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壁
壁を見ると、顔があった。
俺は呆然と壁を見つめた。煙草のヤニで茶色くなった俺の部屋の壁には、老婆の顔が浮き上がっていた。
皺に埋まった小さな目、大きな鼻、口角がひどく下がった大きな口。
俺の母親だった。それも、今よりはるかに老いていた。
母親は今、俺のあの辛気臭い田舎に一人で暮らしているはずだ。
この顔は、何だ?
顔は皺くちゃの顔を更に皺くちゃにして、泣いていた。口が震えていた。涙は壁をつたって床にたどり着いた。
俺は吸いかけの煙草を指にはさんだまま、後退りした。
顔は鳴咽を漏らす。
「うう~、うう~、幸宏~」
俺の名を呼んで泣く。俺は恐ろしくなる。
「幸宏~、幸宏~」
今度は手が出てきた。平らな壁から粘土のように、壁と同じ色の腕が生えてくる。
「幸宏~」
母親は俺の名を何度も呼ぶ。
「何だよ」
俺は引きつった声でわめく。
「何なんだよ!」
「幸宏~、うう、幸宏~」
とうとう壁から足が生えてきた。
もう俺には後ろに下がる余地は無かった。
《了》