そうして勇者たちは一日、領内の後始末に追われたのだった。
「早く片付いたのも、みなみんが手を貸してくれたからだ。助かった」
「慣れた仕事だ。苦労の内には入らねぇ」
南開拓村まとめ役は、口元には笑みを浮かべたが、目には慎重さが浮かんだ。
勇者にはその仕草に思い当たることはあった。
「加勢することで得があると踏んだのだろう。礼はするが、希望がありそうだな」
「……まあ、見抜かれてるわな」
まとめ役は居心地が悪そうに頭を掻いたが、すぐに姿勢を正した。
「国起こしなんてびっくりだが、まずはおめでとうといわせてもらう。俺達の村は目と鼻の先だ。属領に加えてもらえないか」
隣に立っていた使者の若者もしっかりと頷き、補足した。
「別の国を跨いで、連合国の領地となるのも大変な苦労だと思うんだ」
「といっても、結局あちらはどうしたいんだか分かんねぇがな」
言葉を継いだまとめ役の言わんとすることも理解できる。
「あんたらにとって特があるかは、正直微妙だとは思う」
「いや、そうでもない」
勇者は少し考え込み、それもいいだろうと即断していた。
「以前交わした取引の規模がでかくなるとでも考えてくれればいい。そうだ、干物だよ!」
保存が利く食べ物は、幾らあってもいいのだ。
手紙のやり取りについては、決めたとおりの干魚の量で取引する。
その他、属領としての税については、作物でもなんでもいいが収めてもらう事になる。
これは定期便を安定して送るのに必要な物資を調達できると考えたからだ。
「そして干物を増やす目処が立ったなら、余剰分を買い取ろうではないか」
勇者の申し出に、まとめ役らは驚いた。
本来なら、半分を寄越せといわれてもおかしくないのだ。
「しかし、それではあんまりにもこっちが」
「こちらの海岸や現状を見ただろう。あと数年は海にまで手を回せそうもないのだ」
「でもあたしは海の餌たべたい!」
タダノフの率直な感想がすべてだった。
「そういうことだよ、みなみん君! はっはっはだ!」
「はは、参ったな。敵わねぇや」
高笑いしつつ握手を交わし、これで決まりとなった。
まとめ役といえど、勝手に決断してしまったのだから村に戻れば大変だろう。
しかし、あの血の気の多い若者が「必ず説得する」と約束した。
もちろん、困りごとがあれば勇者は彼らに手を貸す責任を負う。
しかし、幾ら中継地として盛りたてたいといえど、徒歩数日圏内の集落を連合国に押さえられるのは、あまり良い気分ではない。
「道作りも急いだほうが良さそうだな」
彼らを送り出すと、竃には以前の空気が戻ったような気がした。
「勇者よ、人心地ついたとはいえ、未だ疲労は残っているでしょう」
「それは、コリヌらもだろう」
「ですから、今晩は早めに休もうではないですか。大事な話はまた明日にしましょう」
コリヌの提案は、穏やかながらも促すようだった。
「いいだろう、今晩のところは見逃してやる」
何をだとは誰も言わず、各々が引き上げ、勇者も大人しく提案を受け入れることにして城へと戻った。
干草の寝床に横たわり、薄暗い天井を見上げる。
「しかし、なんとも不思議なもんだな」
勇者はお城ちゃんを見回した。不埒な意図はない。
正確には、お城ちゃんを基点とした空間だ。
誰の目もないので、思うままに首の模様へと意識を集中してみたのだ。
「幸運を呼ぶおまじない、か」
本来は対象を問わず、誰にも少しの運が巡るよう編み出された呪いということだ。
それがなぜか、年頃の娘御が特に興味を示すようになったという、些細な呪いだった。運とはいうが、そんな曖昧なものではないからだという。
ノロマが言うには呪いはもっと具体的だそうだが、それらを自身の胸に問えば肯定の意が返る。
この幸運というのも、その時に呪いを受けたい者の中に願望が明確である必要があるとのことだった。
たとえば、商売がうまくいくようにだとか、健康になりたいといったことだ。その内容も、できれば店がどのくらい大きくなるまでだとか、一日働けるようにだとか、そういった細かな希望が必要だという。
人によって効果がないというのは、なんでもいいから良いことが続いて欲しいなどと漠然だからだそうだ。
これは強く願おうが、誰もが幸せに、世の中が平和になどといった大まか過ぎることも含まれる。
明確な結果を伴わないからだ。
誰の幸せも、平和も、人によって形は違う。
だから逆に、年頃の娘が『恋が叶うおまじない☆』などといって持て囃す時期があるのだという。
そんなことを延々と聞いたところで、呪いの歴史を知っただけであり、勇者に本質の何が理解できたわけではなかった。
ノロマがどこからか集めてきた呪いの一つなのだから、遠い昔から何かしらの効果が認められる方法ではあるのだろう。
その元祖ノロマともいうべき誰かが、呪いとして不思議な現象を起こす手順を体系化したわけだ。
時と共に無駄に洗練したこの呪いに、ノロマが効果を高めるという呪いだかを取り込み、そこにうっかり勇者が人の意志だけでなく媒体となる体を与えてしまった。
多くの要素が絶妙に交わり、本来なら損なわれた手順によって失われるだろう効果を、別の形に発揮してしまったのだ。
試行錯誤によって成り立たせたのではない。奇跡的な偶然が起こったのだ。
元の呪いからすっかり変容し、別のものが完成してしまった。
思うに、それはやはり、隕石とやらの影響が多分にあるのではないかと勇者は思っている。
(それに、これは唯一無二のものだろう。恐らく、再現不可能な類のものだ)
なんともうまく言葉には出来なかった。
この呪いがかなりの飛躍、進化を遂げた一方で、原始の力と結びついたものだと感じられたのだ。
時の流れで言えば、現時点を基点として、始まりの過去から未来の時を繋いだ。
そんな力強く途方も無い場が、この地に現れたのだ。
うまく言えないのは、そのことを考えると混乱して頭が痛いからだった。
勇者の頭が処理するには、未知の概念が多すぎた。
ようするに、呪いを体系化するような要素の一つではなく、それらを作る側。
効果を及ぼす要素そのもの、それら全てを生み出す側にまで進化したのだ。
防御に特化するということは、全てから守ること。
いかなる場面にも対応できるよう、全ての手法なりを備えていること。
時が流れれば、危機の概念も変化する。
それらの知識を蓄え、分析し、新たな危機へも備え続ける。
未知の問題に対応できるような手順化をもだ。
この機構を安全に運用できるよう、鍵も三つ用意している。
全ての呪いを起動する勇者と、補助機構のタダノフとノロマだ。
膨大な仮想領域に触れる力も、一人で好きにはできない。
出力を安定させるために、補助機構を起動して初めて供給できるのだ。
やたらと言いふらすことでの危機も考え、全てへの操作権限を持つのは主軸である勇者のみ。
そして、全ての機構を把握制御し、蓄えた知識を取り出せるのも主軸のみだ。
勇者は一つの国となり、独立してやっていく。
辺鄙な場所だが、連合国らとの関係は続くだろう。
本来ならば、動揺は大地の精霊王をも脅かす地震となって、人々を恐慌に陥れるはずだ。
それが、こうも落ち着いて受け入れられるのは、呪いのお陰だった。
人のように休む必要も無いもの。
計り知れない優位性を持つ、機構だ。
これがある限りは、国を保っていけるだろうとの確信があった。
「ふむ、国か。最も重要なものをこさえておこうではないか」
勇者は休めと言われたことも忘れて起き上がると、木箱の前に座り込み、紙を取り出した。