第百六話 進攻
夜明け頃、マニフィクが朝食を取って腹を休めていると、潮が引き始めたと報告が入った。
コリヌンから干満の時間帯を聞き、明け切らぬうちに移動の準備は終えていた。
「後に続くよう、伝えよ」
近衛の一人がマニフィクの命令に応え、すぐさま先遣隊へと号令が出される。
いよいよ海の道を渡りながら、マニフィクは目を細めた。
ところどころに残る海水が朝焼けを映し、砂色の道を幻想的に浮かび上がらせる。
馬を歩かせながらも、ひととき、現実を忘れて景色を楽しんだ。
誰に聞かせるともなく感想がこぼれた。
「なんとも風光明媚なことよ……小麦団子が欲しくなるのぅ」
不慣れな行軍での疲れや、これから中央の役人と相対するのだという緊張に、体が栄養を欲していた。
周囲の近衛兵らは、これさえなければと残念な表情を見せたが、どうにか押し隠し共に景色を眺めた。
到着した砂浜でマニフィクを出迎えたのは、薄い茶色の髪をこんな場所でもなでつけている、三十かそこらの若造だった。
戦闘には不向きな、布を巻きつけているだけといった衣装が、中央から派遣された徴税官なのだと告げている。
「お待ちしておりましたよ、ノスロンド王御自らのお出ましとは光栄です。念のため、時間をかけたことは仕方のないことでしょうね」
徴税官は、小さくも一国の王であるマニフィクの前ですら態度は変えず、さらには随分遅かったとの嫌味まで添えた。
嫌味はともかくとして、態度を変えないことは、なにもこの徴税官に限らない。
中央の権威を貶めるような真似はできないのだ。
大小様々な国を取り纏める代表として、中央は多少強引なくらいの印象を見せる必要があると方針を定めたからだ。
それに対するマニフィクは、悪びれず返した。
「その為の先遣隊だったが、意図が正しく伝わっていなかったようだ」
こちらもまた、傘下だろうが仮にも独立国としての自尊心がある。
謝罪などしないが、仮にも中央から派遣された男の手前、非難はしない。
些事に煩うよりも、さっさと仕事を進めた方が良いだろうと考え、その意図を込めた。
そこでマニフィクは己が足を運んだ理由を思い出した。
優位に立とうとの振る舞いだと分かっている横柄な態度に、うんざりしている場合ではない。
様子を探るべきだったかもしれないが、マニフィクは慎重ながら端的に聞いた。
「我が兵を見たのではないか」
徴税官の目に是の色が浮かぶのを見、マニフィクは「やはりか爺め!」と胸中で歯軋りした。
マニフィクのごくわずかな表情の変化を徴税官はとらえ、片眉を上げた。
慎重に問うている、それが意外に思えたのだ。
今のところは放置していたが、確かにノスロンドの装備の者がいた。
なるべく目立たないようにと配慮はしているようだが、遮るものなどない場所だ。特に隠れようとしているわけではないし、敵に加担している様子もない。
報告によれば、稽古をしていたり茶を啜ったりと、丘の上で気ままに過ごしているようだ。
目的は分からずとも、今は面倒事を増やさないために、なるべく手は出さないようにと指示してはいた。
予想では、目的は定かでないが、眼前の王が忍ばせて経過を見届けさせているのだと考えた。
それが、否定されたことになる。
徴税官は、あえて口の端を上げて笑顔を見せると首を傾げた。
無言で先を促した形だ。
「決して、ノスロンドに他意はない。連合国の安寧を乱すことは望んでおらぬ」
マニフィクは、誠実さを示しているつもりなのだろう。
真剣さは感じられた。
しかしそれが、噂の件に対する答えであるとも取れ、虫の良さも感じていた。
北部各国に中央への不満が広がっているという噂。
ノスロンド一国の話ではないが、これまでに一体どれだけの対処をしてきたというのか。
それを弁解するのに、精強な兵を連れ王の身でわざわざこんな地まで出向いてきた、といった程度の恩で足りると考えているのだろうかと呆れるばかりだった。
「ただし、早まった者がいるのは事実。そこは我ら自身で片をつけよう」
徴税官は鼻を鳴らして呆れを示しはしたが、納得したことを伝えた。
今は数合わせで結構とはいえ、人手が必要だ。
それに協力国と合流したとの報告書もまとめなければならない。
実は先遣隊の様子に、本隊にも別の思惑があるのではと警戒していた。
ここで追い詰められれば、前後を敵に挟まれることになる。
しかし幾ら自己評価が高い徴税官といえど、己の正しい地位を把握はしている。
中央の代理ではあるが、そのものではない。
そんな自身を辺境で追い詰めたところで、人質にすらならないのだから、何の得にもならないことは理解していた。
