40、後悔してないの?(ゲオルグside)
フリッカによるとバーンマクは精霊が多く住む森に生息する守り人なのだそうだ。青白く輝く毛色は自然の生き物とはほど遠く、青い宝石のような瞳はこちらの胸の内を見通す力を秘めている。
荘厳な雰囲気をまとう彼らはとてもプライドが高いと聞いた。
そんな崇高な生き物に、フリッカは「クーシー」と名付けて仲良くしていた。
「フリッカに会いにきたのか?申し訳ないが彼女は体調が悪く、今眠っているんだ」
クーシーは無言でこちらを見上げている。俺は精霊との会話はできないが、その青い瞳を覗き込んでると、こちらの言っている言葉を理解しているのではないかという感覚に陥った。
「熱が下がったらまた君のところへ遊びに行くと思う。だからそれまでの間待っていてやってくれ」
俺はしゃがんで彼の毛をそっと撫でる。
クーシーは小さく唸ると、口に加えていたプラム大の緑の木の実を地面に置いた。おおよそ3つほどある木の実のひとつが、ころりと転がって俺の足にぶつかった。
「これをフリッカに持ってきてくれたのか」
クーシーは用は済んだとばかりに踵を返し、そのまま足早に去っていった。
俺はクーシーが置いて行った木の実を掴み上げながら、彼の去っていった方角を見つめる。今日の森は霧が濃くて、クーシーの姿はすぐに見えなくなった。
きっとクーシーはフリッカの体調が悪いことを察していて、この木の実を持ってきてくれたのだろう。プライドの高い森の守り人も、彼女のことを気にかけているのだ。
俺は、フリッカと触れ合うことで変わった者たちを多く観察してきた。港町の人々も、精霊も。
当初は何の接点もなく興味すら抱いていなかった娘のことを、今は必死に心配している。
人は関われば否応なしに感情が交差するものだが、フリッカの場合は引力に引かれるように人々を巻き込んでいく感覚があった。
傍から見る限り、彼女本人はそれを自覚していない。むしろ、優秀な母親に対する劣等感から「自分には力がない」という評価を下しているように見える。
ドルイドの能力に関しても、未だ見習いという枠を超えることが不可能であるとのレッテルを自ら貼り付けているかのようだ。
王宮ではさまざまな祭司を従え、政治的なアドバイスをもらってきた。ドルイドたる祭司たちは誰しもが権威的に振る舞い、ときには大臣にすら意見をすることもあった。
彼らの仕事の最たるものは星詠みだったが、それがダナンの将来を左右する大事な指針であることが分かっている手前、態度は尊大でありその自信が揺らぐような姿を晒す者もいなかった。
だから、いくら見習いとはいえ、ここまでがむしゃらに自分の力を信じようと必死な娘に興味を抱いたことも確かだ。それに、フリッカの力は王宮の祭司とは違えど、十分に目を見張るものがある。
今の祭司の中に、かつてのブリガンディーのように精霊とやりとりできる者がどれだけいるというのか。
とはいえ、フリッカの力というものがドルイドの能力それだけを指すのかと問われれば、そうとも言えるしそうとも言えない、と答えるだろう。
フィルランドの人々を動かしたのも精霊が力を貸してくれたのも、あくまでも彼女自身の魅力がそうさせたのだ。ドルイドの能力は、彼女自身を構成するひとつにすぎない。
現に、メロウの興味を引くときだって――……。
フリッカの寝室のほうから物音がした。
クーシーにもらった木の実をキッチンの上に置き、寝室のドアを開けた。寝台の上では、フリッカが上半身を起こしていた。
重い瞼を開け、だるそうな表情でこちらを見つめている。俺は急いで近づいた。
「まだ熱が高い。横になっていろ」
「ゲオルグ。私、あれからずっと寝ていたの?」
フリッカが弱々しく呟く。
「ああ。丸一日寝ていた」
「そんな……。ごめんなさい、メロウたちのところに行くって約束しているのに」
立ち上がろうとする彼女を制止した。こんな状況で外に出るなどとんでもない。病状が悪化するだけだ。肩に手を置き、そっと寝台に戻す。
「無理をしては駄目だ。今はまだ寝ているんだ」
「でも、メロウたちが」
「メロウの件なら大丈夫だ。聞いて驚け、銀魚が戻ってきたぞ」
「えっ」
フリッカが驚く。辛そうな様子ではあったが、その表情には喜色が湛えられていた。
「本当なの?メロウたちが動いてくれたのかしら」
「今日港で聞いてきたから間違いはない。漁師たちが大騒ぎしていてな。昨日から急に潮の流れが変わって、早朝の漁では銀魚が以前と同じ量で獲れたそうだ。
俺もちらっと朝市を覗いてきたが、露店には大量の銀魚が並んでいた。あれなら大丈夫だろう」
「良かった、本当によかった……」
涙ぐむフリッカ。彼女が体調不良を隠し通そうとしたのはこの銀魚の不漁があったからだ。自分の体調などそっちのけでメロウと仲良くすることで、早急に事態を打開させたかったのだろう。
フリッカを十分に安心させたところで、彼女の前にはちみつとハーブで作った薬茶を差し出した。手渡したカップを覗き込む彼女に簡単に説明する。
「風邪に効くハーブを入れてある。雑貨屋の店主が早く良くなるようにと分けてくれたものだ」
「雑貨屋さんにもお礼を言っておかないとね。効きそうな香りがするわ」
淡く微笑んだフリッカはさっそくカップに口を付けた。こくりと小さな嚥下音が響く。
「薬だけど案外おいしいわね。これなら飲めそう」と感想を述べた彼女は、再度薬茶を口に含んだ。
「最近の君は頑張りすぎだ。それを飲んだらじっくり休め。店主も君のことを心配していたし、先ほどはクーシーが様子を見に来たぞ。みんな君が元気になるのを待っている。もちろん、俺もだ」
元気付けるために言ったのだが、フリッカはこちらを見つめた後、なぜか俯いた。やはり薬茶が口に合わなかったのだろうか。
彼女の様子を伺っていると、フリッカはチラリとこちらに視線を向けてから、ためらいがちに口を開いた。
ただでさえ赤くなっていた顔の赤みが増している気がする。そしてぽつりと零された言葉。
「メロウたちの前でやったこと、後悔していないの?」
何のことだろう。後悔を覚えることなどあっただろうか。
はて、と考えていると、思い出した。