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忌憚奇譚6

 墓村夕子は考える。兄弟姉妹とは多いほどよいものなのではないのだろうかと。

 例えば、自分の幼馴染である雪乃は一人子だ。そして雪乃の両親は帰りが遅い。両親の帰りが遅いというのは今時珍しくもないが、兄弟がいなければ一人子というのは家でひとりぼっちなのである。それは何だか寂しい。

 現に雪乃はひとりぼっちだったし、寂しそうだった。誰もいない家に一人縛り付けられている雪乃を見ると、夕子はどうも居た堪れない気持ちになったものだった。だから昔はよく雪乃を夕飯に誘ったりした。

 雪乃は夕子の誘いを度々受けていた。しかし、墓村家の食卓に座した途端に体を小さくして俯いてしまうのである。夕子の姉弟たちと仲が好いにも関わらず、萎縮してしまう。本人は努めてコミュニケーションを取ろうとしているのだが、微妙に眉を下げて微笑む彼女は確かに遠慮をしていた。

 考えてみればそれはそうだ。幾ら跨ぎ慣れた家の敷居であろうと、そこは他人の家なのである。自分以外は皆家族の絆とかいうもので結ばれていて、自分だけが他人。だからきっと雪乃にとっては夕食に呼ばれることすらストレスだったに違いない。

 とはいえ、夕子にしてみればそれはよく判らない感覚である。

 当然夕子も友人の家に宿泊して、その友人の家族と夕飯を共にした経験はある。しかし、雪乃の感じているようなストレスを感じたことはなかった。

 では何故自分と雪乃で違いが出るのか。

 夕子は考える。

 そこで、きっと兄弟の有無なのだろうなという結論が出た。

 ひとりぼっちの一人子は家族に慣れていないのだ。家族と過ごす時間が一日で、朝くらいしかないとなると、どうしたって家族を経験する時間が少なくなってしまう。

 家族の経験。おかしな言葉だとは思うが、核家族が全世帯の六十パーセントを占めているらしい日本において、家族という関係は、経験という言葉を用いなければならないほどに共同体間の係りが薄くなってしまっていると夕子は考える。

 勿論、墓村家も例に漏れず核家族ではあるが、子供の数は多い。四人姉弟だ。夕子には姉が二人と弟が一人いる。だから夕子は家族経験が豊富である。両親の帰りが特別遅いというわけでもないから、両親との交流も少なくはない。

 しかし、雪乃は一人子であるし、両親も遅くまで帰らない。これでは家族の経験及び親子を経験する機会があまりに少なくなってしまうのである。加えて、雪乃の両親はなかなかに教育熱心なところもあるから、雪乃としてはうんざりといった風で、雪乃自身も両親との関係を拒んでいる。これでは益々経験に繋がらない。

 否、これはこれで経験にはなっているのだろう。しかし、これは苦労という経験であって、飴と鞭で言えば鞭の側面しか与えられておらず、酸いと甘いで言えば酸いの側面しか与えられていないということだ。何にしても、あまり健全とは言えない。

 もし雪乃に兄弟がいたら、全てを補えるとは言わずとも、拠り所くらいにはなるのではないだろうか。否、拠り所なんて大げさなものはいらないのだ。話し相手だ。自分の内心の一部を少しだけ話せる相手があればそれで充分。意見の交換が出来れば案外それだけで楽になるものだ。自分のプライベートを完全に閉じてしまっている雪乃には、特にそんな相手が必要だと思う。

 だから兄弟はあった方が得であるというのが夕子の考えだ。

「しかしまあ何にしても、家族兄弟となると雪ちゃん論になっちゃうのが私の悪い癖だよねえ」


 自室のベッドであぐらをかきながら、太ももにギターを乗せて、夕子は益体のない思考を巡らせていた。

 本当に益体がないと思う。こんなことを考えたところで雪乃の現状は変わらない。どう足掻いたところで彼女は寂しい一人子なのである。

 覆し難い現実だ。だからやはり、夕子は、自分は雪乃の妹である必要があると考える。

「でも私、嫌われてるんだよなあ……私ってそんなに嘘つきかなあ……そんな自覚はないんだけどなあ……」

 こちらは非情な現実だ。悲しくなる現実だ。しかしどうにかすれば覆せる可能性を持つ現実でもある。

 諦めるわけにはいかない。夕子自身の為にも。雪乃の為にも。

 己を奮い立たせて夏休みの課題である速弾きに精を出す。

 速弾きを会得しなければ、夏休み明けに殺されるかもしれないのだ。思考に溺れている場合ではない。溺れてしまえば殺される殺されない以前に溺死してしまう。

 しかし――

「無理!」

 諦めた。一朝一夕で速弾きをマスターしろというのはあまりに無茶が過ぎる。無茶を言わなければ桃香ではないとは確かに思うけれど、これは少しばかり理不尽ですらあるんじゃないかと夕子は思う。

