燕
燕が帰ってきた。
去年、燕が我が家の軒先に巣を作った。
親鳥の見事な飛行技と、姿は見えないけれど聞こえてくる、雛鳥の餌をせがむ声の可愛さに喜んだ私達家族は、雛の糞が玄関を汚すことなど構わず、毎日泥で作られた小さなお椀型の巣をニコニコと眺めた。
その時期の家族の話題は燕一色だった。母などは親鳥にそれぞれ名前を付けて呼んでいた。
ある日、父と私が家にいるとき、外が騒がしくなった。
羽音と奇声、ガタガタという音。燕に何かあったようだった。私は外に飛び出した。父も驚いてついてきた。
蛇が玄関先でのたうちまわっていた。口からは黒い小さな体がはみだしていた。
「燕が食べられてる!」
私はうわずった声で叫んだ。
蛇の側には壊れた燕の巣が落ちていた。蛇の重みで落ちたのだろう。
雛はいなかった。空っぽだった。
「この……!」
頭が真っ白になった私の脇から、父が何かを振り下ろした。草刈り用の鎌を蛇に突き刺したのだった。
消化に忙しかった蛇は動きが鈍く、まともに一撃を食らった。口に燕を含んだまま、苦しんで暴れた。
「この野郎!」
父は獣のような顔で、何度も鎌を振り下ろした。辺りに血が飛び、蛇の姿は原型を留めないものになった。蛇はぐったりと死んだ。
父は蛇の口から燕を引っ張り出した。私は父の一連の動作を呆然と眺めていた。
燕は生きていた。暫く玄関に置いていると、体を動かす元気を取り戻した。鳥はよろめきながら、我が家を飛び立った。
燕の顔は変形していた。目は飛び出し、頭が斜めに歪んでいた。それでも、チヨチヨと鳴いた。
私達親子は、それを見た途端燕を地面に放り出したのだった。助けたことに、突然後悔の念を覚えた。
燕が飛び立ったときは、本当にホッとした。
ズタズタの蛇の死体を見た。私は、私達の行為の偽善に気付いて愕然とした。
私は吐くような嫌悪感を、しばらく忘れられなかった。
また春がやって来た。暖かくて綺麗ないつもの春だった。家を出たとき、燕が目の前を横切った。
燕はいつの間にか巣を作っていた。まだ静かな巣の上から、チヨチヨと鳴いて顔を覗かせた。私はゾッとした。
燕の顔は変形していた。
燕は、噛み合っていない嘴で、チヨチヨと私を呼んだ。
その燕は毎年巣を作りに来る。私と父になつき、付きまとう。
私は、燕が怖い。
《了》