41、君を想うと(ゲオルグside)
フリッカが俺にメロウの危険性を告げずに会いに行った日のことだ。俺は彼女の挙動不審な様子に疑念を抱き、無言で彼女の後をついて行った。
メロウを説得しようと必死になっているフリッカが、突如埠頭の先に現れた二人目のメロウに腕を引っ張られたのは突然のことだった。隙だらけだったフリッカはこの不意打ちになすすべもなかった。
このままだと海に引きずりこまれると判断した俺は、港の荷台の陰から飛び出して彼女のもう片方の腕を引っ張り、後ろに抱きかかえる形で救出した。
フリッカが「後悔しているのか」と問うているのは、きっとこのときのことだろう。
彼女の疑念はしっかりと晴らしたほうがいい。俺は首を横に振って答えた。
「後悔していない。あのときは君を失うんじゃないかと必死だった」
「え?」
「君をメロウから救出したときのことを言っているんだろう?」
「ええ?」
俺自身も無我夢中だった。確かに後になって、メロウの危険性を事前に共有してくれなかったフリッカにかすかに怒りを感じたことは事実だ。
ただそれは俺に対する信頼の欠如からきた行動ではなかったと分かったから、今ではそのときの怒りも霧消している。
むしろ、あのときに飛び出していなければ、俺はきっと後悔をしていただろう。
そうだ。もし飛び出していなければ、俺は彼女を失っていたのだ。
改めて思うとぞっとする。それはこれまでに感じたことのない感覚だった。
フリッカは王宮に数多く存在する自分の部下の一人。それだけだったはずの彼女が、二人暮らしを経て自分の心の中を大きく占める存在になっていることを思い知らされる。
思わぬ自分の心の変化に戸惑っていると、隣から「はー……」と大きなため息が吐かれた。フリッカが額に手をやっている。
熱が出ている彼女に無理をさせすぎたのかと思って慌てて声をかける。
「つらいのか。もう寝たほうがいい」
「違うわよ。つらいと言えばつらいけど……ゲオルグはどうも思ってないの?」
メロウから救出した件についてははっきりと「後悔していない」と言ったので、話は終わったはずだった。要領を得なくて首を傾げると、フリッカが恨みがましくこちらを見上げる。
「私、ゲオルグに嫌われたのかと思って怖かったのに」
「何の話だ」
「いくら仕方がなかったとはいえあんなことをさせてしまって……」
「だから何の話だ」
「前から思っていたけど、あなたって優しいけどちょっと朴念仁なところがあるわ」
フリッカの顔色が悪くなっていく。これ以上話し過ぎるのも良くないだろう。横になるように促すと、フリッカも頷く。
薬茶を飲み干した彼女は横になって掛け布をかぶった。水で濡らした布を持ってきて、彼女の顔に流れる汗を拭ってやる。
しばらくしたら寝息が聞こえてきた。このまま朝まで寝かせてやろう。
そう思ったところでようやく、フリッカの言っていたことがメロウの前で恋人を演じたことなのではないかと思い至った。
「もしかしてキスしようとしたことを言っているのか」
当然ながら反応はない。自分としては騙すなら本気で騙すしかないと盛大な演技をしかけたつもりだったのだが、フリッカはあのことを気にしていたのか。
「ふ、ふふ」
口に手を当てて笑いをこらえる。
確かに嫁入り前の少女にあんなことをするのは失礼極まりないことだった。自分の配慮が足りなかったと反省する。
けれど笑いが途切れることはない。
――そうよ。彼と一緒にいると、楽しいわ。
フリッカがメロウと話をしていた場面を思い出す。途中からすぐに演技だと分かった。
フリッカには悪いが、声も上擦り顔は真っ赤。恋を知らないメロウだからこそ騙せたものの、大層な茶番劇だったからだ。
フリッカは真剣に演じているのだろうが、あれではすぐに嘘だとバレてもおかしくはなかった。
だからこそこちらとしては真剣な演技をぶつけたつもりだったのだ。
そもそもダナンの政局に手一杯で興味も湧かなかったが、王という立場上、縁談が舞い込んだり諸侯の令嬢たちと出会ったりする場面は何度もあった。女性にはそれなりに慣れている。
俺の周囲にいる人間は、政略結婚前提の世界で生きてきた演技に慣れた女性ばかりだった。みんな男性との戯れが仕事のようなものだ。
俺も仕方なく形式的にダンスを申し入れたり抱きしめたりしたことはあるが、だからといって魅力を感じたわけではなかった。
フリッカのように恋も知らない純粋な娘は、俺の知る世界にはいない。
だからまさかキスしようとしただけで頭から湯気を出して倒れてしまうだなんて思いもしなかった。そんな初心な女性が世の中にいるとは知らなかったのだ。
彼女が腕の中で意識を失ったときは驚いたし、申し訳なくも思った。
でもなぜか心が踊るような感覚をも覚えるのは、なぜだろう。
フリッカには悪いとは思うが、そのときのことを思い出すと笑みが零れる。彼女が寝ていることを改めて確認すると、俺は眼鏡を外して髪の毛をかきあげた。
「だってまさか、キスしたくらいで倒れるとは思わないだろう?」
知らず呟いた言葉は、受け止める相手もおらず宙に消えていった。
「早く良くなってくれよ。かわいい恋人さん」
これにて第二章完結です。
二人の気持ちにも微妙に変化が生じてきて今後どうなるのか……引き続きお読みいただけると幸いです。
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