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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

屍者会

掲載日:2025/11/07

 僕は鬱々とした気分で喫茶店に入った。

 家族の知り合いの更にそのまた知り合い――遠い遠い縁をつないで僕に会いたいと言ってきた高校生と待ち合わせている。


 こういうことは初めてではない。

 (きわ)めて珍しい『霊能者』という肩書きに、すがるようにしてやってくる人たちがいる。


 頼むから、話を聞いてくれるだけでいいから――そんな風に必死で()われては断れず、つい面会を引き受けてしまう。

 自分の無力さに苛まれるだけだとわかっているのに。


 店内を見渡すと、すぐに待ち合わせの相手だとわかった。

 窓際の席に座っている肩を落とし、げっそりやつれた少年がハッと顔を上げたからだ。


 高校の制服を着ているのに、まるで老人のように見える。

 同情の気持ちでいっぱいになりながら、僕は名乗って向かいの席に腰を下ろした。


「今日は来てくださってありがとうございます……」


 力なくそう言うと、少年は顔を引き()らせた。

 どうやら彼なりに微笑んだらしい。


「言っておくけど、僕が役に立てるかわからないよ」


 これは本当のことだ。

 以前関わった事件によって、僕は霊能者として一部界隈(かいわい)で有名になった。


 確かに、いわゆる幽霊とよばれる死者を見ることができる。

 だが、対処できるかどうかは別だ。

 修業を積んだりしていないし、専門的な知識があるわけでもない。


 むしろ、そういった専門家に命を救われた側の人間だ。

 助けてくれた彼はもういないけれど。


「わかっています……。でもどうか、話だけでも聞いてください。一人で抱えていると壊れてしまいそうです」


 深い闇をたたえた目を向けられ、僕はおもむろに口を開いた。


「きみに何があったの?」


 僕の言葉に(うなが)され、橋田(はしだ)晴之(はるゆき)と名乗った少年が口を開いた。



 頭上に広がる青空を見上げた晴之は、思わず弾んだ声を上げた。


「絶好のデート日和(びより)だ!」


 素晴らしい秋晴れの土曜日を迎え、晴之は颯爽(さっそう)と家を出た。

 買ったばかりの服で全身を揃え、髪も美容院に行って整えてもらった。


(これなら香里奈(かりな)ちゃんの隣にいても恥ずかしくないはず……)


 香里奈は高校の同級生で、学年一可愛いと言われている有名な美少女だ。

 つやつやのストレートロングの髪をなびかせ校内を歩く姿を、いつも憧れの眼差(まなざ)しで見つめていた。


 そんな香里奈から、昨日デートに誘われた。


「前から晴之くんのこと気になっていて……。明日の土曜日、渋谷に行かない?」


 デートに誘われた瞬間を思い出すたび、顔がにやけてしまう。

 もちろん二つ返事で了承し、急いでデートに備えた。


(最高の出来事続きで信じられないなあ……)


 先日、晴之は担任の教師に呼ばれ、難関大学の指定校推薦の校内選考に選ばれたと教えてもらった。

 第一志望の大学への入学がほぼ決まったも同然だ。

 晴之は思わずガッツポーズを取った。


(三年間、無遅刻無欠席、勉強も生徒会活動も頑張った甲斐があった……)


 それだけでも充分なのに、香里奈にデートに誘われた。


(まさしくこれまでの人生で最高の時だ!)


 晴之は足取りも軽く最寄り駅に向かった。


(今日は絶対に遅刻したくない……)


 晴之の使う路線は人身事故が多く、よく電車が止まる。

 不測の事態を避けるため、晴之は早めに家を出たのだが――。


(早すぎた……)


 午後三時に渋谷駅に降り立った晴之は呆然とした。

 香里奈との待ち合わせは六時なので、あと三時間もある。


(いくらなんでも早すぎだろ……)


 自分の慎重さを恨めしく思いながら、晴之は改札を出た。

 晴之とすれ違うようにして、慌ただしく改札内に入る複数の警察官の姿が目に飛び込んでくる。


「えっ、えっ、何?」


 警察官たちの殺気だった気配に、周囲も騒然としている。

 慌ててスマホをチェックすると、どうやら電車内で事件が起きたらしい。


 ナイフを持った男、母子ともに重体など、物騒な言葉が飛び込んでくる。

 それに伴って、電車が遅延、運行休止がトレンドに入っていた。


(うわ、電車が止まってる!)

