7、港町へ
荘厳な石造りの王宮。建物と建物の間を結ぶのは、屋外にある渡り廊下だ。
私は今、巨大な柱と屋根で構成されている渡り廊下をゲオルグとともにひた走っていた。
本来であれば王様を守っているはずの親衛隊部隊が柱のふもとに立っているはずだが、すでに王宮に入り込んだ敵と戦っていてこの場にはいない。
渡り廊下に面しているのは、広大な庭園だ。
幾何学模様に手入れされた生垣が逃げる私の視界に広がり、美しいの一言に尽きる。
本来であれば中央に配置された噴水の水音しか響き渡らないその空間に、今は鋭く硬い金属音が四方八方から聞こえてくる。
ダナン軍とブレス軍の剣がぶつかる音だった。
柱の向こう。遠くに兵士たちの姿が見えたが、人影からはどちらがダナン軍なのかは分からない。
複数の兵士が討ち合っているところにひと際大きな剣戟の音が響いて、どさりと一人の兵士が倒れるのが見えた。
目の前で本物の戦いが繰り広げられている。初めて見る戦争に、私は息を呑んだ。
小さく上げた悲鳴が聞こえたのか、ゲオルグにぐいと腕を引っ張られた。今は「前だけを見ろ」ということなのかもしれない。
自分の置かれている状況を改めて頭の中に叩き込んで、足を早めた。
前を走るゲオルグが小声で語りかけてきた。
「よし、今なら人がいない。あの噴水の下に地下通路に続く入口がある。あそこまで走るぞ」
「あの、ゲオルグ、様」
「ゲオルグでいい。敬語も使うな。不自然に思われる」
「……ゲオルグ。地下通路はどこへ続いているの」
「首都郊外の森の中だ。王家が管理している森だ」
「その森に出た後はどこへ?」
「さあてな。そこまでは考えていない」
ゲオルグはそういって肩をすくめた。
今は非常事態だ。見つかれば命はない。これ以上深刻な事態は存在しないはずなのに、彼はどこか飄々としていた。
なるほど。ダグダが「頼む」と言ってきた意味が分かる気がする。
王様としては有能なのかもしれないが、どこか自分の価値に無関心なところがあるのがゲオルグという人間なのだろう。
自分が彼を守らなければ。私は決意を新たにした。
(王都にまで敵が来ているってことは、近郊に逃げ出したって掴まっちゃう可能性が高いってことじゃない……!どこか遠くへ逃げないと……でもどこへ……?)
そのとき私の脳裏をよぎったのは、あの街路樹の言葉だった。
『もうすぐ5回目の嵐が来るわ。嵐が来たら対岸の海に逃げなさい』
5回目の嵐。
もしかして嵐というのは今回の王宮襲撃のことを示していたのではないだろうか。
そして「5回目」というのは………。
(第五王子、ってこと?)
街路樹の言葉がこの事態を暗示していたのだとしたら。
(私たちが向かうべきは……対岸の海)
ダナンは北東から南西に伸びた小さな島国である。王宮のある首都ダナンランドから対岸――南東にあるのは……。
「フィルランド。精霊のふるさとと呼ばれる港町だわ」
「フィルランド?」
私のつぶやきを聞きつけたゲオルグが問い返す。
私は不敬を承知で、彼のローブにすがった。
「対岸の港町、フィルランドに逃げましょう。そこに姿を隠すのよ」
「フィルランドとは突然だな。あそこは漁師しかいない、小さな港町だ。再起に適しているとは思えないが」
ゲオルグの言い分はもっともだった。
確かに逃げた後のことを考えると、要衝の地ではない田舎町に逃げ込むのは不利でしかないように思える。
ゲオルグの反論の内容から、彼が冷静に物事を観察できる人物なのだということがよく分かる。
「今後、再起をはかり王宮を再奪取する事態も考えるのならば南部の軍港や俺の故郷にある離宮に向かうべきではないか?」
「それはそう……だけど、そっちにはもうブレス軍がいるかもしれない。なんだか嫌な予感がするの」
本音だった。
ゲオルグが発言したところへ行けば、良くないことが起きる気がした。
ドルイドの勘というわけではないが、向かうべき場所はフィルランドしかないように思えたのだ。
「かつてダナンを守ってくれたのは軍艦と精霊よ。フィルランドは精霊が多い土地と言われているわ。精霊を仲間にできれば、ブレス軍と戦う際にも有力な味方になってくれるかもしれない」
(ただし、仲間になってくれれば、だけど――……)
ゲオルグは黄色い目を細めて私を見つめた。
彼の瞳は相変わらず鷹のように鋭くて、全てを見透かされそうになる。
わずかに身じろぎをしたが、私もじっと見つめ返した。
やがてゲオルグも納得したのか、小さく頷いてくれた。
「ドルイドの予言というやつか。分かった。君を信じよう。フィルランドに逃げるとしようか」