「桃香先輩のアホ! 出来るわけないじゃん、こんなの! 一小節にどんだけ音符詰め込んでるんだよ!」

 こんなことを直接本人に言えば確実に拳が飛んでくる。しかも顔面に。

 とはいえ、やるしかないのである。やらなければ殺されるというのは言い過ぎにしても、雷が落ちるのは間違いないのだ。

 そこまで考えたところで、家のドアが開く音がした。

「ただいまー」

 母親の声がした。

 夕子はここぞとばかりにギターを脇に置き、下の階へと降りる。とりあえず今のところは休憩である。休憩という名のサボタージュである。

 階下へ降りてお帰りと返す。玄関を見ると、帰ってきたのは母だけではなかった。弟の宵太しょうたと長女の朝子あさこも一緒だった。

朝姉あさねえ! 何で!?」

 驚く夕子。

 それもそのはず。宵太は塾から帰ってきただけなのだろうが、朝子は東京の大学へ進学したはずである。帰省するという報告も聞いていない。

 否、事実帰ってきているのだから帰省であることに間違いはないのだが、律儀な朝子に限って連絡もなしに帰ってくることなどあるまい。ならば何故。

「久しぶりだな、夕子。我が愛すべき妹よ、今帰ったぞ!」

 質問に答えず、夕子をぐいとその身に抱き寄せる朝子。

「ぐうう、苦しい……」

 中学校と高校では空手部に所属していただけに朝子は力が強い。これでは抱擁というよりは胴締めだ。

「おっと失礼」

 言って力を緩める朝子。そして夕子の頭を撫でる。

 朝子はニュートラルで愛の深い姉なのである。兄弟愛といえば墓村朝子。友人愛を語れば墓村朝子。異性愛に殉ずれば墓村朝子。そんな意味不明のキャッチコピーが一人歩きするほどに愛が深い。


「父さんに連絡したはずなんだが、どうやら今日の朝まで忘れていたらしい。まあ私としてはいいサプライズになるから、母さんにさえ伝わっていれば不都合はなかったんだがな」

 夕子の頭を撫で続けながら、朝子はようやく質問に答えてくれた。

 なるほど。夕子の父は変に忘れっぽい。普通は忘れないようなことまで忘れてしまうのだ。かと言って忘れてはいけないことは神経質なまでに覚えているのだからよく判らない。これは忘れっぽいことを自覚しているからだろうか。


「お店で思い出したのよ、お父さんったら」

 母が言う。二人は精肉店を経営しているので職場は同じだ。

 そうかと夕子は納得する。突然雷に打たれたかのように思い出して慌てる父は全く想像に難くない。

「相変わらずおっちょこちょいだな、父さんは」

 夕子を離さないで朝子は微笑む。

「何時までやってるんだよ」

 宵太が靴を脱ぎながら朝子に突っ込む。

「俺、勉強するから。夕子、ギター禁止な」

「えー、私も私で切迫してるんだよー」

「やるならリビングでやってくれ」

 あっさり譲歩してくれる宵太。中学生にも関わらずあまり擦れていない。

「あいよー。朝姉離してー」

 もぞもぞと体を捻る。

「おお、すまんな」

「朝子ちゃんは荷物置いてきちゃいなさい」

 母はキッチンに向かいながら親指で二階を指差した。おっとりとしている割に所作がワイルドである。

「夕子、私の部屋は健在か?」

「うん。そのままだよー」

 健在の使い方ってそれでいいんだっけという疑問をそのままに、夕子は朝子を連れて二階へ上がる。

 自室に入り、ギターを掴むと、携帯電話が着信を告げる。一つ上の姉であるひるまからだった。『お姉ちゃんによろしく』とある。確か友人の家に泊まりに行っているのだったか。どうやら母が連絡を入れたらしい。

