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何が起こっているのか、椋は瞬間的に理解できなかった。
ただ叫ぶ契を見ることしかできない。
そんな状況がすでに3分ほど続いていた。
確実におかしい。
そんな言葉が脳裏をよぎる。
適正というやつが合わなかったのだろうか?
状況を整理すると、このままでは契が危ないということになってしまう。
しかし椋にはどうすることもできない。どうすればいいのかが全く頭に浮かんでこない。
それは椋の中の《愚者》も同じようで、彼も見守ることしかできないといった様子で、沈黙を続けていた。
となりで眠りにつく雁金さんに頼るわけにも行かない。
これは契の戦い。自分自身の悪と、なにより自分自身の弱さと戦う、誰も手を出してはいけないものなのだ。
『嫌だ…………』
不意に椋の耳元に小さな音が届く。
肉声ではない。しかし椋の耳には、はっきりと物音ではない何かが聞こえた。
『弱い自分が嫌だ……』
そんな声に椋は聞き覚えがあった。
それは間違いなく彼。目の前で戦い続けている契本人のものだった。
『力に負ける自分が嫌だ』
『意思のない自分が嫌だ』
『甘ったるい自分が嫌だ』
そんな自責の声が、まるでシャボン玉のように椋の耳元までやってきて、やがてはじけては消えていく。
はかない白の光が契の本音を運び続ける。
『また負けてしまった』
『戦いたくない……』
『もうやめてくれ』
『大切な人を傷つけたくないんだ』
彼の言葉が耳を通して心を刺す。
「契………………」
続く悲鳴の中でもこれだけの本音を聞きとることができた。
見ていられない気持ち。今すぐにでも助けてやりたいという気持ちを必死に抑えて、契を見守る。
「う゛ぅ゛あ゛ああぁぁぁ゛ああ゛あぁぁあ!!」
これまでにないほどに大きな声を上げ、契の身体が海老反り状態になる。
「何がっ!?」
さすがに今まで以上の異常を感じるには十分な材料だった。無意味に周囲を見渡し、助けを求めようとするが、そもそもこの島にはここに居る以外の人間などいない。もしかしたら、朱雀寮の今井がまだ島をさまよっているのかもしれないが、おそらくⅤが救出し学園に帰還しているだろう。
それに今井がもしこの島に残っていたところで彼にできることなど何一つとして存在しないはずだ。
それでもはやる気持ちが、椋の脳内を駆け巡るが、解決方法など持っているのならば既に実行している。エレメントの知識など存在しない椋に奇跡的な閃が起こるわけもない。
『何もするな』
そんな思考を落ち着けるように、|《愚者》(フール)が一言入れる。
『現状我らにできることなど存在しない。それはソコに眠る《隠者》の憑代も言っていただろう』
(それでも、ただ指をくわえて見てるだけなんて、あまりにも残酷だ…………)
『さっきの小僧の言霊を聞いただろう!小僧も必死に戦っているのだ!』
(わかってる…………わかってるけど………………)
契の周囲から放たれる純白の光が先程から純度をましていっている。これが何を表しているのか、さっぱり見当もつかない。良い方向に進んでいるのか、それとも、最悪の進路へ向かっているのか。それすらもわからない状況で、この変化は素直に喜べない。
何もできないもどかしさと何もできない自分の情けなさに苛まれながらも、やはり椋には現状を見やることしかできなかった。




