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「よっと」
大久保がのっしりと腰を上げる。
掛け声をつけるあたりおばちゃんっぽいのだろうが、実際の女の子の動作としては実に可愛いものだということを改めて実感する。
「ほなウチ、そろそろ帰るわな!」
「えっ?もうそんな時間ですか?」
そう言って時計を確認する。時間は午後5時過ぎ、5月の空はこの時間でもまだ少し明るい。
「第一寮は寮監がちょっと厳しい人でなぁ……帰寮時間一秒でも過ぎるともうアウトなんや……」
「アウト……?」
微妙に引っかかったその発言を聞き返す。
「アウトや」
「えっと、その具体的に……どんな?」
何を隠しているのだろうか?何がどうアウトなのだろうか?
そんな軽い気持ちで聞いたのだが、大久保は全身を大げさに震わせ、この世の終わりのような表情をしながら静かにつぶやく。
「アレはなぁ……アカンのや……」
「だからそのアレってなんなんですか?」
「どうしても聞くんか?」
深刻な表情の大久保の問いかけに思わず唾を飲み込む。
「教えてください……アレとかアカンとアウトとかもう全部ひっくるめて……」
「わかった……教えたる……」
なんだこの緊張感?と言いたくなるほどに体全身が強ばる。
大金をかけた2択クイズでもやっているような感じが全身を包む。心臓の鼓動が直に耳に響き、さらに加速していくのを実感できる。
「実はな………第一寮監は……女性に対してはドMに、男性に対してはドSになるという変わった性格、いや嗜好の持ち主なんよ……」
「………………………………………えッ?」
「少しでも帰寮時間が遅れるとな?特別室という名の個人経営SMクラブに連れてかれてプレイさせられるという地獄が待っとるんや……」
「………………………………………えッ?」
「彼女が満足するまで日が昇ろうがまた沈もうが返してもらわれへん……」
「………………………………………えッ?」
「ウチで最長17時間や………」
「………………………………………えッ?」
「これまで最長記録が57時間飲まず食わずや………」
「………………………………………えッ?」
「地獄やと思わへんか?」
「地獄やと思いますわ…」
返事があまりにも単調だが、それ以外の言葉を探す余裕がなかったとでも言おうか、くだらなさに恐ろしさが混ざってもうカオスになっていたのだった。うん、マジカオス……。
とか考えながらとんでも寮監の顔を想像する。
「てなわけで、ウチそろそろ帰るな!」
勿論そんな話を聞いた後に彼女をここに留めておく訳にもいかない。
「じゃあ僕も失礼しますね」
そういって椋も腰をあげる。一礼し踵を返すと、そのまま第七寮に向かい歩行を開始する。今日聞いた寮監の特殊嗜好は聞かなかったことにしよう。そう心に誓ったのだった。
「伍莉君!!」
大久保の声が後ろから聞こえる。呼び止めるように叫んだその声に反応し、振り返る。
「ありがとうな!!」
そういって大きく手を振る彼女の姿を見て少しだけ幸せな気分になりながらも、こちらも小さく手を振り、ふたたび帰寮途に着こうと目線を流しながらふたたび踵を返そうとする。
「なッ………!!」
しかしそれは途中で止まる。
「なんで……!!」
目に留まったそれによって。
「どうして……」
彼女の振る右手、それによって下がる制服の右袖、そこから覗く黒い物体。
「どうして先輩が!?」
重力に従い徐々に袖が下がり、それが姿を現す。黒く歪な造形、それと対をなす白い物体を持っている椋にはそれが何か理解る。そう、あれは間違いなく七罪結晶コードネーム《暴食》だ。
何となく引っ掛かってて、出かかっていたその紐がするするとほどけだした。




