第百八話 決着
無力化開始――合図と共に飛び出した勇者勢は、混乱した兵の中に飛び込んだ。
「武器を取り上げろ!」
「おぅっす!」
全員が毒にあてられたわけではない。
竃周辺で焼き毒茸に夢中な兵達を無視し、正常な意識の残る者達に向かう。
意識のある兵には、勇者らが積極的に行動不能へと陥れていき、他の者達は武器を拾い集めていく。
「気を抜くな! 毒の効果は動きが無秩序なだけで力が削がれるわけではない!」
力の制限は利かなくなるようだが、掴みかかられても振りほどくことはそれほど大変ではない。
意識があちこちに向くようで、ずっと掴んでいられないようだからだ。
しかし、痛みにも鈍感になるらしく、いつまでもふらふらと動き回るから用心が必要なのだ。
戦力はともかく、人数なら領民の方が多い。
早いところ武器を回収すべく、集めては手渡しで、後方の戦闘外の領民達へと届けていった。
煙に巻き込まれたノスロンド兵の中に赤いマントが見当たらないと思ったら、竃の範囲を抜けて、やりあっている姿が目に入った。
マニフィクと近衛兵らが、シュペールと数人の近衛兵とで対峙している……のだろうが混戦している。
「おお、あの爺さんの近衛兵だっけ、優男だと思ってたが意外とつえぇな」
槍などを回収しながら、屈強班長が呟いていた。
勇者も兵へと指突きしながら、ちらと確認したが、ほんの四人ほどで王側の近衛兵十数人と渡り合って見える。
とはいっても同じ鎧なので、どちらがどちら側か定かではない。
勇者は中央の兵達に意識を戻し、仲間に注意を促した。
「撤収!」
すぐさま周囲を見渡し、片付いたのを確認すると、全ての領民らには下がるようにと叫んだ。
急ぎざっと目に付く武器を拾っただけで、衣服の内にある短剣などはそのままだ。
それでも、槍などの距離を取って攻撃される武器がないだけで幾分とましな気分である。
幾ら声をかけようとも混乱しきった場はどうにもならなかったのだろう、徴税官は歯を食いしばって、竃腺の端に佇んでいた。
勇者はすかさず走るも、距離をとって足を止めた。
「これで、話ができるだろう?」
勇者は挑発するように笑みを浮かべて言ったのだが、警戒しきった徴税官が前に出てくることはなかった。
逃げはしないが、怒りも過ぎたのか、また落ち着きを取り戻したように見える。
しかし周囲を窺うような気配もない。
ただ、全てを氷らせるような冷たい目を向けてくるのみだった。
(うっわーめちゃおこー……)
勇者は、どうにか話し合いの席につけなければならないと焦った。
「タダノフにノロマにその他君、ご協力ありがとう! 下がっていてくれ!」
「ええーなんでさ」
「その他君って!」
「わかったっす……」
必死に頼むと念じながら睨みつけると、渋々と全員が周囲の領民達と固まった。
「何か策があるらしいから落ち着いて見てるっす!」
行き倒れ君が言い聞かせると、皆も納得してくれたようだ。
(そんなものは、ないがな!)
ともかく、勇者はまた一人になり、援軍のない徴税官と睨み合う。
「これでどうだ。俺様は一人だし、もう罠はない!」
話しながら、足を踏み出す。
護衛の兵が身構えた。
(この毒が効いている間も、記憶はある。なるべく多くの者に話を聞いてもらわねばならん)
勇者は周囲の気配を探った。
竃周辺では茸焼きを貪って蠢く兵達。
食い終わった兵が他の者から奪おうと掴みかかっている。
全てを食べ終えたら周辺をふらつきだすだろう。
(お城ちゃんよ、やつらの毒を弱めるか、足止めができるか)
可能――地面に足を固定するといった返事があった。
即座に実行すると、ふらつく兵達がその場で動きを止めてもがくのを確認した。
勇者の背後で、うげぇと聞こえたのは行き倒れ君の声だ。
ちらとふり向くと、青褪めて「首!」と口を動かしているのが見える。
「ぬ、そうか今の呪いは、場に働きかけるもの。模様を通すのか……」
他の表情も確認すると、不思議そうに首を見ている様子だが、騒ぐ気配はない。
恐らく、先ほど策があると言ったことがこれかと納得している風だった。
ならば問題ないと、勇者は慌てて前方に視線を戻す。
徴税官の後方にも動きがあった。
気を失わせたと思っていた中央の兵の一部が、示し合わせたように立ち上がり、徴税官の方へと走り寄ったのだ。
さらには、煙をまぬがれて退避していたノスロンド兵。
彼らは王と任務のどちらに従えばよいかと動きあぐねていたが、こちらに動きがあるのを見て、目標を定めなおした――徴税官の側に回ったのだ。
徴税官もそれに気づいたが、もう優越感に満ちた笑みすら浮かべなかった。
ただ、口を開いた。
「話し合いは、終わったと言った。度重なる蛮行の数々。もはや酌量の余地などない」
不穏な感情しかこもっていない声だった。
その声音に冷たい汗が背を伝う。
勇者は書簡にて約束した通り、ノスロンド兵に攻撃は加えず、武器に触れることすらしていない。
(王様の血で血を洗う親子喧嘩はいつ収まるのだね……困った兵達が紛れてしまったではないか)
徴税官の合図で、護衛の兵が前に出た。
「いつまで、悪あがきで何の罪もない民や兵を煩わせるつもりだ」
勇者は歯噛みした。
こうなれば仕方がない。
首の模様は、領民達を向いている。
(ならば、いっそ堂々と呪いを解放しようではないか!)