(やっぱり早めに来てよかったんだ……)


 下手をしたら、改札に入れなかったり、何時間も車内に閉じ込められていたかもしれない。


間一髪(かんいっぱつ)だったなあ……)

(でも、どうやって時間を潰そう?)


「映画でも見るかなあ……」


 晴之は映画が好きで、月に一回は劇場で映画を観る。


(でも、今日は香里奈ちゃんに(おご)りたいし……)


 自分の(とぼ)しい財布の中身を思うと、できるだけ節約したかった。


(映画は我慢して、ツタヤでも冷やかすかな……)

(それともIKEAかロフトに行って、ウィンドウショッピングとか……)


 悩みながら、晴之は駅の外に出た。


 土曜日の渋谷は人が多い。快晴ともあって尚更だ。

 人にぶつからないよう注意しながら歩いていると、前方から来る一人の男性に目がいった。


 黒いスーツを着た、すらりとした長身の青年だ。

 雑踏(ざっとう)の中でも、ひときわ目を引く。


(かっこいいな……モデルかな?)


 だが、スーツだけでなく、ネクタイまで黒いのが引っかかった。


(もしかして喪服?)

(でもそれにしちゃ、華やかな雰囲気がある……)


 突然、青年がくらりと体勢を崩した。


「えっ!?」


 そして、そのままビルの前でうずくまってしまった。


「大丈夫ですか!?」


 思わず駆け寄って声をかけると、青年がゆるゆると顔を上げた。

 その顔は血の気が引いて蒼白だった。


「具合が悪いんですか? 何か持病とか……」

「いや、貧血だと思う。しばらく食事をとってなくて……」


 力なくつぶやく青年に、晴之は一瞬で心を決めた。


「ちょっと待っててくださいね!」


 晴之は近くのコンビニに飛び込むと、おにぎりとお茶のペットボトルを買って青年の元へと戻った。


「これ、食べてください。本当はお粥の方がいいかもですが……」


 青年が驚いたように晴之を見上げる。


(うわ……本当に美形だな……)


 作り物のような青年の美しい顔に、晴之はドキドキした。


「ありがとう……」


 ビニール袋を手渡すと、青年の手は驚くほど冷たかった。


「きみは優しい子だね……。いくらだった? 代金を払うよ……」

「いえ、いいです」


 節約しようと決めたばかりだが、人助けであれば話は別だ。


「きみは高校生? 学生さんに(おご)ってもらうわけにはいかないよ」

「ほんと、いいんです」

「よくないよ。ちゃんと払うよ」


 頑がんとして譲ゆずりそうにない青年を、晴之はじっと見つめた。


「……俺には好きな映画があるんです」


 唐突な話題の転換に、青年がきょとんとした顔になる。


「その映画は『誰かに親切にしてもらったら、別の人に親切を返す』っていう善行のバトンがテーマなんです」

「へえ……。善意が繋つながって広がっていく、優しい映画なんだね」


 青年の顔に少し皮肉っぽい笑みが浮かぶ。

 なまじ美形なだけに、妙な迫力があった。


 晴之は軽く息を吸い、口を開いた。


「……この世はクソ」


 晴之から飛び出した汚い言葉に、青年が驚いたように目を見開いた。


「そういう世界を変えたいと願い、実行に移した少年が主人公の映画です。俺は彼のアイディアを真似(まね)ているだけです」


 青年はようやく()に落ちたというように頷いた。


「なるほど。それできみは見ず知らずの僕を助けた、ってことか」


 ふっと青年の表情がやわらいだ。


「いいね、それ」


 青年があっという間におにぎりを平らげ、ペットボトルのお茶を飲み干した。


「僕もきみに、ささやかなお返しをするよ。これ、あげる」


 青年がスーツの胸ポケットからチケットを取り出す。

 そこには『ししゃかい』と平仮名で書かれていた。


「ししゃかい……? 映画の試写会ですか?」

「うん。もうすぐ始まるから、時間があったらぜひ」


「あ、あの……」

「いらなかったら捨てて。じゃあ」


 黒スーツの青年はさっと手を上げると、あっという間に人混みの中へと消えた。

 晴之は渡されたチケットを、どうしたものかと見つめた。


「試写会かあ……何の映画だろう?」


 チケットにはまったく説明が書かれていない。

 場所のみが記されているだけだ。


「満月ビル、地下一階かあ……」


 地図を見ると、駅から徒歩十分くらいの場所のようだ。

 映画ならば、おそらく二時間くらいだろう。


(時間を潰すのにちょうどいいかもしれない……)

