昔の女
「どうも……、今日は」
私が戸惑い気味に挨拶をすると、女はにこやかに会釈をして去った。
青く涼しい竹藪の中の道は、生きているものがいるとは思えない静けさだった。
風の力で枝同士がこすれあい、さわさわと音を立てた。光る竹は揺れた。
ここには私一人しかいなかったはずだ。
いつの間に、女が目の前に姿を現し、擦れ違った。
不思議な姿だった。
分厚いロングヘアに薄い前髪、真っ赤な口紅。先細りの色褪せたジーンズをはいていた。私にとっては懐かしい格好だった。
しかし、懐かしいとは感じなかった。
あまりに時の流れを無視した彼女のファッションは、寧ろ異次元の不可解さをかもしだしていた。
後ろを振り返る。もういない。下りの坂道に消えてしまったのか?
再び前を向く。
さっきの女がいた。
私は息を呑んで立ち尽くす。
「こんにちは。今日は涼しいですね」
女は腫れぼったい目を細めて私に笑いかけた。
硬直した私を残し、すぐ側を通りすぎていく。
私は恐慌に陥った。
今のことが一体どういう事態だったのかは分からない。
陥ってしまったパニック状態の収集をつけられないまま、本能が命じるのに従って走り始めた。
広い竹藪の中の長い道を走り抜ける。
出口が見えてきた。ホッとして足の動きを緩め、うつ向く。
女ものののスニーカーが見えた。
「こんにちは。今日は涼しいですね」
顔を上げる。女が微笑んでいた。
女は息をするのも忘れて凍りついてしまっている私の側を通りすぎた。
《了》