 しかし、それならば直接本人にメールすればいいものを、と思う。ひるまは少し抜けたところがあるから理解出来ないというほどのものではないが。

 やれやれと画面を受信フォルダに戻すと、ひるまのメールの一つ下に新着のメールが入っていた。

 乙香からだった。画像ファイルが添付してある。

 件名どころか本文もない。何より乙香からのメールというのが夕子の不安を煽る。

「嫌な予感が……」

 しかし、乙香からメールが送られてくるのは初めてのことだ。彼女は女子高生とは思えぬほどに携帯電話に無頓着である。アドレスを訊く際「これってどうやって使うの?」と言われたくらいだ。そのときの乙香の表情は、それが冗談でないことを物語っていた。本当に使い方が判っていなかったのである。それは打鍵速度から見ても明らかだった。

 そんな乙香だからメールなんて一度も送られてきたことはなかった。

 怖い。メールの打ち方すら判らなかった人間が、わざわざ添付という上位技術を使って何かを送ってくるなんて、これは本当に不気味だ。

 そうは思うものの、無反応を貫く勇気もない。無視をすればしたで、後で何を言われるか判ったものではないのだ。それに友人からのメールを無視するのは夕子のもつ良識に反するところである。

 夕子は恐怖を引っ込め、良識を通した。

 画像が画面に展開される。

「何だこれ?」

 それは五橋公園の公衆トイレの写真だった。トイレの入り口には何やら白い物体が乱雑に放り出されている。

 トイレ全体を映している写真なので、白い物体が何であるかは判別出来ない。

 夕子は頭にクエスチョンマークを浮かべながら、一体これが何であるかを問う旨をメールで送信した。

「よし、と」

 恐らく返信には少々時間を要するであろう。何せ相手は携帯音痴を絵に描いたような人間である。彼女の携帯電話に対する苦手意識は時代に取り残された中年もびっくりするほどだ。

 しかし、そんな乙香が頑張ってメールを送ってきてくれたというのは喜ばしいことだ。


「ま、とりあえず待つか」

 夕子はギターをスタンドに置き、携帯電話を握りしめ、再び階段を下りる。

 リビングへ行くと、朝子がソファーでくつろいでいた。

 夕子は朝子の隣に座る。

「おお夕子。ギターはいいのか?」

「うん。宵くんも勉強してるしね」

 別にリビングならばアコースティックギターでない限り二階まで音は響かないのだが、夕子は人前で練習するのが苦手だ。相手が自分の演奏をどう聴いているのか、どうしても気になってしまうのである。つまりは集中することが出来なくなるのだ。

 だから今日の練習はここまでである。

「そうか。夕子は軽音楽サークルに入部したのだったな」

 感慨深そうに頷く朝子。

「どうだ? 桃香は元気にしているか?」

 朝子は森ノ宮高校の卒業生である。夕子の聞くところによれば、桃香と朝子には何やら因縁があるらしい。何があったかまではお互い話したがらないが、桃香は朝子を酷く警戒しているらしかった。朝子としては桃香を最も愛すべき後輩と位置づけているようだが、そんな二人の正反対な意識も相まって、何があったのかというのが全く想像出来ない。

「桃香先輩は何時でも元気だよ。やる気に満ち満ちているのが先輩のいいところであり、悪いところだからね」

「うむ。何より何より。髪の色は何色だ?」

「前は赤だったけど、夏休みに入ってからピンクになった」

 桃香は禁止されているはずの染髪を幾ら注意されてもやめようとしない。その内停学になるのではないかと、夕子は内心ヒヤヒヤしている。恐らく内申点はキューティクルと共にボロボロになっていることだろう。

「どうやら最近はご機嫌なようだな。きっと夕子が入部したのが嬉しかったのだろう」

「髪の色で機嫌が判るの?」

 どんな特性だ。

「ああ、そうだ。暖色系のときは機嫌がいい。寒色系になったら慰めてやるんだぞ。落ち込んでるときだから。黒になったら話しかけるな。かなりご機嫌斜めだ。お前の力では殴られても文句を言わせてもらえないだろう」