勇者は徹夜五日目だというのに、体調だけは絶好調だった。
寝ずに異様な集中力を発揮し続けた目は充血しているが、目はともかく口元には笑みが貼りついている。
それでも、呪いによって万全に動けると確信していた。
今ならなんでも出来る気さえしていた。
「そうだ、良い案ではないか。お城ちゃんを、本物の城にする。ならば本物の王様に、俺様は成り上がればいいのだ……」
突然の思いつきに、勇者は目を伏せた。
貼りついた笑みが、本物の笑みに変わりつつあった。
精神的には、やはりちょっとばかり、徹夜は害を及ぼしていたのかもしれない。
「ぶつぶつと文句を言っても始まりませんよ」
気が付けば距離を詰めてきていた徴税官を、勇者は顔を上げて、真っ直ぐに見据えた。
待っていろ、お城ちゃん――その意気込みを、首の模様に向けた。
勇者は、進み出た。
力強い足取りだった。
「俺様は、独立し、国を作る」
平地を真っ直ぐに、海側に相対する徴税官たちへと、一歩、また一歩と近付いていく。
「初めからそう言っただろう。今さら本性を現して謝罪しようにも、もう遅い」
徴税官は苦笑を浮かべ、声を高めた。
追い詰める策が成功し、ここにきてようやく、そうしなければならないと思考が誘導されたのかと考えたのだ。
自棄になってだろうと、あえて乗ったのだろうと構いはしない。
勇者が自ら、公に口にしたという事実で十分だった。
勝った――徴税官は、確信していた。
声は勇者の元だけでなく、背後のノスロンド兵まで届いているだろう。
周囲にも話を聞かせ、気分を煽ることも大事なことだ。
徴税官の声が届いているはずだ。
しかし勇者は、その内容に関心を示さなかった。
「そうだとも、貴様がそうお膳立てしてくれたのだ。礼を言うべきだろうな」
なぜか勇者の声は、徴税官だけでなく背後の兵達すべてに届いていた。
兵の間から、緊張に喉をならす音が上がる。
「ふふ、人のせいにするとは……」
徴税官は異様さに気が付いたが、ようやく手に入れた言葉の前に、動くことは出来なかった。
これ以上、態勢を崩されるわけにもいかなかったのだ。
取り囲む兵達は、数でも装備でも圧倒している。
向かってくるのは、もはやただ一人だ。
だというのに、怯み、動揺が走る。
少しずつ近付く姿は、体を巨人のように思わせる異質な存在感さえ放っている。
息を呑み、それでもその姿から目を離せないでいた。
勇者は、淡々とした声で話しかけた。
「新たな国、王が誕生する場だ」
何かがおかしい――そう、誰もが感じていた。
勇者の言動にではない。
「立ち会える栄に浴する諸君らは、ただ、平伏せばいい」
勇者は一言も叫んでいない。
にも関わらず、重く響く声は、隅々まで届いていた。
まるで直接胸元に語りかけられているように。
相手の空気に飲まれるのを阻むように、徴税官はさらに声を上げた。
「異常者が……これで、はっきりしたな! 何を見ている、行け、反逆者を捕らえろ!」
徴税官の叱咤に、己の職務を思い出した兵達は隊列を揃えた。
中心の先頭を徴税官の護衛兵が固め、両側から挟み込むようにノスロンド兵が並ぶ。
「進め!」
内心では進んでは駄目だと思おうとも、馴染んだ武器が、防具が、並ぶ仲間の動きが、そして指揮の声が、彼らの感情を殺し背を押し出した。
獣の咆哮が上がり、前列の護衛兵達が槍を構えて突進する。
勇者は、もうそこまで来ていた。
「ふふははははは! どうしたね、悪辣官。ほっ! そんなもんか貴様が使役する力は! へゃっ!」
勇者はさかさかと右に左にと避けながら、兵の突き出す槍の隙を縫う。
「ばかなっ!」
整然と並んだ槍の壁だ。
