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紅い果実  作者: 酒田青
紅い果実とその他の短い幻想ホラー
5/58

あやめの花

 図書館で借りた時代遅れのミステリー小説を開くと、中には薄い象牙製のしおりが挟んであった。

 細かい彫りのあやめの花が、つるりとした乳白色にさやかに映えていた。細い薄紫のリボンがぺちゃんこに潰れている。

 私はすぐにそれが気に入った。

 きっと高価なものだし、持ち主も大切にしていたに違いない。今頃探しているかもしれない。図書館に届けておくべきかと考えた。

 だが、私はそれを自分のものにした。欲しくて欲しくてたまらなかった。誰が何と言おうとそれは私のものだった。

 私はそれをベッドサイドテーブルの引き出しに入れた。盗んでまで手に入れたものを、使い回して傷付けたり、紛失するのは嫌だった。

 私は、本はそっちのけでしおりのことばかり考えながら寝た。

 夢を見た。

 私はあやめの花が咲き誇る丘の上にいた。

 黄色い空が広がり、紫色の太陽が照り輝いていた。

 女がいた。丘の頂上に蹲っていた。身なりを構わないらしい女で、ボサボサの髪と、大きすぎる服の袖が風になびいていた。顔は見えない。

 私は彼女に一歩近付いた。

「あやめが泣いていますね」

 私の言葉に、女はゆっくりと頷いた。

「あやめは私を憎んでいますか」

 女はまた頷いた。

「あやめは私を愛しています」

 女は首を振る。

「あやめを私のものにします」

 女は激しく首を振る。

「あやめは私の愛人です」

 女は首を振らなかった。その代わり、ゆっくりと立ち上がった。うつむいた顔はやはり見えない。

「あやめは泣いています」

 低く、陰気な声で女は呟く。

「あやめはあなたを憎んでいます」

 私を指差す。

 顔を上げる。

 私が悲鳴をあげる前に、目のない女は黄色い歯を剥き出して叫ぶ。

「あやめは私のものだ!誰にも渡さない!」

 汗ばんでいた。心臓の激しい鼓動と突然の目覚めで、私は絶望的なまでの混乱に陥った。

 しおりのせいだろうか?

 しおりを盗んだ罪悪感で、こんな夢を見たのか?

 私は、自身のの体の震えにさえ怯えながら、カーテンの外を覗き見た。

 真っ黒だった。

 深夜の闇が、私の怯えを加速させた。

 明るい電灯の下でやっと落ち着きを取り戻した私は、あやめの花のしおりを図書館に届け出ることにした。

 別に罪悪感があったわけではない。霊的な何かについて恐れたわけでもない。

 ただ、何か不気味だった。

 私はしおりの持ち主について想像した。どうしてもあの目のない女が頭に浮かぶ。

 私はしおりを通して持つ、以前の持ち主との繋がりを薄気味悪く感じた。けして夢の女と同じ人物だとは思わないが、早く断ち切りたかった。

 朝日が覗き、僅かながら明るさの勝った時、ようやく外に出る勇気を得た私はすぐに自転車で図書館に行った。

 固く入り口を閉ざし、人気のない図書館の郵便受けに封筒を入れた。中にはしおりと、それを説明した走り書きのメモが入っている。

 ようやく安心した。私は呪縛から解放された気分ですがすがしく家に帰った。

 その日一日は何の問題もなく過ぎた。

 夜になると、私は昨日の夢のことをすっかり忘れたまま眠りについた。

「あやめは私のものです」

 私はまた、あの丘の上、あのあやめの花の群の中、あの空と太陽の下にいた。

 女は昨日より更に近いところに蹲っていた。何かをぶつぶつ呟いている。

 女が目のない目で私を見る。私は無言で女を見つめ返す。

「あやめの花が泣いています」

 女が泣き出す。涙が流れる代わりに顔が醜く歪む。

「あやめの花が泣いています」

 紫色の花の群は、風にそよそよと吹かれて揺れていた。


 《了》

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