 言わせてもらえないのか。気をつけようと思う夕子。ただ、黒髪の桃香を見てみたいという思いもある。

「黒髪の桃香先輩……結構可愛いかも」

「可愛いさ。しかし、黒髪のあいつは笑わないからな。かと言って子供みたいに当たり散らすように暴れるわけでもない。ただただ静かに怒るのさ。だから民俗学研究部の連中は四弦公主なんて渾名していたな」

「静かに怒る桃香先輩……死ぬかも」

 想像しただけでも恐ろしい。

「なるほどなあ。桃香先輩ってそういう人だったんだ」

 始めて知った。

「ん? 四弦公主って何?」

「多分、鉄扇公主にかけているんじゃないか? 鉄扇公主とは羅刹女のことだ。『西遊記』に出てくる妖怪だな。まあ、あんまりかかっていないような気もするが、桃香は良家の出身だしな。ベースギターの帝女という意味だけでもそれなりに通る渾名だろう。今はそう呼ばれてはいないのか?」

「聞いたことないなあ。っていうか、桃香先輩って良いとこの出なの?」

 初耳である。確かに随分と高価そうなベースを使っているようだから、それなりにお金はあるのだろうとは思っていたが、まさか良家の子女であるとは思いもよらなかった。

「おっと、これは内緒だったような……」

「え?」

「いいか夕子、これは内緒だ。誰にも漏らしてはならないぞ。このことが夕子に知れたと判れば、あいつは髪を黒く染めかねん。それはお前も本意ではないだろう?」

 朝子は口元に人差し指を添えて言う。

 なんだろう、爆弾を抱えてしまったような気がする。

「う、うん。判った……」

「それにしても、今はピンクか。オレンジや赤なら見たことがあるが、ピンクはなかったなあ」

「そうなの?」

「ああ。なんだろう……恋でもしたかな」

「まっさかー。桃香先輩が恋なんてしたら相手を殺しかねないよー」

 言ってから失礼を通り越した発言だと気付く夕子。しかし、そんな不敬が思わず飛び出してしまうほどに桃香と恋はあり得ない組み合わせだった。

「判らんぞ。桃香は照れ屋だからな。世に言うツンデレというヤツだ」

 夕子は桃香がデレている姿など見たことがないのだが、確かに体の芯まで鬼だという訳ではない。彼女は泣いている人間が苦手なのだ。そういうところに人間の情というものがまだ残っている。

