犬
首が奇妙に右斜めに曲がった犬が、僕の方へ歩いてくる。
茶色い雑種犬。巻いているはずの尾は、途中で千切れている。
犬は、首を曲げたまま、僕に笑いかける。口許が痙攣している。めまぐるしく眼球が動く。
僕は後退りする。
犬は、笑顔を絶やすことなく僕に歩み寄ってくる。
僕はまた後退りする。
首の曲がった犬は、その姿のまま僕に駆け寄ろうとする。
僕は走り出す。
全速力で逃げる。犬の笑顔を避けるために。
その背後から、犬の爪が激しく地面を弾く音が聞こえる。
息遣いが聞こえる。
熱い呼吸を足元に感じる。
僕は、泣きながらスピードを上げる。
ハアハア、ハアハア、ハアハア。
犬の息は離れようとしない。
僕は叫ぶ。助けて、と。
次の瞬間、道の両脇に並んだ家々から、バタンバタンという音が聞こえる。
見ると、ドアというドア、窓という窓が次々に閉ざされていく。
僕は叫ぶ。助けて、と。
辺りは静まりかえっている。
ハアハア、ハアハア、ハアハア。
犬の息遣いだけが、すぐ後ろから聞こえてくる。
僕は徐々に力つきてゆく。
筋肉の突っ張りを無理に引き延ばしながら走る。だけどどうしようもなく減速していく。
僕は悲鳴を上げる。
犬は、追い付いた。
犬の曲がった首が僕の右足に延び、よだれの引いた口が僕のふくらはぎに向かって開いてゆく。
《了》