(つまらない映画なら、途中で席を立ってもいいし)


 何より、映画好きとしてはどんな映画なのか気になった。


(たぶん、単館系のマイナーな映画か自主制作系だろうな……)


「せっかくだし、行ってみるか」


 地図を見ながら路地裏に入ると、どんどん人がいなくなってきた。

 晴之は地図を頼りに、狭い雑居ビルの前に立った。


「ここ……だよな?」


 特に看板も置かれていないが、確かに『満月ビル』との表示がある。

 地下へと続く階段を下りていくと、受付らしきテーブルが見えた。


 黒いスーツ姿の若い女性が、テーブルの奥に座っている。

 おそらく受付嬢だろう。


 受付嬢は晴之を見ると、少し驚いたような表情になった。


「チケットをお持ちですか?」

「はい、これ……」


 恐る恐るチケットを差し出すと、彼女は小さく頷いた。


「どうぞ、間もなく上映が始まります」


 味気のない灰色のドアは防音仕様なのか、ずっしりとした重みがあった。

 晴之が室内に入ると、中はもう人でいっぱいだった。


 三十席ほどしかなく、ミニシアターどころか試写室のようだ。

 できたばかりのようで、真新しく清潔感がある。


(ええっと……)


 空席を探すと、一番後ろの右端が空いていた。

 パイプ椅子ではなく、肘ひじ置き付きのゆったりしたシートでホッとする。


 室内をざっと見渡すと、年配の人がやや多い印象だっった。

 だが、二十代くらいの若者の姿や小学生の親子連れもいる。

 男女比は半々くらいで、客層もバラバラだ。


(いったい、どういう層向けの映画なんだろ)


 事前情報が一切ないので、映画の内容が想像もつかない。


「あっ、すいません」


 身を乗り出した拍子に肘が隣の人に当たってしまい、晴之は慌てて謝った。


「いいえ」

「……っ!」


 こちらに顔を向けてきた隣の女性は、ハッとするほどの美人だった。

 茶色に染めたセミロングの髪、くっきりした目鼻立ち――年齢は二十代半ばだろうか。


(うわあ……芸能人みたいだな)


 隣の人がすごい美人とわかり、晴之は途端にドキドキしてきた。


(いや、俺には香里奈ちゃんがいるけども!)


「それでは、上映を始めます」


 受付嬢らしきアナウンスと同時に照明が落ちた。

 室内は真っ暗になり、スクリーンに映像が映し出された。


(いよいよ映画が始まる……)


 晴之はわくわくしながらスクリーンを見つめた。


 薄暗い夜道を歩く一人の男性が映し出されている。

 年齢は四十代くらいだろうか。会社帰りらしくスーツを着ている。

 映像は荒く、素人が撮ったようだ。


「あっ……」


 人気のない公園にさしかかったとき、いきなり男性が数人に取り囲まれ、殴り倒された。

 目を覆いたくなるような凄まじい殴打が続き、地面に倒れた男性はとうとう動かなくなる。


 殴った男たちは男性のバッグを奪い、逃げていった。

 ぼろきれのようになった男性は動かない。


(なんだこれ……?)


 あまりに生々しい映像に、晴之はぞっとした。

 晴之が好きなのは優しく切ないヒューマンドラマや、派手でスカッとするアクション映画だ。


(ホラー映画なのか? 苦手なんだけどな……)


 場面が切り替わり、今度は茶髪の若い女性が映った。

 家具がひしめき合う狭い室内で、長い茶髪の若い女性がクッションに座って熱心にスマホを見ている。

 どうやらワンルームマンションのようだ。


(……なんだろ。ドキュメンタリー風の群像劇なのかな?)

(それとも次々と人が殺される連作ホラー?)


 スマホを見ていた女性が急に怯えた表情になり、クローゼットを開けて中に入った。

 狭いクローゼットの中でしゃがんだ女性は震えている。


 ガチャリとドアが開く音がし、どかどかと室内に踏み込む足音が響いた。


(誰か部屋に入ってきた?)