「いやあ、でも桃香先輩が恋なんて……」

「まあこれも私の推測でしかない。後は自分の目で確かめるといい」

 正直恐ろしくて踏み込みたくはない領域だが、興味があるのも事実である。殴られない程度に探ってみようと思う夕子だった。

「さて、そろそろいい匂いが漂ってきたな。夕子、宵くんを呼んできてくれ」

「判ったー」

 またも夕子は二階へ上がる。歩き回って疲れているときにこうも一階と二階を往復するとなると流石に足腰にくる。夕子は己の運動不足を実感した。

「宵くーん、ご飯だよー」

 呼びかけながら部屋のドアを開ける。

「せめてノックくらいはしてくれよ」

 部屋では宵太が机に突っ伏していた。

「ごめんごめん。勉強は——捗ってなさそうだね」

「疲れた……」

「宵くんは勉強し過ぎだよ。そんな心配しなくても大丈夫だって。私なんか三ヶ月でなんとかなったし」

 宵太は中学三年生。受験生だ。森ノ宮高校を志望しているらしい。もし宵太が合格すれば、墓村姉弟は全員森ノ宮高校の出身ということになる。

「夕子って実は頭いいんじゃないの? 馬鹿っぽく見えるけど」

「一言多いなあ。私は平均点を獲ることに関しては一流なんだよ」

「平均点で入れるもんなの?」

「さあ?」

 受験のことはすっかり忘れている夕子である。

「でもまあ、宵くんは頭いいし、大丈夫だって」

「俺は頭よくないよ。だから幾ら勉強したって不安なもんは不安なんだよ」

 宵太は後ろ向きだ。それでも何時もと変わりなく振る舞うのだから我慢強いと夕子は思う。

 こんな弟だから、夕子はつい宵太を甘やかしてしまう。

「気晴らしも大事だよー。特に宵くんは根を詰め過ぎるから」

「まあねー。自分でも判ってはいるんだけどさ、勉強してないと落ち着かなくて」

 それはそれで羨ましい性分だと思う。こういう性格なら試験で下手な点数を獲ることもないのだろう。見習いたい限りである。

「それで疲れて突っ伏しちゃうんだから、やっぱり無理し過ぎだよ」

 言って宵太の肩を揉む夕子。

 堅い。やはり机に向かい過ぎている。

「堅っ。こりゃあ将来スラッガーだな」

「俺帰宅部」

 宵太にはこれといった趣味がない。昔からそうである。休日は何時もぼうっとしているし、この部屋にしたって殺風景なものだ。漫画の一つさえ置いていない。CDもなければスポーツ用具もない。勉強道具だけが、机に併設されている本棚に置いてあるばかりだ。