しかし人は何をしでかすか分からない。
経験上、予測を大きく超える行動は取らないが、なぜその行動をここで、といった予想外はまま起きるものだ。
どうやら本隊に対する心配は杞憂に済んだことで、徴税官の心に少しの余裕が戻ってきた。
思惑が身内の問題らしいというならば、それもありがたいことだった。
足をすくう理由を一つ手に入れたようなものだ。
他に問題があるならあるで、後ほど考えれば良い。
現在は、まず解決すべき問題がある。
気持ちはすでに、白髪男へと向き、丘の方面を睨んでいた。
徴税官の態度に、話は打ち切られたことをマニフィクは悟った。
心証のほどは良くはなさそうだが、本任務に対する信頼は得られた。
参加を許すといった程度だが、はなから喜んで迎えいれられるなどと期待していたわけではない。
マニフィクも徴税官の視線につられ、見晴らしの良い平地を向いた。
畑や人々が一望にできる。
その奥を、小高い丘が遮っていた。
◇◇◇
丘の岩場で胡坐をかいて、勇者は海岸辺りを睨んでいた。
こちらの動きを見て、徴税官は行動を変えるのではと考えた。
それで一晩中、ここで見張っていたのだ。
夜にも動き出すのではないかと心配だったが、予想に反して、少人数を出すといったこともなかった。
土鈴のようにからからと鳴る音が、勇者の耳元を掠めた。
前もって設定しておいた呪いの警報だ。
勇者は意識の防衛線を海岸沿いに置いていたが、そこに動きがあった。
(しかも、外からの侵入者だと!)
数が違う。いつもの伝令ではない。
とうとう本隊が到着したのだと、勇者は緊張に拳を握った。
まずはどうすべきなのかと、思考が揺れる。
昨日のことが思い出された。
夜の伝令が戻ってから、やけに静かではなかったか。
体を休めるためだったなら納得だった。
恐らく、昨晩の内に本隊は到着していたのだろう。
勇者の呪いが有効な範囲は、自身の体と領内に限られる。
外のことを知る手立てはないとはいえ、いつ到着してもおかしくはなかった。
それでもいざとなると混乱する。
(そうだ、ならば、いよいよ俺様を拘束しようと動くはず……)
今のところ、領民への徴税官の説得は叶わなかったようだ。
反抗心を見せているところから、動きを阻もうとすると考えているだろう。
全員で固まり、襲撃に備えながら勇者を取り囲むはずだ。
(丘まで来られてはまずい)
そう考えたときには、麓へと駆け出していた。
勇者は麓に走りながら叫んだ。
「小作隊! 篝火だ!」
何事かと訳が分からずにいた見張りの小作隊員や、起き出していた領民達は、篝火と聞くや幾人かが走り出した。村人や丘の上、今は南の森に潜む南開拓民などへ報せる者たちだ。
残った者は筍住居に声をかけ、全員が叩き起こされていく。
丘の上にいたのに、敵が到着したと慌てて見せるのはどうかと思ったのだが、そこは勢いで誤魔化すことにした勇者だ。
それは成功したようだ。
単に見開かれた目が充血しており怖かったからだったが、勇者自身は見えていないので知る由もない。
今は人が見張りや報告などで散らばっているから、誰かが知らせたのだろうと考えた者がいた程度だった。
間もなく全ての者が担当場所へと散っていった。
「茸作戦の合図だ! 茸袋を出せ、急げ!」
火自体は、怪しまれないように設置した日から焚いたままだ。
薪の追加に紛れて茸を焼くわけだが、竃から動かないことを怪しまれないように、芋を焼いて食べるなどを繰り返していた。
兵達もちゃっかり混ざっていたこともあるから、疑われることはないだろう。
周囲が準備に走る中、勇者は立ち止まり海岸へと目を向けた。
人影が増えたようなことは見えるが、詳細を知ることはできない。
領内の隅々まで把握できる呪いは、首の模様を通さねばならない。
使用中は光るものを、人前で晒すわけにいかなかった。
身一つで、装備の行き届いた兵達の前に出ると思うと足が固まる。
「ええい、しっかりせんか。勇者だろう!」
己に活を入れ、足に力を込める。
地面を踏みしめるように立つと、気力が湧いてくるのを感じた。
(最大出力の呪いとはいかなくても、お城ちゃんの補助は効いているのだ)
気合いで負けなければどうにかなると、無茶な意気込みで、踏み出した。
ゆっくりと進みながら、相手がどうでるのか様子を見る。
ずっと張り付くようにしていたから、のこのこと現れると考えているだろう。
平地の中ほどまで近付くと、よりはっきりと見えてくる。
人や馬の合間に、はためく布が見える。紺色の地に、白い山を表した線。
本隊だろう加勢の中に、ノスロンドの旗が翻っていた。
思わず、足を止めていた。
