スローライフ(1)
「あぁー、休みだー!」
若ハゲ店長、毒舌後輩からの多大なる解放感に、大きく伸びをした。
「休みという事は、司は今日は家にいるのか!?」
チヒロが目を輝かせて聞いてきた。どうやらなつかれてしまったらしい。
普段はクールなチヒロだが、事あるごとに無邪気な笑顔を見せる。
「いや、せっかくの休日だからちょっと出掛けるんだ。ごめんな、すぐ帰ってくるから」
「そうなのか……」
俺は落ち込むチヒロの頭をくしゃくしゃに撫でた。ああもう、可愛いなぁ。
「あら、そのまま帰ってこなくてもいいのよ?」
強がってカオリは憎まれ口を叩くが、俺が出掛けると言った時の青ざめた顔といったら、それはもう笑いがこみ上げてきた。
こんな風に楽しく過ごしているあたり、最初は厄介者扱いしていた空気との生活にも慣れてしまったらしい。
「じゃあ、行ってくる」
***
肝心の用と言うのは、買い物だ。それもごく普通のスーパーで。
「えーと、必要な物は……と。チョコレートに、卵に……そういえばクルミも買わなきゃな」
必要な材料を呪文の様に呟く。
買いに来たのはお菓子作りの材料。実は俺は料理が数少ない趣味の一つで、休日なので久々に作ってみようと思ったのだ。
「ありがとうごさいましたー」
レジに商品を通し、買った物を確認する。うん、全部揃ってるな。
具材は割りと他の物でも代用できたりするが、なるべくレシピ通り作るのが料理上手の近道だ。妥協するのは良くないし、変なアレンジは逆に料理の味を損ねる。
実に奥深い趣味だ。
***
「ただいまー」
家に帰ると、さっそく手を洗って、キッチンに立った。機能性抜群のシステムキッチンだ。
親が適当に借りただけあって、ボロくて汚ないし狭い家だが、このキッチンだけは気に入っている。
「何をするんだ?」
チヒロが訊ねる。意外と好奇心旺盛みたいだ。
「キッチンに立ったらやる事は料理しか無いだろう」
俺はチョコレートを細かく刻みながら、答える。
「そうか」
チョコレートとバターを湯せんにかけている内に、卵を解きほぐし、砂糖と混ぜるといった、他の材料の下準備を終わらせる様子を、チヒロはずっと観察している。
そんなにじっと見られると手元が狂いそうだが、チヒロの様子が可愛くて注意できない。
……なんかお菓子とかどうでもよくなってきた。
チヒロの可愛さに、何度も心が折れそうになったが、なんとか完成の一歩手前に持ち込んだ。
「食べないのか?」
「今は焼き立てのこいつの熱を取っているんだ。この作業をせずに型から取り出して食べると、表面がざらついてせっかくの風味が台無しになってしまうんだ」
三十分ほど待つと、小さかったからかあら熱が取れた。
「ようし、チョコブラウニーの完成だ」
俺はブラウニーを一口大に切り分け、口に運ぶ。
「うん、美味い! ……何だ、お前ら食べたいのか?」
カオリとチヒロが俺が食べる様子を凝視している。
「来いよ、食っていいぞ」
「本当!? じゃあ、いただくわ!」
先に飛び付いたのはカオリだった。さっきまで興味無さそうにしていたのに、全く元気な奴だ。
「いいのか? 前々から人間の食事には興味があったんだ。それでは、いただこう」
一方、チヒロは遠慮気味に食べるが、口に入れると笑顔になり、舌鼓を打った様だった。
「ごちそうさま」
「はい、お粗末さま」
空気二人は満足そうにフォークを置いた。そんな顔が見れて、俺も料理をした甲斐があった。
……ん? 空気が食事って何、そのシュールな現象。
注・これはグルメ小説ではありません
チョコブラウニーを作る場合、レシピ本やサイトを見て、分量、手順を守りお作りください(この話でしっかりとした説明はしていないので、それしか方法は無いとは思いますが)