日記
日記帳が落ちていたのは私の部屋の床の上だ。目にした瞬間、大きな動物の死体に見えた。だけどよく見るとそれはただの古びた青い布張りの本で、開いてみると、ページの外側が丸く黄ばんでいた。
これは私の日記帳だ。文字に見覚えがある。記憶もおぼろげな過去に、鉛筆を持ち始めて間もない私が書いたものだ。
パラパラとめくる。内容は記憶に無い。
『二月十日。今日はゆいちゃんが来てくれなかった。つまらない。』
『三月二十一日。ゆいちゃんが来た。お医者さんごっこをした。』
『五月二日。ゆいちゃんがやって来て、またお医者さんごっこをした。』
『六月十八日。いくら頼んでもゆいちゃんがお医者さんごっこを止めてくれない。とても痛かった。』
『六月二十日。ゆいちゃんが私の家に住み始めた。またお医者さんごっこをした。』
『六月二十一日。ゆいちゃんが私の部屋に来た。もう嫌だと言ったのに、またお医者さんごっこをし始める。痛い。痛い。痛い。痛い。』
『六月二十二日。ゆいちゃんが瓶を持ってきた。緑色の水の中に、指が五本浮いていた。私の指だった。』
お医者さんごっこをした日数と、指の数は一致していた。私は自らの手をジッと見て、両手の外側からゆっくりと指を数えた。十本あった。
『六月三十日。ゆいちゃんが私を裸にして、一つ一つ点検した。きれいな体ね、とゆいちゃんは言った。』
『十月三日。ゆいちゃんのお医者さんごっこが終らない。私は止めて、と何度も叫んだ。ゆいちゃんが私の体をおもちゃにする。痛い。痛い。お父さんも、お母さんも、私の叫びに気付かない。誰も助けに来ない。』
『十月二十八日。ゆいちゃんが笑っている。笑って、私の指を縫い直している。』
私は唖然としていた。あごを手で支えながら、子ども時代の自分の妄想に呆れていた。奇妙なことを考えたものだ。だけどこの妙な記録に覚えは無くて、私は何度も首をかしげた。
私は読み終った雑誌の束に、その毛ばだった布張りの日記帳を突っ込んだ。それを階下に運んでいるとき、ドアが開いて母が玄関に現れた。
「近所に引越してきたゆいちゃんよ。遊びに来たいっていうから連れてきたの。遊んであげて」
ニコニコ笑う母はピンク色の可愛らしいブラウスを着た小さな女の子を連れていた。目ばかりが大きな醜い子供だった。その目で私をじっと見つめている。にこりともしない。
彼女はおもちゃの聴診器を首にかけていた。そして私の提げている本の束を見て口元が小さく動いた。私は今日は何日だっただろうと考えた。女の子は、
「お医者さんごっこをしよう」
とつぶやいていた。
《了》