乳しぼり
お母さんが、「牛のお乳をしぼっておいで」と私に命令しました。生意気なお母さんです。
「牛の乳をしぼるなんて嫌だよ。お母さんがおやりよ」
私は閉じた口の片方だけを上げて笑いました。こうすると、人を簡単に怒らせることが出来るという事を知っているのです。
案の定、お母さんは激怒して、私に牛の乳を入れる大きな鉄の缶を投げつけました。缶はすごい勢いで飛んで来たので、頭にぶつかってガン、と大きな音が鳴りました。その瞬間、私の意識は遠のきました。
「何をふらふらしているんだい。早くおやり」
お母さんは私を無理矢理立たせて、へこんでしまったあの缶を私に持たせました。私は「お母さんがおやりよ。お母さんがおやりよ……」と呟きながら、よろよろと草っ原を歩いて行きました。
頭から血がたくさん出ています。目に入ってくるのでとても邪魔です。
私はたくさんの牛から、一番綺麗な牛を選びました。牛は汚いので、どうせなら出来るだけ臭くも汚れてもいない牛のお乳をしぼりたかったのです。
牛はとてもおとなしいホルスタインでした。じっと立っています。
私は頭から血が出て目に入ってくるせいで、目の前が真っ赤です。参ってしまいます。
「おとなしくおしよ。私は牛の乳をしぼるのは大嫌いなんだからね」
私は牛に忠告し、垂れた乳首を握ろうと体を牛の下に持っていきました。
何だか変な臭いがします。
私は目に入った血をぬぐい、よく牛を見ました。途端に、吐いてしまいました。
牛の表面は、カビでびっしり覆われていました。
私が綺麗だと思った白い毛は、実は白カビでした。
血のせいで黒く見えていた斑点は、緑のカビでした。
他にも、赤いカビや黒いカビがポツポツと生えています。何て汚いんでしょう。
牛は腐って死んでいるようでした。だって目玉が眼孔から垂れているのです。舌はベロンと出て、ウジがたくさん湧いています。
「全く、呆れた牛だね」
私は牛を罵って、乳しぼりを始めました。地首を二つ握り、缶に向向けてギュッとしぼるのです。
ヂュウ、という音が鳴り、茶色く臭い液体が出てきました。どうやら牛の腐った体が溶け出て来たようです。
「呆れた、呆れた」
私は腹を立てながらどんどんしぼりました。茶色い腐った液は缶を満たしていきます。
牛が、段々ぐらぐら揺らいでいきました。私は構わずヂュウヂュウしぼります。
牛はますます不安定になります。「おとなしくおしよ!」そう叫んでも無駄です。
私が腹立ち紛れに地首を思いきり引っ張ったときです。お乳のたまる膨らんだお腹が、ビリッと裂けました。
そして、ドオッと、牛の腐った中身が、私と缶の上に降り注いできました。とても臭く、とてもぬるぬるしています。私はまた吐きましたが、それも流れてしまうほど、中身はどうどうと落ちてきます。
「いいかげんにおし!」
私は牛を下から突き上げました。すると、牛は骨も腐っていたらしく、ドドド、と崩れて、私に覆い被さってきました。骨は砕け、腐った皮は私の体を突抜けて、私は腐った牛の残骸から体を生やした格好になっていました。
「全く呆れた牛だ」
私は怒りながら缶を牛の残骸の中から探し出し、中にちゃんと牛の出したものが入っているのを確認すると、家にスタスタ帰っていきました。
身体中は腐った牛の残骸で汚れているし、まだ頭からダラダラ血が出ているしで、私は心底腹が立っていました。
「乳をしぼってきたよ」
私は叫びました。お母さんは私をちらっと見ました。
「乳置き場に置いておおきよ」
お母さんはまた命令します。
「それから豚を一頭殺しておおき」
私は心底うんざりしました。
《了》