鏡一の推理 1
「探偵…キミが?」
名刺を見た警察官は、余計に胡散臭そうな目で砂影鏡一と名乗る彼を見た。
「ええ、いけませんか?」
「いや、そういう訳では…」
瞳には、警察官の言いたい事がわかっていた。
探偵を自称する砂影は、どこからどう見てもただの高校生だ。
高校生で探偵。略して高校生探偵。
(漫画じゃあるまいし…)
傍から客観的に見ている瞳の目にも、砂影という男が何とも胡散臭い存在に見えた。
しかし当の砂影自身はそうした視線に動じる事もなく、一方通行路を左右から囲む住宅の列を一瞥し、再び警察官に向き直った。
「お願いします。この事故…いや、“事件”にはさらなる捜査を行う時間が必要です。結論を出すには早すぎます」
「いや、誰も結論を出すなんて言ってないよキミ。とりあえずここだと人目にもつくし、署の方であらためて話を聞こうと」
その時、砂影の表情が恐るべき変化を見せた。
今まで学生らしからぬ余裕のある飄々とした顔つきをしていたのが、突如激しい感情をはらんだ肉食獣のような凶暴な視線を警察官にぶつけだしたのだ。
「そうやってまた、密閉された檻の中で事実を“作る”のか…アンタ達警察は、信用できない!」
「な、なんだ…と………」
反論しようとした警察官の声が、しぼんだ。
それもそのはず、周りで見ていた瞳たち野次馬に対してさえ、今の砂影は底冷えするような強烈なオーラを発していた。
まして、それを正面から受けている警察官の衝撃はいかばかりだろう。
(何このヒト…こ、怖い…)
なぜだろう、彼の表情からは何かに対する強い憎しみのような物を感じる。
瞳の学校の男子にも強面と評される者は何人かいるが、これほどの迫力を持つ者はまずいない。
一体彼の過去に何があったのだろう。
しかし、その後すぐ砂影はもとの雰囲気を取り戻した。
「…さすがに、失言でしたね。すみませんでした」
「い…いや…」
すっかり気圧されてしまったのか、警察官はしどろもどろになっていた。
その後ろから罵声が飛ぶ。
「おい、しっかりしてくれよお巡りさん!そんなガキに構ってる暇あんのか?」
ハゲ頭の男が、焦れて警察官に文句を言っている。
「私が人をはねたの…?どういうことなの…?誰か教えて…」
記憶喪失の女性は、手の中に顔をうずめていた。
警察官は何とか職業意識を取り戻し、この混乱を収拾するべく
「と、とりあえず…上の方に相談して見ます…」
そう言って無線機を取り出し、周波数のつまみをいじった。
「もしもし、こちら…」
その瞬間、砂影が無線機をひったくった。
「あっ!こらキミ!」
「もしもし、樫本興信所の砂影と申しますが、藤乃木警察の柳田警部に取次ぎ願えますか?」
ひったくった無線で、何やら取次ぎを頼み始めた砂影。
「え?どこの誰かって?だから柳田警部…え?私が?そんなのどうでもいいじゃないですか。警部に聞けばわかりますよ」
(警部…?警察に知り合いがいるの…?)
しばらくして、目当ての人物が無線に出たようだった。
「ああ、柳田警部。砂影です。お忙しい所申し訳ありません。実は折り入ってお願いがありまして…」
本当に知り合いがいたらしい。
(砂影鏡一…いったい、何者なの?)
疑念は深まるばかりだった。
その後砂影と無線をかわった警察官は、信じられないといった顔をしていた。
「あの…警部?よろしいのですか…?高校生ですよ…はあ、はあ…は?………りょ、了解しました…」
警察官は無線を切った。
「捜査の許可は頂けますか?」
「…警部が、キミは優秀だから大丈夫だと………好きに、しろ」
「ありがとうございます」
「ああ!?ふざけんなよ!?シロートに調べさせるなんて、この国の警察どうなってるんだよ!」
警察官はハゲ男の叫びを無視した。
「ところで、聞きたい事があるんだが、さっきキミは、“事故”ではなく“事件”という言い方をしたね?もしよければキミが現時点で想定している事実を聞いておきたいんだが」
「ええ、確かに事故ではなく事件です」
「事件というと、まるで何か犯罪性のあるような言葉だが…」
「ええ、私は今回の衝突は“当たり屋事件”であると考えています」
「あ…当たり屋?」
当たり屋!
