絶滅
ぼくは、一人だった。
皆につまはじきにされ、笑われ、気まぐれに蹴られ、いつも一人にされていた。
遠くには皆がいて、男はサッカーをし、女はハンサムなヤマザキが身軽に走るのを見てキャアキャアと騒いでいた。ヤマザキはぼくのことを一度も見ようとしたことはない。ぼくが存在することさえ知らないのかもしれない。
「おじさんはね」
不意に後ろからかすれた声がして、ぼくは後ろを振り返った。ギョッとした。
ぼくの側の木陰に、汚い浮浪者の男がいたのだ。この暑いのに分厚いジャンパーを重ね着し、髪の毛も髭も伸び放題で顔も垢じみて不潔だ。
ぼくはあからさまに顔をしかめた。汚いやつ。しかし男はにやにやと黄色い歯を剥いて笑う。「おじさんはね、絶滅動物になりたいんだよ」
ぼくは黙っていた。こいつは何を言ってるんだろう。男は続ける。
「おじさんはね、狩り尽されたマンモスだとか南国の鳥だとかが羨ましかった。
だって、いなくなった種類の生き物はこんなに思い返してもらえる。骨や羽や土に残った足跡さえ、大事にしてもらえる。
おじさんは絶滅動物になりたい」
こいつはなぜぼくにそんなことを言うのだ。ぼくには関係ない。こいつとぼくとは関係ないのに。
「絶滅したら、いいのに。みんなみんな、絶滅したらいいのに。生意気なやつらも、偉そうなやつらも、残酷なやつらも、いなくなればいい。
そうしてぼくだけが残る。ぼくだけの世界がそこにある。ぼくだけが大切にされる」
これは、誰が言っているんだっけ?
「皆の体は腐って地面に溶けこんで、跡形もなくなる。だけどぼくだけは骨が残る。新聞に載って、テレビに出て、研究者が群がって、ぼくは博物館に飾られる。ぼくは人気者になる」
男は力無く笑っている。どっちだ?話しているのはどっちだ?男が黒く汚れた指を立てる。
「じゃあ、皆で絶滅しようか」
急に空が暗くなった。子供達はざわめいた。ぼくは空を見上げる。溜め息が溢れる。
薄紫の、果てしなく広がる布が、空から地面にゆっくりと落ちてくる。
落ちて、落ちて、たなびいて。
とうとう地面を覆った。柔らかい。それに冷たい。
ぼくたちは絶滅した。
地上には生き物がいなくなった。静かだ。
みんなの体は消えた。ぼくの骨だけが残った。
だけど何十億年経っても、誰も掘り起こしに来てくれない。
《了》