覚醒の形2~少年の覚醒~ 1
2062年3月10日
左の掌がに柔らかく暖かい感触が伝わってくる。それが人の手であることが椋にはすぐわかった。
目を開けると、新型の蛍光灯がきれいに並んでいる。LED・CCLFの次世代型照明だったはずだ。より長寿命、高光束、高効率をコンセプトに開発されていたように記憶している。
蛍光灯型は今では珍しい。
そんなもの今更使っているのは教育機関か医療機関くらいだ。まぁそんなことはどうでもいい。
ふと左手を包む圧力が強くなったきがした。
首を左に向ける。そこには沙希がうつむきながら、柔らかい両手に力を込めている。
周りには今椋が寝ているのを除いて3つほど同じようなベッドがある。
椋はすぐさま理解した。ここは病院だ。
(なんで俺は病院にいるんだ?)
「ばかぁ…。ほんとに心配したんだからぁ…。」
そんなことを深く考える暇もなく沙希が怒りの感情がいっさい見られないお説教を始める。
大体同じ言葉を繰り返しているようだ。
「バカ」と「信じられない」という単語は、少なくとも10回以上耳に届いた。
ベットの横で泣きじゃくる少女を見ながら、椋は現状整理を始める。
お説教の中に混じっていた単語をいろいろ組み合わせていき、結論を導いた。
つまり俺は今朝、犬の散歩をしていた主婦にビルの真下で倒れているところを発見され、自殺と勘違いされ(自殺ではないが…いや自殺?)て、速攻で通報され、駆け付けた救急により病院に搬送されたみたいだ。
(そうだ…俺はあの廃ビルに行って……屋上で落ちかけて………助かってビビッて………だめだ…思い出せない…)
そこに倒れていて、なおかつ、そこまでの記憶がはっきりしているためそれは確かなのだろう。
でも、なぜ椋は自分が、どうやってビルから降りたのだろうか。どうしてあそこで倒れたのだろうか。
何かが引っ掛かる。あそこで何が起きたのか、まるで記憶にノイズがかかったようだ。思い出すのを阻止されているように。
ようやく沙希も落ち着いたようで、ようやくお説教が終わったようだ。
「で…何があったか説明してくれるの?」
沙希も一応こちらの事情を気にしてくれているようだ。
周囲からの情報と、これまでの椋を見てきた沙希は何となく答えを導き出しているが、確信は持てていない。そういった感じであった。
椋は沈黙を続ける。まさか幼馴染に自殺しようとビルに上って、落ちかけて途中でビビッてかえって来たなんて言えるわけがない。しかも記憶が混乱している今、不確かな情報をつたえるのもどうかと思う。
「椋が話したくないなら私は聞かない。でもこれだけは覚えておいて…。椋が死んだら私はとっても悲しくなるし、椋がいない生活なんて考えられない…」
頬を赤く腫らし(染め?)ながら、必死に語りかけてくる。
はたから見れば、告白、もしくはすでに恋人同士の会話にしか聞こえないだろう。
しかし、椋にそんな事を考えている余裕はなかった。
けれど、感じたことはある。
自分が死んで悲しんでくれる人が、この世にたった1人でもいたんだなと。それを知らず自殺なんて考えた自分が馬鹿らしくて、そんな自分を心の中で攻めていた。
確固たる決意をもって沙希に言う。
「もうちょっと時間をくれないか?正直に言うと昨日の記憶が曖昧なんだ。全部思い出したら、ちゃんと話す」
完全に記憶を取り戻せたら、包み隠さず、全部だ。
すると沙希の顔に少し笑みが戻ってくる。
その言葉を聞いた沙希には、もう椋に自殺願望なんてものがないということが伝わったらしい。
「わかった、待ってる。いつまででもね」
強く握られた左手の圧力がまた少し上がった。
何の恥じらいもなく握られていたその左手は、いつまでも、いつまでもあの優しい感触を忘れることができなかった。
〇~〇~〇~〇
今日とりあえず様子見として入院することになった。
自殺願望を持っていると思われているのか、正確には持っていた、だ。
とりあえず今の椋には自殺なんて事するわけないし、できるわけない。
沙希はあの後、用事があるからと2時間ほど前に帰ってしまった。
故にすることがないのである。
壁にかかっているありふれたデジタル時計を見つめ、純白のベッドにぼふんっ、と身をゆだねる。
どういった素材を使っているのか、とても優しくて、暖かい寝具であった。
家においてある自分のベッドなんかとは比べ物にならないくらい。
初めての感覚………ではないような気がする。
(最近どこかで似たような暖かさが………しかし思い当たる節はない。曖昧ということは…昨夜のことなのか?)