 夕子が宵太にかける心配は勉強のことよりも趣味のないことにある。彼は一体なにを楽しみにして生きているのだろうと、そう思う。

「森ノ宮の魅力って、やっぱり部活動の数が多いことだと思うんだよね。宵くんは森ノ宮に入って何がしたいの? 部活動やってみようとか思うわけ?」

 ベッドに腰掛けながら夕子は質問してみる。

「うーん。一応ね」

 意外な答えが返ってきた。どうやら夕子の心配は杞憂に終わりそうだ。

「おお! 遂に宵くんにも趣味が!」

「いや、趣味って訳ではないんだけど、友達に誘われてるんだ」

 なるほど。動機はどうあれ、やってみようという心意気はよいものだと夕子は考える。特に、趣味を見つけるのが下手な宵太には友人の誘いが何よりの切っ掛けになるだろう。

「へえ、何処に入部するつもりなの?」

「オカルト研究部」

「は?」

「オカルト研究部」

 言い直されてしまった。

「こんなことを聞くのも失礼かも知れないんだけど、そのお友達は結構変わり者だったりする?」

「ん、まあ確かに一言で言えば変人だけど」

 そうだろう。オカルト研究部といえば変人だ。

「雪ちゃんは例外のはずだけど……」

「え? 何?」

「いや、何でもない。んー、そっかー。オカルト研究部かー」

 友人というからてっきり運動部に入部を希望しているものかと思っていたが、まさかマイナーにマイナーを重ねたオカルト研究部だとは。意外である。

「何? 何か不味いかな? 呪い殺されたりとかするのかな?」

「いや、そんなことはないけど。雪ちゃんもいるし、結構普通だよ。多分」

「あ、雪姉ゆきねえってオカルト研究部なんだ。意外だなあ」

 宵太だって人のことは言えない。

「お友達はやっぱりそういうのが好きなんだ?」

「うん。お兄さんの影響らしいよ。で、そのオカルト研究部にお兄さんがいるから入部するんだってさ」

 お兄さん。オカルト研究部の部員は全員一人子なのだと思っていたが、違うらしい。誰だろう、と夕子は頭を捻る。

 雪乃は間違いなく一人子である。とすれば、残るは六朗と竜二だが。

「その子の名字は?」

「荅川。荅川巳辰」

 竜二の方だったらしい。

「竜二先輩、弟がいたのか」

「うん? 妹だよ。まあ確かに名前だけ聞くとどっちか判然としないだろうけど」

「え!? 嘘!? 女の子!? うわあ! 大変だ! 宵くんに彼女が出来た!」

 頭を抱える夕子。まさか一つ下の弟に先を越されるとは思っていなかった。

「はあ!?」

 顔を上げて慌てふためく宵太。

「ううー! 竜二先輩が義理のお兄さんになるのか……」

「ならないよ! 大体彼女じゃないから!」

「えー、でも普通そういうのって同性の友達と相談するもんなんじゃないの?」

 中学生ともなれば異性を意識しているところはあるだろうから、一緒に示し合わせてとなると恋仲を疑ってしまうのも道理だと夕子は思う。

「俺の友達って皆帰宅部でさ、帰って趣味に没頭したいっていうやつばっかりなんだよ。だから巳辰くらいしか部活動に所属しようとか言い出すやつはいないんだ」

「ふうん。そうなんだ。そっかー竜二先輩の妹さんかー……あ、じゃあ五橋の七不思議って知ってる? 今日、小学生の子が聞かせてくれたんだー」

「ああ、知ってるよ。巳辰が話してくれた」

 流石は荅川竜二の妹である。その手の情報に関しては耳がいい。

「トイレの花子さんは猫が好きなんだってね。何か変わった話だよね」

「ん、猫? 巳辰はそんなこと言ってなかったなあ」

「端折ったんじゃない?」

 噂は洗練されるに従って、不要な情報を削っていくとは竜二が言っていたことである。

「いや、どうかな。夕子が話を聞いた子って何処の小学校の生徒なの?」

 そういえばその辺の素性については聞いていなかった覚えがある。

「判んないけど、ここの二軒先くらいに住んでるから、多分八条小学校じゃないのかなあ」

 夕子や雪乃、姉弟たちも八条小学校だった。

「近いね。でも、だったら猫の要素はその子が付け加えた情報なんじゃないのかなあ。俺が巳辰から聞いたのも八条小学校の話型だったけど、猫なんて要素は含まれてなかったよ。あいつはそういう話を世間話的に端折るヤツじゃないし」

 なるほど。ならば何故そんな情報を付け加えたのだろうか。全く見当もつかない。

「他の話はどういう話なの? 教えてよ。巳辰に教えれば喜ぶだろうし」

 喜ぶ顔が見たいのか。全く宜しい限りである。間違いなく宵太は巳辰のことが好きなのだろうと夕子は判断した。

 ならば協力してやろうと、夕子は臨場感たっぷりに樹から聞いた話を宵太に伝えた。途中、そういうのいいからと釘を刺されて挫けそうになったが、何とか最後まで話し切った。

「なるほどね。違うのは共用トイレの話だけだな」

「そうなんだ。何でだろう?」

「ううん……その子、花子さんに特別な思い入れでもあるんじゃないの?」

 言われてみれば確かに、樹は花子さんに会いに来たのだと言っていた。しかし、やはりそれでも花子さんに対する思い入れが何であるかは想像できない。

「花子さんだけじゃなくて、太郎くんにもあるかもよ? 他に比べてトイレの話は結構ディテールが細かいというか、設定が多い」

 トイレの太郎くん。間違いなく花子さんからの派生した怪異であるのだろうが、その名を聞く機会は決して多くない。花子さんは男女問わず名前が耳に入る怪異である。しかし、太郎くんはそうではない。事実、女である夕子は久しぶりに太郎くんという名を聞いた。樹から話を聞いたとき、ああそんなお化けもいたなと思い返すかたちでその名前を実感したのだった。


「ねえ、そもそもトイレの太郎くんってどんなお化けなの? 宵くんは小学生の頃、太郎くんのことが怖かった?」

「ん? 唐突だな」

「いやあ、花子さんはよく聞くんだけど、太郎くんはあんまり聞かないなあって思ったんだよね。同じトイレの怪なのに」

「そうだなあ。俺もあんまり聞いたことなかったかも」

 宵太は首を傾げる。どうやら男子にとっても太郎くんはマイナー怪異であるらしい。

「巳辰からちょろっと聞いたことはあるんだよ。なんだっけな……確か、男子トイレの個室に現れるんだよな。召還方法とかは花子さんとほとんど同じ。小用を足している時に後ろに立たれるってのもあった気がするけどこっちは後から出来たバージョンらしい」

 そういえば、男子トイレには個室以外にも小用の便器があったのだなと思い出す夕子。考えてみれば、男子トイレというものを夕子はほとんど知らない。大体にして、小便器なる物が上手くイメージ出来ない。インターネットで画像検索でもすれば幾らでも知ることが出来るのだろうが、何だか他人のプライベートを覗き見るような気がして憚られる。

「トイレの太郎くんってのはやっぱりあんまり流行らなかったみたいでさ、取り扱った文献もほとんどないんだって。で、何で流行らなかったかっていうと、その原因は小学生の男子が個室を使えないってことにあるらしいんだ」

「え? 何で使えないの? それじゃあ催したときとかどうすんの?」

「我慢するんだよ。まあここで重要なのは、何で使えないかってことなんだけど、それはウンコマンの掟があるからなんだよな」

「ああー。言われてる子いたなー。なるほどね。確かにそういう圧力はあったのかも」

 用足しをする際、女子は必ず個室を使用する。それに対し男子は小用の場合は小便器を使用し、大便の場合は個室を使う。男子には使い分けが必要になるのである。

 しかし、小学生の男子というのは因果なもので、排泄行為自体を恥と思う習性があるのか、はたまた隠れた排泄行為を恥と思うのかは判然としないが、個室トイレの使用をタブーとしているのだ。

