六.
ホームのトタン屋根から、ぽたぽたと水滴が落ちてくる。Dは、雪に埋もれて見えなくなった線路のあっち側と、こっち側を、目を細めて眺めていた。
何重にも重なりあった雲の中で、わずかに陽の光がぽっと丸くともっていた。僕は、痩せて骨ばかりになったDの肩に声をかけた。
「君、無事に帰れたらね、」
Dは左右に首を振った。
「何ですって?」
「だから、無事に、ここから、帰れたら何がしたいか」
Dは笑うと思った。あるいは、さらなる意地悪を言うのだと思った。でも、Dはただ、
「そうですね。僕は、もうこんな年になっちまったんだ。夢だの未来だのと、言ってられなくなっちまった。小説なんか書くのをやめて、そろそろ真面目に、現実に生きようかな」と、呟いた。
そして、ふと思い出したかのように、持っていた薄い革のカバンの掛け金をはずし、中から一冊の本を取り出した。頬に、ほんのり赤みをさして、はにかみながら僕に半身振り返り、差し出した。
「今から十六年前に、先生からもらった本です。覚えていますか」
本の表紙を見た瞬間、僕は大学の解剖室にいた。紺の制服に白衣を着た僕は、顔なじみの医学生たちの中にいた。その中には、今や、診療後に自身がセラピーを受けている者や、薬物中毒の後に自殺した同期の者が何人か混じっていた。
僕たちは何かを待っているようだった。




