9、二人で住む隠れ家
「ここならフィルランドの町民にも顔がバレずに済みそうだな。よし、当面の間はここで寝泊りをすることにしよう」
「……ゲオルグは大丈夫なの?」
私はここへきてようやく懸念を吐き出すことにした。
だが、簡潔な質問がよくなかったようで、ゲオルグからは私の意図を勘違いした言葉が返ってきた。
「所有者が戻ってきたらまた別の場所を探すさ」
「そうじゃないわ。王様が過ごすにはあまりにも質素だし、その、何もなさすぎると思わない?」
仮にもわずかな間暮らすと言っても、王様が住むには不相応だ。
「こんなひもじいところは嫌だ」とでも言われたらどうしようかと思っていたのだが、私がそう問いかけると、ゲオルグは静かに笑った。
「そんなことを気にしている場合か。俺たちは命を狙われているんだぞ。こんな緊急事態にひもじいも何もないだろう」
「それはそうだけど、私は王宮務めを初めてから一週間しか経っていないし、あなたのことも何も知らないわ。王様なら『もっと豪華な部屋を用意しろ』なんて言ってもおかしくないじゃない」
「……そうか。君にしてみれば俺の機嫌を損ねたらどんな罰が待っているか不安になるよな」
ゲオルグは髭の生えた顎に手をやって「自分が浅慮だったな。すまない」と返した。
まさか王様に謝られるなどとは夢にも思ってなかったので、逆に恐縮してしまう。
ゲオルグはその場でぐるりと空き家を見回し、数歩踏み出して壁をコンコンと叩いた。住んでいる人が最近いなかったから外には草が生えているが、建物自体には異常は見当たらない。
築数十年以上は経っているだろうが、見た目は頑丈そうだ。
「俺は構わない。それこそ野宿すら覚悟していたんだ。雨風を凌げる家を見つけてくれた君には感謝している。それより君こそ大丈夫なのか」
「え?私は大丈夫よ。もともと住んでいた家だってこれくらいの広さだったし」
ゲオルグは片眉を上げて腰に手を当てる。何とも言えない表情だった。
「違う。妙齢の女性が男と一つ屋根の下で過ごすということだ。何とも思わないのか」
「え……」
意識していなかったことを言われて、急に自分の顔に熱が集まるのを感じた。
「え、えっと……」
(いきなりそんなことを言われたら、余計意識しちゃうじゃない!)
これまで雲の上の存在だと思っていたゲオルグを「男性」として認識していなかったので、言われて心臓が高鳴る。
改めて言われれば、当然のことだ。彼は男性だった。
なぜかゲオルグを堂々と見ることが憚られたので、上目遣いでチラリと見る。
自分よりも年齢はずっと上だけど、それなりに顔は整っている。最初は目つきが悪いと思っていた表情も、見慣れると味があって彫りの深さが強調されていることが分かる。
格好いい。かもしれない。
「フリッカには将来を約束した男性はいないのか」
「えっ」
次いで、あけすけなことを聞いてくるゲオルグに絶句した。
王家の人間に対して臣下に配慮しろとは無理な話なのかもしれないが、先ほど妙齢の女性に気遣いを見せた人間と同一人物とは思えない発言だった。
(そういうことこそ、女性に聞いてはいけないんじゃないかしら!?)
そう教えてあげようかとも思ったが、なんだかそれもおかしい気がして黙ってしまう。
私は顔を真っ赤にしたままそれには答えず―実際には彼氏などいないが―、逆質問で応じることにした。
「ゲオルグこそ、お妃様に居場所を伝えなくていいの?心配されるんじゃないかしら」
「俺に妃などいないぞ」
「えっ」
「ダナンの復興に忙しくて、それどころではなかったからな」
また絶句する。
ダナン王家の人間は十代で結婚することが普通で、第一皇子も第五王子もすでに結婚していたと聞いたことがあった。
当然ゲオルグも結婚していると思っていた。
「君に将来を約束した男性がいれば、その彼にもちゃんと理由を説明して謝罪をしようと思ったんだ」
ゲオルグが小さく咳払いをする。
無配慮だと思っていた質問にはちゃんとした理由があったのだと気付いて、改めて彼の気配りに感心した。なんと真面目な王様なのだろう。
「まあ、その、なんだ。君の両親にはいずれの機会にかちゃんと詫びるとしよう。今は緊急事態だ。同じ場所で寝泊りすることを我慢してくれ」
恥ずかしさからいたたまれなくなって、言葉を継ぐことができない。
私は代わりに何度か小刻みに頷いた。
(それにしても、ゲオルグって生真面目な人。ますますこれまでの王様像が崩れていくわね)
ただのドルイド見習いである自分を追い出すことなど簡単だと言うのに。雨風凌ぐ宿泊場所から排除しない上に、そんな体裁のことまで考えてくれるなんて。
その日は二人とも早めに床に就くことにした。
私は自分に割り当てられた寝室で横になり、ダナンランド脱出から続いた目まぐるしい日々を思い返していた。
(今日からこの港町で王様と2人暮らしが始まるのね―――……。そうだ、私、自分のお母さんが亡くなっていることをまだゲオルグには伝えていないんだわ)
いずれ伝えられる機会が来るだろうか。
そんなことを思いながら、逃亡先のフィルランドで私は初めての眠りに就いた。