「で? それが何で太郎くんが流行らなかったことに繋がるの?」

「うん。トイレの太郎くんってのは性別が違うだけで、ほとんど花子さんと一緒なんだよ。個室のトイレをノックして呼び出すの。でも、男子小学生は個室を使わないし、ノックをするって習慣もなかった。だからその辺がリアリティに繋がらなかったんだね。その結果、トイレの太郎くんは誰にも呼び出されない、ただいるだけのお化けになっちゃったわけだ」

 なるほど。そうしてトイレの太郎くんは語られなくなったのか。

「小用を足しているときに後ろに立たれるっていうのは、きっと太郎くんの不遇に気付いた子供が辻褄を合わせた結果なんじゃないかな」

「ふうん。でも辻褄合わせたなら問題なく語られそうだけど。何かそれって花子さんよりも理不尽で怖いし」

「怖いからこそじゃない? 男子は小便器を封じられると本格的にトイレが使えなくなるからね。花子さんは召還型だから自分から呼び出さない限り姿を現さないけど、後ろに立つタイプの太郎くんは出没型なんだ。逃れるための対策ってのも聞いたことないし、男子としてはそういう怪異が現れると本格的に日常生活に支障がでるでしょ」


 納得する夕子。まあ個室トイレしかない女子トイレにだって出没型の妖怪はいたりするのだが、個室を使えないくらいに小心者の小学生男子である。もしかしたら女子より繊細なのかも知れない。


「男の子って結構恐がりなんだね」

「そうかもね。女の子は成長が速いっていうし、意外と小学生くらいの年代は男子の方が気が小さかったりするのかも。それに、お化けだろうとなんだろうと、畏れを成すのは男らしくない。恥であるって観念もあるし、そういうのも太郎くんをトイレから追い出さなきゃならない理由になってるんじゃないのかな」

 宵太は笑って答える。

「まあ本気で忌避されちゃった太郎くんにとって共用トイレってのは案外格好の居場所なのかもね。男女が気兼ねなく利用出来るトイレな訳だから。はい、以上巳辰からの受け売りでした」

「ううん……この話を聞いたうえで、樹ちゃんが花子さんと太郎くんにどういう思い入れがあったのかってことだよねー」

 そういえば、太郎くんと花子さん兄妹だった。しかも仲が好いのだとか。そして樹もまた兄がいるらしい。

 そういう符合を考えれば、樹の願望を話にしたと言えなくもないが、そもそも樹は七不思議をその兄から聞いたのだから、その時点で話の大枠は大体決まっていたと言っていい。宵太は、樹の言う共用トイレの話と八条小学校で語られる共用トイレの話の相違点は猫の要素だけだと言っていたから、やはり一概に樹の願望だとは言えないだろう。

「わっかんないなー」

「まあいいんじゃない? 話を振っておいてなんだけど、そういうのって本人しか判らないことだし」

「ま、それもそうだね」

 夕子は頭を切り替える。

 さて、自分は何をしに来たのだったかと当初の目的に立ち返ってみれば、宵太を下に呼びにきたのだったと思い出す。

 思い出すと同時に、朝子が、二人を呼ぶ声が聞こえた。

「そうだった。もうすぐご飯の時間だよ、宵くん」

「ああ、そういえば入ってきたときに言ってたな。忘れてた」

 夕子は、降りようと提案して宵太の部屋から出る。退出すると同時に携帯電話が鳴った。着信は乙香からだった。

 先ほど、送られてきた意味不明な写メールについて、これは何かと質問したのだった。

「やっぱりメール苦手なのかなー」

 こちらからメールを送ってから大分時間が経っている。添付作業にはどれだけ時間がかかったのだろう。

 しかしやはり、乙香からメールが返ってくるというのは嬉しいことで、微笑みながら本文に目を通した。

 目を通して戦慄した。


 本文には『これ、獣の骨』とあった。


「嫌がらせか!」

 微笑みを返せと言わんばかりに文面に突っ込みを入れる夕子だった。

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