 いきなりクローゼットが開けられ、若い男が手を伸ばしてきた。

 女性の髪をつかんでクローゼットから引きずり出す。


(んん? やっぱりホラー映画なのか?)


<いやあああああ!!>


 悲鳴を上げる女性の顔が大写しになり、晴之はハッとした。

 くっきりしたその顔立ちに見覚えがあった。


(ええっ、隣の人じゃないか?)


 晴之はそっと隣の女性を見た。

 横顔しか見えないが、確かに彼女のように見える。


(えっ、女優さんなの?)

(確かに一般人としては美人すぎる……!)


 そのとき、晴之はひらめいた。


(看板もないビルでの少人数の試写会……もしかして)


 これはいわゆる一般向けではなく、映画関係者用の試写会ではないだろうか。


(出演者向けの試写会……0号試写なのか?)


 0号試写とは完成したばかりの映画の本編を、主要キャストや関係者がチェックするための試写会だ。

 本編のみの上映なので、エンドロールやクレジットは付いてなかったりするらしい。


(道理でタイトルも配給会社のテロップもなしで、いきなり本編が始まったはずだ)


 晴之はドキドキしてきた。

 まるで自分が業界関係者になった気分だった。


(チケットをくれた男性もすごい美形だったもんなあ……)

(あの人も映画の関係者なのかもしれない。だからチケットを持っていたのかも!)


 狭い試写室が急に特別な場所になった。

 選ばれた人間にしか入室できない場所に今、自分はいる。


(こんな体験ができるなんて!)

(本当に、今日は特別な日になりそうだ!)


 だが、わくわくする胸の内とは裏腹に、スクリーンに映し出される映像は気が滅入るようなシーンの連続だった。

 無惨に死んでいく人たちの最期の場面が、延々と映し出されていく。

 どうやら、殺される人や場所はバラバラで、特に共通点はないようだ。


(……これは何か暗喩(あんゆ)とか哲学的な意図があるんだろうか?)

(いろんな人たちの死に(ざま)を、ただ映しているようにしか見えないけど……)


 晴之はだんだん観ているのがつらくなってきた。


(あ……)


 若い母親と小学生くらいの子どもが電車に乗っているシーンが映った。


(やだなあ……今度は幼い子どもが死ぬの?)


 突然、車内にいた若い男が包丁を取り出した。

 乗客たちは一斉にパニックになり、隣の車両へと逃げていく。


「あ……っ」


 母親と子どもが突き飛ばされ、転んでしまった。


(ああ……)


 男の包丁が母子に向けられる。


<やめてえええええ!! カイト!! カイトだけは!!>


 母親の必死の叫びも(むな)しく、子どもに刃が振り下ろされる。


<いやあああああ!!>


 晴之は見ていられず、目をそむけ、耳を塞いだ。


(なんだ、これ。ひどすぎる……)


 そのとき、晴之は一番前に座っている親子に気づいた。

 小学生の子どもを連れていたので目を引いたのだ。


(あっ、もしかして一番前に座っている親子連れじゃないのか?)

(では、親子揃って役者ってことか……)


 それにしても真に迫った演技だった。


(残虐なシーンばっかり続くなあ……)

(特にストーリー性もないし、まだ途中だけど、もういいや……)


 耐えきれなくなり、立ち上がりかけた晴之はハッとした。


「ん……!?」


 今スクリーンに映っているのは、まぎれもなく自分だった。


「え、俺……?」


(な、なんで、俺の映像がスクリーンに流れているんだ?)


 スクリーンの中の晴之は、まさに今の自分と同じ新品のグレーのジャケットにシンプルな黒のシャツ、グレーのスリムパンツを着用している。


(ショップ店員おすすめのコーディネイトだ……)


 うきうきとした足取りで、スクリーンの中の晴之が待ち合わせ場所に向かう。

 モヤイ像の前には香里奈が笑顔で立っていた。

 黒のニットワンピースに黒のブーツ姿の香里奈は、学校で見るよりぐっと大人びていた。


<晴之くん!>


 香里奈が手を振ってくる。


<お待たせ!>


 スクリーンの中でデレデレの笑顔を見せる自分を、晴之は呆然と眺めた。


<晴之くんって映画が好きなんだよね。試写会に行かない?>

<え?>


 香里奈からの突然の誘いに、戸惑う自分が映っている。


<関係者のみの特別試写会なんだ。せっかくだから晴之くんと行きたいなって思って>

<うわ、嬉しいな。ありがとう!>


 楽しそうな自分が香里奈に手を引かれながら渋谷の街を歩いていく。


(この道って……)


