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2062年3月11日
規則正しい生活をしているわけではないが、いつも通りの時間に目が覚めてしまう。
ゆっくりと体を起こし、すたすたと自動ドアの前へ、一度大きな欠伸をし、再び歩みを進める。
目的地はトイレである。そもそも病院に何も持ってきていないため、やることなんて、寝るかトイレにくらいしかない。
一度外に出てみようかと迷ったが、昨日は柊真琴とお話に花を咲かせていたため、ろくに外に出ることができなかった。
1分もしないうちにお手洗いに到着する。ゆっくりと用を足し、ズボンを上げ、手を洗う。
蛇口の前に備え付けられた鏡で自分の顔をまじまじと眺めてみる。すごく眠たそうな、だらしのない顔をしている。
自分で言うのもなんだが、不細工ではないと思っている。
なんだかもう全部ふっきっれた気がする。顔に思い切り水をかけて眠気を飛ばし、気合を入れる。
鏡に映る男は、一昨日までの自分とは別人のように明るい顔をしていた。
トイレを済ませ再び病室に戻ると、そこには七瀬沙希の姿があった。
着替えと、入院費などが入った少し大きめのショルダーバッグを持ってきてくれたのだ。
こういう時は普通両親が来るものだろうと思っては見るが、そんなレアな現象が起こるわけがない。
辻井家の家庭事情は結構複雑なため、昔から椋と仲良くしていて、家族ぐるみのお付き合いである七瀬家にいろいろとお世話になるのであった。
「おはよう、椋。」
「おはよう。面倒かけてごめんな…。」
本当に申し訳なさそうに、沙希に頭を深く下げる。
沙希にとって今日は休日である。わざわざ朝早くに呼び出されるなんて正直面倒なはずだ。
「いいのよそんなこと。それより退院手続まだしてないよね?」
そういう世話焼きなオカンタイプの性格なのだ、本人が気にしていないと言う以上、こっちが頭を下げ続ける意味はない。
「うん、まだしてないね。サッサと済ましちゃおう。」
あまり重量はないショルダーバッグを肩に下げ、1日お世話になった病室を後にする。
退院手続を終え、沙希の歩調に合わせながらゆっくりと病院の出口に向かう。
少し沙希の歩くスピードに意識を向けすぎたか、前から小柄な女の子が下を向きながら全力でこっちに向かってきているのに気が付かなかった。
身長140センチくらいだろうか?見た感じでは小学生くらいだ。
しかし今の椋にそんなことを冷静に観察している余裕などなかった。
椋の身長が160後半ぐらい。少女が今の姿勢のまま突っ込んで来ようものなら、確実に顎にクリーンヒットするであろう。
少女もハッと顔を上げ、椋の存在を確認したようだ。
しかしもう遅い。二人の衝突は不可避である。
(たった今看護士さんに『お大事に~』と言われたばかりなのに…またお世話になるかもな。いや、きっとお世話になるはずだ…これは。)
覚悟を決めた椋は、舌をかまないように口を閉じ、両手を開き、すっと目を瞑る。
無理に減速しようとした少女の頭の角度が、さらに状況を悪化させることになるなんて…
目を瞑っていた椋が知る由もなかった。