そこへ突っ込んでくるだけでも尋常ではない上に、突きだされた穂先の狭間を縫うように入り込む。
そうかと思えば、挟み込まれる前に躱し、背後に擦りぬけていた。
慌てて方向転換するも、後列との距離はそう空いているわけではない。
勇者は敵陣の真っ只中に移動したことになる。
徴税官は素早くノスロンドの隊列まで下がっていたが、潜り込まれたのだ。ぶつかり合いを覚悟した。
兵達は殺気立って叫んだ。
「蜂の巣にしてやる!」
それは少しでも気を抜けば、己の身が危ないといった恐怖心からだった。
これだけの動員だ。
生け捕りで済むはずだった。
もはや誰もが、平常時ではないと、頭を切り替えていた。
戦場と化した場に、気の抜ける声が響く。
「ここらで決着をつけようではないかっとぅっ!」
勇者は跳んだ――両腕を振り上げて、宙へと真っ直ぐ伸びる。
一瞬のことだった。
だが、時は緩やかに流れたように、敵も味方も空を見上げる。
徴税官だけを狙って進むと考えた兵達の行動は遅れた。
対応できなかったのは、それだけが理由ではなかった。
目にしたのは、人並みはずれた跳躍力だった。
頭上の上まで高く、空中に伸び上がり、海老反りながら回転する勇者。
あんぐりと口を開けつつも、並んだ敵兵は槍を突き上げようとする。
一回転し、勇者の笑顔が天を向く。
鈍い時の中で、悠々と、勇者は地上の間抜け面たちを見下ろす。
目も口もまん丸と開け、必死の形相で、勇者を串刺しにせんと槍を振り上げる腕に力を込めている姿を。
自然と口の両端は上がった。
ここだ――勇者はすかさず、しゅぱっと顔を傾げる。
沸騰した鍋が湯気を噴出すような勢いで、まばゆい光が勇者の歯へと集まっていく。
顔を覆うほどの、煌々とした、白く丸い塊。
それが、弾けた。
滝が岩を叩き跳ねる水飛沫のように弾けた光の破片は、筋を作り地上へと降り注ぐ。
「ぅぐわはあああああっ……!」
次々と武器は手から落ちていく。
兵達は顔を覆い、頭を押さえ、振り絞るように涙を撒き散らした。
頽れる兵達の傍に、勇者はすとんと、着地していた。
地面から立ち昇る呻き声の狭間を抜け、勇者は歩く。
勇者が目指して歩いていく先にいる男――徴税官は、布で顔を覆っていた。
以前の微笑み攻撃で対策を立てていたのだ。
しかしとっさに覆ってすら眩しさを遮れなかったのか、瞬きを何度も繰り返している。
徴税官が視界を取り戻し、顔を上げたそこに、勇者は立ちはだかっていた。
「な、な、なっきさま、この、ばけものおぉ!」
腰を抜かし、尻餅をつく徴税官が後ずさる度に、勇者は笑顔で距離をつめる。
なるべく歯を見せないようにしていたが、口の隙間から光が薄く漏れ出ていた。
「あぁっ、あの技はいつぞやの白昼夢で垣間見た、微笑み集光拡散砲では!」
「なんでだろ、あたしもそれ見た気がするんだけど……」
遠目からでもよく見えた光景だ。
タダノフとノロマは顔を見合わせた。
あの妄想も、勇者を心配した二人に、呪いが見せたものなのかもしれなかった。
白昼夢との違いは、勇者が世の破滅でなく、未来を守るために攻撃を放った。
そのことに二人は心底安心していた。
「腰が抜けるほど、俺様の笑顔は素敵かね」
勇者の目は血走り、落ち窪んで見える。
それが爽やかに笑っているつもりでいる。
そして、その口を、また開こうとしていた。
どう見ても、命を奪われる寸前の絶望と恐怖がそこにあった。
徴税官は、知らず何度も頷いていた。
勇者は徴税官を取り押さえていた。
(おや、なぜに俺様はこやつを捕まえたのだ?)
うっかり捕まえてしまったが、この後のことを考えていなかった。
肝心なところで働かない残念な頭である。