瞳は、その言葉の持つ意味を思い浮かべた。
——故意に車にぶつかり、治療費などを要求する事。
つまりそれは—
「俺がわざと車にぶつかったって…そう言いたいのか…このクソガキ…」
ハゲ男は、怒り心頭といった様子で、拳を握ってぶるぶる震えだした。
砂影はそんなハゲ男を華麗にスルーし、警察官が持っていたメモのような紙を覗き込んだ。
「あの泣いてるおばさんが内山陽子さん…それで…」
砂影はハゲ男をちらと見た。
「あの…ちょっと毛がない人が西木伸也さん…ね。やっぱり名前がわからないとやりにくい」
何ともマイペースな男だ。
「毛がないだとっ!黙って聞いてれば調子に乗りやがって!」
さっきから全然黙っていないくせにハゲ…西木が逆上する。
砂影はなだめるように手を広げて見せた。
「ま、ま、ま。これから説明しますよ」
傍から見ていても憎たらしいくらいの冷静さだった。
「それにしても西木さん。イカしたTシャツ着てますねー」
唐突に、砂影はそんな事を言った。
「ああ?」
当然、怪訝そうな返事が返ってくる。
「黄色地の上に青色のプリント…西木さん、そのプリント、読めます?」
「何だってんだ?」
「読めますかって」
「ちっ…。何だ…『ビー・エル・ユー・シー』………ん?」
「どうしました?」
「い、いや!『ビー・エル・ユー・シー』!『BLUC』だよ!それがどうかしたか?」
(あれ、“部落”じゃないのかしら…)
その時、砂影の目がギラリと光った。
「本当は、『BLUE』じゃないんですか?」
(あっ)
その発想はなかった。
プリントの一部が剥がれたのなら、元は違う文字だったのかもしれない。
西木は、明らかに動揺していた。
「えっ…い、いや、ちげえよ!」
「じゃあ、教えて下さい。あなたの知っている言語で、『BLUC』って綴りの、意味を持つ単語は存在しますか?」
「知るかよ!あ…あれだ、略語じゃねえのか?」
「…確かに、その可能性もない事はないですが…問題は…」
砂影はスラックスのポケットをまたまさぐり、今度は携帯電話を取り出した。
黒く角張った、スタイリッシュなデザインだ。
「こういうモノが、ある事です」
素早くボタンを捜査して、西木の鼻先に画面を突きつけた。
「ん………!」
西木の肩がびくっと震える。
瞳も少し離れた所から目を凝らしてその画面を見た。
そこには、携帯カメラで撮られたのであろう、写真が映っていた。
車の運転席のようだ。
「さっき、事故車両の中をちょっと覗かせてもらったんですが、面白いモノがありまして」
そういって砂影は携帯電話をしまい、今度は前面がひしゃげた乗用車の所まで行き、その運転席のハンドルの縁を指さした。
一同がそれに従って運転席を覗き込む。
運転手のおばさん…内山陽子の趣味なのか、キャラクターのストラップのような物が何個もぶらさがっていた。
そして、そのハンドルの縁には…。
「あっ!」
思わず瞳は声を上げた。
警察官や、内山も驚きを隠せない様子だ。
「これは…間違いないでしょう…」
砂影が言った。
字体が角張っていたのでよくわからなかったが、もし『BLUC』の『C』が『E』だとしたら、真ん中の横棒が一本足りない事になる。
その一本の横棒に相当する部分…
細長い青いそれが、ハンドルの縁に付着していた。