36、恋とはこんなものですよ
確かに、先ほどゲオルグの腕を掴んだせいで体の距離も近いと言えば近い。こんな夜の港を二人で歩いていたら、デートだと思われても仕方ないのかもしれない。
次の言葉を探す。実際には違うのだから「違う」と一蹴してしまえばいい。
けれどここで否定をしたら、メロウはまたゲオルグの気を引こうとする。それは困る。
逆に――盛大な嘘ではあると分かってはいるが――「そうだ」と言ったらどうなる?
メロウは目当ての男を捕まえることができないと分かり、興味を失ってしまうのではないだろうか。
どちらにせよ、メロウの気を引くことは難しくなってしまう気がして、言葉に窮する。
ところが、もんもんと短い間に巡らせていた思考はメロウの一言で雲散霧消した。
『ねえ、恋って楽しい?』
メロウは一度海面に潜ると再び埠頭の近くに顔を出した。
下半身は海を泳ぎながら、私とゲオルグが立っている足元、埠頭の先端に白い肘をついてこちらを見上げている。
私は固まっていた視線を埠頭の先に戻した。
『私ね、まだ恋をしたことがないのよ。恋をすると胸の奥が苦しくなってつらいことも増えるんだけど、毎日が楽しくて大好きな人に会えたときは飛び上がるほどに嬉しくなるって聞いたわ。
つらさと嬉しさの乱高下……それが恋なんだって』
メロウがうっとりと「恋」について語り始めた。
それはまるで恋愛小説の中に登場する王子様とお姫様に憧れる少女と変わらない。まだ見ぬ恋物語に憧れる一人の女の子のそれだった。
『私のおばあさんはかつて人間の船乗りと恋に落ちたそうよ。家族に邪魔されてしまって成就しなかったのだけど、一緒にいるときはとても素敵な時間だったって……。だから私も人間の男と恋をしてみたい。胸がドキドキする体験っていうものに憧れているのよ。
なのに海の国では「人間と種族違いの恋をしてはならない」だなんて言う年寄りが多くてね……やんなっちゃう』
予期せぬ語りに驚くが、邪魔をせずにそっと見守る。
どうやらメロウの興味の対象は「恋」のようだ。確かにこんな子に昨日のような政治の話をしては嫌われてしまうだろうなと思った。
昨夜の私はきゃぴきゃぴ言いたい年頃のメロウに皇位継承権で揺れるダナンの話やら水軍の行く手をふさぐ水門の話をしてしまった愚か者だったわけだ。
メロウの興味の対象を知らなかったせいでとんだ話を聞かせてしまった。
しかし道は示された。
昨日の後悔は捨てよう。
今はこの話題に乗っかるしかない。
私も恋愛経験はほとんど皆無だが、そんなことを相手に悟らせるわけにはいかない。無知を隠し、なんとか話を合わせることにした。
「そうよね、恋は楽しいわよね。分かるわ。その人が近くにいるだけで、幸せになれるもの」
私はそれっぽく、胸に手を当てて得意げに語った。ただし経験はないので、もちろんはったりである。
ゲオルグが突然の話題転換に訝しんでいる様子がひしひしと伝わってくるが、無視する。
『近くにいるだけで?恋の力ってすごいのね』
「好きな人が笑ってくれたら嬉しいし、好きな人が泣いてしまったら私も悲しいわ。自分の心の中に、好きな人が入ってくる感じかしら」
『素敵ね。人間が羨ましいわ。……彼ともいつも一緒にいるの?』
メロウが頬杖をつきながらゲオルグに視線を向ける。
ここまで来たら誤魔化すことはできない。
私はゲオルグに小さな声で「ごめん」と言って、引いていた腕をさらに近づけ、腕を組んで体を密着させた。
演技とは言っても、自分の心拍数はぐんと上がった。
ゲオルグはわずかに目を見開いただけで、特に何も言わない。
「そうよ。彼と一緒にいると、楽しいわ」
『熱いのね。いいわ、そういう話もっと聞きたい』
これ以上聞かせる話なんてないんですけど、と内心焦っていると、港の岸壁から少し離れたところに再び別の波が立った。
次の瞬間には、海面から青髪のメロウと緑髪のメロウが顔を出していた。二人のメロウは、こちらのほうへ近づいてくる。
『楽しそうな話をしているじゃない、私たちも混ぜてよ』
『人間のカップル?』
『そうよ。二人がいかにラブラブかを聞かせてもらっているのよ』
『え~、そういう話たくさん聞きたい!退屈していたところなの』
さらに二人のメロウの興味を引くことができてガッツポーズをしたいほどに嬉しい半面、泣きそうになりそうな心境でもある。
実戦経験がない私にラブラブな話など到底お披露目できそうにない。そもそも私とゲオルグは恋人ではない。
でも、ここで作り話でもなんでもいいからラブラブを装わないとメロウたちは興味を失って去っていくに違いない。
絶対に引くわけにはいかないのだ。頭を抱える。