 先程歩いてきたばかりのルートが映し出され、晴之は息を呑んだ。

 予想通り、香里奈が自分を連れてきたのは、何の看板も出ていない古い小さな雑居ビルの前だった。


(この……今いる満月ビルだ)


<こんなところで試写会があるの?>


 不思議そうな自分を、香里奈が手を引いて階段を下りていく。


<そうなの! 地下室が試写室なんだ>

<へえ! すごいなあ>

<さあ、入って!>


 香里奈に(うなが)され、何の疑いもなく自分が試写室に入っていく。


(……っ!!)


 スクリーンに映さし出される試写室は、まるで廃墟のようだった。

 薄暗い室内には誰もいない。

 床にはゴミが散乱し、シートはあちこち破れてボロボロだ。


(今、俺がいる真新しい試写室とまるで様子が違う……)


 スクリーンの中の晴之も、当惑したように室内を見回している。


<ここで試写会があるの……?>


 振り返った晴之を、香里奈が落ちていた棒で思い切り殴ってきた。


「っ!!」


 頭部を強打されたスクリーンの中の自分が床に倒れ伏す。


(何だこれ……。何なんだ、この映像は!!)


 香里奈の手にはいつの間にか手袋がはめられていた。

 その顔には見たことのない冷ややかな表情が浮かんでいる。


<香里奈ちゃん……?>


 頭から血を流しながら、スクリーンの中の自分が香里奈を見上げる。


<ここはね、何年も前に潰れた試写室よ。オーナーが自殺したとかで、放置されていてね。若者の溜まり場になってたんだけど、ドラッグのやり過ぎか何かで人が死んでね。扉には鎖と錠前が付けられたの>


 香里奈が鍵を振って見せる。


<でも、手に入れたんだあ。ここの鍵。ほら、私って可愛いからさ。頼み事を聞いてくれる人が多いんだよね>

<な、なんでこんなこと……>


 香里奈がにこっと笑う。


<やっぱり知らなかったんだね。私も同じ大学の指定校推薦を狙ってたの>

<え……?>


(え……?)


 思わぬ言葉にスクリーンの中の自分と同様、晴之は凍りついた。


<校内推薦、きみに決まったんだってね>


 棒を持つ香里奈の手がぶるぶると震える。


<私がどんなに頑張ったか、あんた知らないでしょ!? あんな難関大学、一般入試じゃ絶対無理だもん。だから勉強だけじゃなくて、やりたくもない文化祭の実行委員とかボランティアとかやって……>

<そんな……>

<私の完璧な計画が台無しなんだよ!!>


 香里奈が絶叫した。


<ねえ、知ってる? あの大学の学生って親が金持ちばっかりなんだよ! そこで将来有望な男を探すつもりだったのに!! 華やかなキャンパスライフを送るつもりだったのに!! 全部ダメになった!! あんたのせいで!!>


 顔を歪め、口から唾を飛ばしながら叫ぶ香里奈の姿に、晴之は震え上がった。


<ゆ、譲るよ。きみに推薦枠を……>

<そんなのできるわけない!! 辞退の理由を聞かれるだろうし……>


 香里奈が冷ややかな眼差しをスクリーンの中の晴之に向ける。


<でも、晴之くんが行方不明になったらどうなんだろうね? 私が推薦枠に繰り上げられないかな?>


 香里奈の目がゆっくりつり上がっていく。


<ここは誰も来ない。相続の権利関係がややこしくてモメているから、誰も手が出せないんだって。最適でしょ。死体捨てるのに>

<え……?>


(はあ?)


 晴之は呆然とスクリーンを見つめた。


(めちゃくちゃだ……)

(たかが大学の推薦のために、殺人のリスクを()うってこと?)

(犠牲と報酬が見合ってない……)

(殺人罪なんて、バレたら一生が終わるのに……)


 晴之は混乱しながら映像を見つめた。


(それなら一か八かで一般入試を受ければいいんじゃないのか?)