必死に思い出そうとしたが、やはり昨夜のことは思い出すことができない。
思い出せないものは仕方ない、と区切りをつける。必要とあらば必然的に思い出すだろう。
椋は考えるのをやめて、ただただ時計を見つめ、ぼーっとするのであった。
何時間くらいこのままいたのだろうか。
静かなモーター音に気が付くと病室に訪問者が訪れた。
自動ドアがゆっくりどスライドし、再び閉じる。
椋の病室に来る人間なんて、病院の関係者か、沙希しかいないはずだ。
しかし予想は外れた。入ってきたのは顔も名前も知らぬ同年代くらいの女の子であった。
髪は茶色く腰ほどまであるストレート、まったくと言っていいほど癖がない。身長は160あるかないかくらいだろうか。水色のきれいなパジャマを着ている。手に天然結晶が装飾されたバングルを身に着けているということは年齢が近いのだろうか?
椋の病室にはほかの患者はいない。
だから、部屋を間違えていなければ、必然的に訪問者のお目当ては椋ということになる。
少女はすたすたと歩き、椋のベットの前まで近づいてくる。
「すいません…病室間違ってませんか?」
恰好からして確実に入院患者だと判断した椋は、一応確認を取ってみる。
しかし少女は頭を振った。
少女はこちらに問いかけてくる。
「昨夜のあれはアンタがやったのか?」
「あれってなんだ?」
とっさに問いかけられたせいもあり、質問に質問で返してしまう。
「ふぅん、とぼける気?」
「いや…ほんとに言ってる意味が分からないんだが…」
これは本心である。いきなりあーだこーだ言われても理解できないのが普通である。
「そもそも君は一体誰なんだ?なんで初対面の僕にそんなわけのわからないことを…」
「人に名前聞くときは自分から名乗るのが筋じゃない?」
いきなり押し寄せてきたのはそっちだろ…心の中だけでの突っ込みを入れ、現実側では冷静に突っ込みを入れる。
「病室の前にネームタグがあっただろ?」
「知らないわよそんなの!」
名前も知らないやつにいきなり怒鳴り込むなよ…と内心で思いつつ、はぁ、と一度ため息をついた後、一応自己紹介をする。
「俺は、辻井椋、辻井って呼ばれるの嫌いだから椋って呼んでくれたらうれしいな」
誠心誠意、きわめて明るい好青年的なイメージで接してみる。
好印象だったのかは知らないが、向こうの怒りか緊張かで少し赤かった顔は、今は普通に戻っている。
「アタシは柊真琴っていうの、よろしくね」
最初は少し怖いくらいのイメージだったが、よく見るとカワイイ普通の女の子だ。
「で、本題に入らせてもらうわよ。あれはアンタがやったの?」
さっきよりは少しやさしめだが、それでも少しきつい視線をこちらに送ってくる。
ここで一つの疑問がわいてきた。
「そもそも俺の名前も知らずに俺がその|あれ(、、)?を引き起こしたって言えるのさ。というかあれっていったいなんなんだ?」
ここでもう一つ新たな声が入ってくる。幼くあどけないが、しっかりしている。
「おねぇちゃーん!!どこいったのー?」
真琴の肩がピクッっと振るえる。さっきまでの釣り目が、今度はたれ目になるぐらいまで下がってきている。
「優奈ちゃーん!今いきますよー!待ってってくだちゃいねー」
「わかった―!だからその呼び方やめてー!」
真琴が妙ににやにやしているため少し、いや、かなり話しかけづらい。
ゴホンっとわざとらしく咳き込むと、真琴が我に返ったように、元の釣り目に戻っていく。
さっと踵を返し、椋に背中を向けたまま、一言。
「見た?」
わかりきった問いだ。
「見たよ………」
〇~〇~〇~〇
真琴が妹に呼ばれ、病室から出て行く直前に
