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その場の空気が一変するとはこの事だ。
いや、一変なんてものでは無い。180度だ。この闘技場からでは室内なので確認することはできないが、昼夜でも逆転してしまったのではないだろうかと思える程に冷え切った空気が重圧とともに空間を覆い、その異常さをまじまじと見せつけてくる。
正直に言うと震えている。逃げ出したいほどにだ。
足の震えを抑えることはできてもどうしても手の震えだけは止めることができない。人間としての本能の部分が逃走を促してくる。今すぐこの場から逃げろと何度も繰り返し投げかけてくる。
「おいおいぃ!どうした一年生!!ブルってんじゃねぇよ!!」
出会った時の優しげな口調はどこに消えたのか、喉を酷使してるんではないかというほどに大音量で叫ぶその声が椋にさらなる重圧をかける。
「そんな山羊がどうしたって言うんですか?そんな余裕カマしてるとまたラリアットお見舞いしますよ!」
震える右手を左手で必死に抑え、言葉を返す。ビビっているなんていうことを認めてしまえば今にも心が折れてしまいそうだ。
そもそも少し浮いているのか?黒山羊は何度も前足を上げその蹄を鳴らすが、バランスを崩すことなく悠然とした立ち振る舞いを見せる。
気づけば額から汗が流れている。
緊張だろうか?認めたくないそれなのだろうか?
左手でそれを拭い、フールに意識を向ける。
(なぁフール……どう思う……?)
『アレはマズイな………玄武のガキのそれと同じと思ってかかるなよ?』
(それは俺でもわかるよ……もしもの時のためにアレの準備もしといてくれないか?)
『わかっている。しかし出来るなら『光輪の加護』で奴は倒せ。アレを過信するなよ?』
(わかってる。頼むよ?)
『ああ。最後にひとつだけ助言をしておく。下手に《傾山羊》を狙うな。冷静に白鳥を詰めれば勝利も見えるはずだ』
(ありがとう…………………)
白鳥を狙う。フールからの助言を頭の中に染み込ませ、黒山羊の方に向い拳を構える。
「そうでなくっちゃな一年生!!せいぜい俺を楽しませろよ!!」
叫ぶ白鳥の手の動きに合わせ黒山羊が叫び声を上げる。
馬が大地を駆け巡るように蹄が音を立て、ゆっくりと黒山羊が全身を始める。前足が一本だけのせいか、よく聞く馬の走る音とは違い少々間の抜けた音が闘技場内に響き始めた。