(他にも大学はあるし……)


 獣のように叫び、荒く息をつくスクリーンの中の香里奈は別人のようだった。


(理解できない)

(あんなに可愛くて人気者で頭がいいのに)

(自分で自分の人生を滅茶苦茶にするなんて……)


<香里奈ちゃん、落ち着いて! 何かいい方法を考えよう! こんなことで人生を棒に振るなんてもったいないよ!>

<うるっさい!! てめえが邪魔なんだよ!!>


 必死の説得も(むな)しく、香里奈が棒を容赦なく振り下ろす。


<ぎゃああああああ!! 痛い、痛い!! やめてくれ!!>


 自分の悲鳴が試写室内に響き渡る。

 スクリーンの中の自分に幾度となく振り下ろされる棒と飛び散る血を、晴之はただ見つめるしかなかった。


 ふっと自分の好きな映画のラストが浮かんだ。


(死は突然、無慈悲にやってくる――)


 晴之が血だまりに倒れ伏し、動かなくなったのを見届けると、満足げに香里奈が去っていく。

 試写室の重い扉が香里奈の手によって閉められ、鎖が巻かれ、錠前がつけられた。


「な、なんだこれ……」


 戸惑う晴之を嘲笑(あざわら)うかのように、スクリーンに『ジ・エンド』の文字が浮かんだ。 

 しばらくして、試写室の明かりがついた。


「は……?」


 晴之は呆然と試写室を見回した。

 明るい光に照らされた試写室に座っているのは、自分だけだった。


「え……?」


 満席だったはずなのに、誰もいない。

 晴之は驚いて立ち上がり、扉を押し開けて試写室の外に飛び出た。

 そこには受付嬢もテーブルもない、がらんとしたスペースが広がっているだけだ。


「な、なんだよ、これ!」


 晴之は階段を駆け上がり、ビルの外に出た。

 必死で走ると、いつものように多くの人で賑わう駅前に出た。

 大勢の通行人の姿に、晴之はホッと息を吐いた。


(夢だったのかな……)


 時間はもう五時三十分を過ぎていた。

 秋の空はもう夜の(とばり)が降りかけている。


「香里奈ちゃんに……会いに行かなきゃ……」


 待ち合わせはモヤイ像の前だ。

 スクリーンに映し出された待ち合わせに向かう自分の姿を思い出し、吐き気が込み上げる。

 ハンカチを取り出そうとジャケットのポケットに手を突っ込むと、がさっと何かが手に当たった。


 取り出してみると、それはくしゃくしゃになった試写会のチケットだった。

 広げてみると、チケットには『ししゃかい』ではなく、『屍者会』とだけ書かれていた。


「屍者……ししゃ……死んだ人間ってこと?」


 晴之はハッとした。

 あの電車内で殺された母子が乗っていたのは、事件が起こって止まった路線のものだ。

 慌ててスマホで検索すると、すぐにニュースが飛び込んできた。


 ■■線の車内で母子が男に刺され死亡。


(死亡した男の子の名前は海斗かいと……)

(映画の中で、母親は『カイト』って叫んでた……)


 検索を続けると、昨晩自宅のマンション内で殺害された一人暮らしの女性のニュースが目についた。

 二十四歳の女性が部屋に押し入った男性に刺殺されたらしい。


 ストーカー殺人の可能性があると記事には書かれていた。

 晴之は被害者の名前と顔を載せている記事を見た。


「やっぱり……!」


(隣に座っていた美人さんだ!!)


 他にも続々、夜の公園で撲殺された会社員のニュースなど、試写会で上映された映像と合致する事件が出てきた。

 すべてここ一週間くらいに起きた殺人事件だ。


(あの映像は全部、本当に殺された人の最期の状況ってこと?)


 足ががくがく震える。


「じゃ、じゃあ、俺も……?」


 晴之はハッとした。


(まだ俺は死んでいない!!)


 そして、明かりのついた試写室では自分以外、全員が消えていた。


(俺以外は死者だったから消えた……?)

(あれは死者の集まりだった?)

(だから、屍者会?)

(なんで俺だけ、生きているのに入れたんだ?)


 そう言えば、受付嬢が怪訝(けげん)そうな顔をしていた。


(あのチケットがあったから入れた……)


 チケットをくれた黒スーツの男性の言葉が蘇る。


 ――いいね、それ。

 ――僕もきみに、ささやかなお返しをするよ。


(ささやかなお返しがこの奇妙なチケット……)

(それって……)


 黒スーツの青年の手の冷たさを思い出し、晴之は寒気が走るのを感じた。


(あの人、何者なんだ?)