「アタシは可愛い可愛い優奈ちゃんが帰るまで一緒にいないといけないから、そだね~…2時間後くらいにまた来るわ!」
と言い残し、そそくさと去って行った。
最初とはかなり印象が違うが、なんだかんだで悪い奴ではなさそうだ。
と思いながら時計を見る。
真琴が病室を出たのが、確か12時半くらいだったはずだ。あれからもう4時間もたつ。
何もしないで待つ4時間とは実に長く感じられる。
突然の入院だったため、もちろん所持品などない。携帯もなければ財布もない。
スッとベットから起き上がり、窓があるほうに向かって歩く
病室の窓を少し開けると、少し心地のいい風が流れ込んでくる。
窓の縁に両肘をつき、少し外を眺めてみる。
外には緑の芝生が広がっている。
元気にナースと遊ぶ子供や、寄り添って話に耽る御老人たちが、そこかしこに見える。実に微笑ましい光景であった。
そこで、やっと椋の病室の自動ドアが静かな駆動音で横にスライドした。
入って来たのはもちろん、柊真琴である。
椋は振り向くことなく、やさしめの口調で声をかける。
「遅いよ…」
「ごめん…優奈ちゃんと遊ぶのに夢中になってね」
あの声や口調からして、優奈ちゃんとやらは、さほど幼くないはずだ。少なくとも椋はもうすぐ中学生くらいになる子じゃないかと予想していた。
そんな子と4時間も夢中になれる遊びとは一体何なのだろうか。
「で、アンタは何物思いにふけったような顔してんのよ…」
実際そうである。窓から外を眺めたのは数分だけ、後の時間はずっと昨夜のことを考えていた。
片肘を立てた状態で頬杖を突きながらずっと…
椋と真琴の距離は、約1メートルほどではあるが、それでも聞こえるか、聞こえないか位のボリュームで量が言った。
「いや…昨日の夜のこと考えてたんだ……途中から記憶が曖昧で、なんだか突っかかるんだよな」
さっきまでと少し雰囲気が違うのを察したのか、真琴が少し気を使っているような声で、
「ねぇアンタさぁ、アタシに一回その話聞かせてよ。昨日のあれに直結してるかもしれないし」
また出てきた単語、あれという言葉に反応して、ゆっくりと、屋外に向けていた視線を室内に戻す。
真琴の顔は至って真剣だった。その裏にあるのはただの探求心であろうか?もっと深い事情を抱えてるんじゃないかという風に感じ取れる。
ここまで来たら断るのはあまりよろしくないな、と感じた椋は、昨夜のことを、覚えている範囲で説明することを決意した。
まだ沙希にも話していないのに、今日初めて会った、自己紹介し合っただけの少女にこんなことを話すとは思わなかった。いや、初対面だからこそ話せるのかもしれない。
これまでの人生は薄く、昨夜の出来事はできるだけ濃く、鮮明に伝わるように…
「んで、ビビった俺が帰ろうとしたときに、何かに足を取られて………気が付いたらこの病院のベットの上にいた」
その後、沙希からのお説教の内容をまとめた今朝の出来事も一応伝えておいた。
あの勝気な少女が、なんだか少し暗い顔をしている。さすがに笑い飛ばせるような内容ではなかったようだ。
「大変…だったんだね……」
椋は必死に場の空気を明るくしようとする。
「そんな暗くならないでくれよ。俺だって、なんていうか…こう、学んだことだってあるんだ」
「学んだ…こと?」
「この世界には、俺の死を悲しんでくれる人がいるんだ……って」
「それが…えっと沙希さんだったっけ?」
「うん…。俺はもうあんな馬鹿な真似はしない。俺の身勝手な行動で大切な人が傷ついたり、悲しむなんて絶対に嫌だ」
真琴にとっても、心に響く言葉であった。なんだか、心の重みが消えたような、
そんな気がしたのだ。