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八.

「先生、僕は嬉しかったんですよ。この本を先生がくれたとき、やっと、僕にも、なにか一つやってみようという気になれたんですから」


 黒のジャケットのポケットに両手を突っ込んだDが、はにかんで言った。


「しかし、君は僕のことを恨んでいるのだろう。 僕が休職のための診断書を持たせて、君を去らせたことを恨んでいるんだろう。 僕が、君の将来を見限って、診療を放棄したのだと思ったのだろう」


 Dは穏やかな表情を保ったまま、「ええ、まあ」と頷いた。


 線路の先のずっと遠くを見つめていたDは、ふと、僕を振り返って言った。


「先生は、他の患者にも、僕に対するようにやっているのですか?」


「え」


「そんなんじゃあ、心がいくつもあったって、やっていけませんよ。もう少し、気持ちを大きくもたれた方がよろしいですね。今までに、先生が関わった患者一人一人のその後の人生なんて、先生には関係のないことなんです。先生の責任の範疇(はんちゅう)を超えています。もう少し、気楽にいきませんか?」


 K教授みたいなことを言うDだなと僕が笑った瞬間、Dの顔はK教授になった。ぱんぱんに膨らんだ丸顔に、Dの華奢で長身の身体には不釣合いだった。


「医者というのは、大変な仕事ですね。人の生き死にに関係するんですからね。小説なら、いくらでも人は死にますし、生かすことはできますが、現実はというと、そうはいかない。でしょう?」


 Dの顔に戻ったDは、

「先生はやはり、小説をお書きになったらよろしい。この本は先生が持っておいて下さい。きっと、日々の診療に役立ちますから」と言った。


 僕は本を受け取ると、

「SF小説より、サイコサスペンスの方がよっぽど良かったな」と笑った。


「あははは」

 Dは笑った。



 僕は今まで、数え切れないほどの患者の心を解剖してきたつもりでいたが、実は、解剖されていたのは、ずっと、僕自身だったのかもしれない。……



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