 スクリーンの中の自分と香里奈のやり取りは、とてもリアルだった。


(あれは――これから起きる現実?)

(そんな馬鹿な……。夢じゃないのか?)


 悪夢と思いたいが、手の中にはくしゃくしゃになったチケットがある。

 屍者会と書かれたチケットが――。


 晴之は待ち合わせ場所によろよろと向かった。


「晴之くん!!」


 モヤイ像の前に立っていた香里奈が、笑顔で手を振ってくる。

 黒のニットワンピースに、黒のロングブーツ――映像で見た通りの姿だ。


「お待たせ……」


 晴之は引きつった笑顔を浮かべた。


(嘘だ、嘘だ、そんなわけない)

(香里奈ちゃんが俺を殺そうとするなんて……)


 映像と同じように大人びた化粧をした香里奈が笑顔を浮かべる。


「晴之くんって映画が好きなんだよね。今から試写会に行かない?」

「……」


(さっきの映像と同じ台詞、同じ表情だ……)

(これは悪夢なのか現実なのか……)

(現実だとしたら、あの最悪な未来は避けられるのか、それとも――)


「関係者のみの特別試写会なんだ。せっかくだから晴之くんと行きたいなって思って」


 香里奈が手を伸ばしてくる。

 晴之は凍りついた表情で、その手を見つめた。



「それできみはどうしたの?」


 僕が尋ねると、橋田くんは小刻みに震え出した。


「もちろん、逃げ帰りましたよ! だって!」


 橋田くんの喉がごくりと鳴る。


「あんなもの見せられたら……!」

「落ち着いて……ね?」


 そう言ってはみたが僕自身、動揺を隠せなかった。

 だって。

 いつの間にか、この部屋にもう一人いるのだから。

 

 背筋に冷たいものが走り、ぞわっと鳥肌が立つ。


「なんでなんで……」


 橋田くんが明らかにガタガタ震え出した。


 ああ、わかるよ。

 だってこんなものがそばにいたら怖いよね。


 僕も視線を絶対に左に向けられないもの。

 目の端に映る長い髪の少女を見たくないもの。


 彼女、なんだか赤いよね。


 ぽたぽたと雨漏りのような音がする。

 血だまりが広がっていく床から、僕はそっと目をそらせた。


「俺は行かなかった! なのになんで彼女があそこで死体で見つかったの!?」


 悲鳴に近い声で橋田くんが叫ぶ。

 橋田くんの言う『あそこ』が、試写会が行われた試写室であることは察しがついた。


「なんで僕のそばで恨めしげに見るの!?」


 橋田くんが拳をぎゅっと握る。


「僕、推薦を辞退したよ! だから付きまとわないでくれよ!」


 涙に濡れた橋田くんの顔が僕に向けられる。


「お願いです。何とかしてください…」


 了解、とは言えなかった。

 だって、怖いから。


 対処法はわかったけど、実行したくないから。


 ペイフォワード。いい言葉だね。

 きっと僕が()に助けてもらった恩を返すなら、今なんだろう。


 でも。

 やはり左側に顔を向けたくない。


「きみ、寂しいんだね。これからは僕のそばにいなよ」


 そのひと言が出てこない。


 だってだってだって、血みどろの女の子の幽霊が怖いから。


 なんだか恨めしげな声までしてきた。

 頼むから、僕を見ないで。


「助けてください…!」


 橋田くんが頭を掻きむしる。


 ペイフォワード。

 それは愛の言葉か呪いの言葉か。


 じりじりと死んだはずの少女が顔を近づけてくる。

 荒い息づかいとともに、肉が腐った匂いがほんのり漂ってきた。


 いい考えが浮かび、僕はおもむろに口を開いた。


「ねえ、あなたにお願いしていいかな?」


 いきなり声をかけられて、きっとびっくりしたよね。

 でもあなたに言ってるんだよ。

 ほら、目を逸らさないで。


 あなただよ、あなた。これを読んでいるあなただよ。


 一緒にこの話を聞いてくれたあなたなら、きっとこの哀れな少年を助けたいと思うよね?

 あなたもこれまでの人生、見ず知らずの誰かに助けられたことくらいあるだろう。


 ペイフォワードを実行してみてはいかがかな?

 簡単だよ。


「私のところにおいで」


 そう言うだけでいいから。

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