泡
夜は生き物の気配すら無い。
街灯が足下をうすぼんやりと照らす。
人がいない。車もない。月もない。
空気は動かない。ただ体の周りを生温く撫でるだけ。
あのコンビニエンスストアにいる店員は、現実のものだろうか。虚ろな瞳は何も見ない。誰も見ない。
靴音が街に響く。骨組みだけのマンションに。空っぽの寺に。冴えないネイルサロンに。
靴音だけが楽しげに踊る。傍観者はこの街で一人だけ。私は足元をじっと見つめながら歩く。
ドアを開ける。ここにもうすぼんやりと光がある。だが月ではない。太陽でもない。
人工の光がともって、四角く輝くのはこの部屋だけ。チカチカ踊る。
ガラスのコップに冷たいレモンティーを注ぐ。
縁に張り付いた泡が私を映す。円になって、たくさんの私の顔がじっと私を見ている。
しばらくすると、泡が笑う。私を見て笑う。そしてくるくると回る。まるで踊っているかのように。
ぐるぐるぐるぐる。私は自分がここにいないような気になる。金色の泡の中の球状に膨らんだ顔が、私の本当の顔じゃないか。
ぱちんぱちん。私は小さな私を一つずつ指で潰す。
コップの中の泡はいっそう歪んだ顔を奇怪に歪め、激しくくるくる回る。
夜が終らない。朝も来ない。
《了》