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幕間
それは白蛇にも見えるし、案山子にも見える。神様に見えることもあるし、自分に見えることもあるかもしれない
何に見えるかは人に依る。
それの声は蝉の鳴き声にも似ているし、赤ん坊の泣き声にも似ている。誰かの話し声に聞こえることもあるし、猫の鳴き声に聞こえることもあるかもしれない。
どう聞こえるかは人に依る。
それは言葉。それは物語。それは情報。それは命。
必死に蠢き、声をあげ、助けを請い、願いを叶える。
人々の妄想に依って産まれたそれは悲しい存在だった。ただ悲しいだけの何かだった。
人を狂わせ、喜ばせ、怒らせ、悲しませる。
最近では諏訪畔明という青年の願いを叶えた。物語を誂えてやった。
青年は驚喜し、後悔した。
それでも『悲しい何か』は悲しいままだった。人々はますます『何か』を恐れ、忌避した。
これからも避けられ続けるのだろう。避けられ続けるということは存在を認められ続けるということだ。
それは不死であることに似ている。
人が『何か』を認識し、次世代へと語り継げば『何か』は永遠の命を得ることになる。それが『何か』を避けるための警告であってもだ。
変わらず永遠に生き続ける。永遠に死に続ける。これほど悲しい事はない。
悲しいからこそ『何か』は今日も踊り続ける。