「勇者さーん、待つっすー!」
背後からかけられた声に、勇者は困惑した。
「行き倒れ、何をしてる。小作隊は作戦と伝え忘れたかって、お前達まで」
言いながら振り向くと、タダノフやノロマまで続いていた。
「あれ? 作戦には俺のまじない知識が必要と聞いたですからして」
「なんか敵は領主を片付けるって聞いたから、あたしもかなって思ったんだけど」
勇者は、口の両端を思いっきり下げた。
やはり、タダノフとノロマはいまいち理解していなかったようだ。
「俺は理解してるっすよ。だけど囮が一人ってのも、わざとらしいんじゃないっすかねって思ったんで」
一理ある。
勇者は海岸を見た。
敵は今や、百騎近い。
先頭を中央勢が進み、両翼をノスロンドが挟むように進むだろうか。
「まだ、相手の動きが分からん。また数日は嫌がらせを挟むかもしれんし」
そう口にしつつも、来ると確信めいたものがあった。
さらに近付くうちに、その理由は見えた。
兵達は見たところ全員が装備を整え、すでに拠点の外に待機していた。
それらを見ると、ノロマですら真剣に見える顔つきとなった。
「そうだな、タダノフにノロマよ。悔しいが俺様一人ではどうにもならないだろう。お前達を付き合わせること、許せ」
「ふっ何を言うのですか。元より生死を賭したまじない旅のついでに同行したのだからして」
「あたしは元々が野垂れ死にかけてたのを拾われた命だ。今さらだね」
「俺も付き合うっす。危なっかしくて見てられないっすから」
「なんで私までっ……離してくだされタダノフ嬢! 私は第二の人生を謳歌するのっ!」
タダノフの小脇にコリヌがいたことに、今さら気が付いた。
それを無視し、勇者はそれぞれの顔を見て満足気に微笑んだ。
「それに、仲間を頼るほうが、なんか勇者っぽいし」
仲間の好感度は微妙になった。
勇者は皆の心意気にしっかりと頷くと、空を見上げた。
「ナウ気張らねば ついぞ気張れぬ 勇者道――字あまり無念」
真剣な顔を頑張って取り繕っている仲間へと、勇者は視線を戻す。
「うまいこと決まらなかったが、ここは俺様らしい能力で乗り切りたい」
勇者は目を閉じて集中する。
思い出せ、あの感覚を――と酔いしれつつ唸る。
「すでに完徹能力を解放済みだが、小心者能力も同時起動せねばなるまい!」
目を見開いた勇者から、途端に気迫が伝わる。
以前はよく見た懐かしい気配だと、タダノフとノロマは感じ入っていた。
「あーそれに付き合うのは無理なようですが、まあタダノフ殿と補佐するくらいならなんとかなるでしょ。ほどほどに頑張りますからして」
そう言ってノロマは、得体の知れないものの入った瓶や怪しげな道具を、両の手指に挟んで取り出した。
タダノフは、右手の拳を固め、左にコリヌを抱える。
行き倒れ君は、全員の背後を固めるつもりだ。という理由で、とばっちりを受けるのを避けるためだ。
どちらにしろ、全員が本気ということだ。
(本気装備か……俺様は、伝説の勇者の武器だったからと、なんとなく剣をたしなんでみた。だが本来、俺様にあったのはこの身体だけ)
前方を見据えた勇者は、人差し指を頭上に掲げた。
両手のだ。
「これが素の俺様の力なのだ」
なんとも頼りない力である。
それでもここまで歩んできた。
その経験に裏打ちされた技でもって押し返す覚悟だ。
(しかも今ならなんと! お城ちゃん製呪いの加護付きだからな!)
周囲に目を配ると、ほぼ全員が竃周辺から外側へと、待機しているようだった。
勇者は前に出た。
陽動開始である――。
前方から、小さなざわめきが伝わった。
勇者がいつもの岩陰ではなく、真正面から向かってくることに気づいたようだ。
第一竃線まで、あと少し。
手前で、勇者は足を止めた。
その頃には、拠点を囲む勢力もすべて見えていた。
コリヌンの姿も、本隊の外側に付くようにある。
「ひ、ひょへっ!」
「ええい、せっかく格好良く進んできたのになんだねコリヌ」
タダノフの小脇からぶら下がるコリヌは、手で示した。
そこには、シュペール達と同様の鎧をまとう兵の姿があった。
中心には赤い布に身を包む偉そうな男。
「ののののすノスロンろんド国王陛下御自らの御成りではわわわ」
「しっかりせんか!」
勇者はばちんとコリヌの頬を張った。
(コリヌめ。人の良さそうなおっさんだなどと、たわけたことを……なんとも知的な目をしている)
やや太目の体は戦えそうな体付きには見えないが、戦いに出たといった噂は聞いたことがないにも関わらず、この場における堂々とした佇まいは侮れるものではなかった。
勇者たちが眺めていると、隊列を割って出たのは、徴税官だった。