33、すれ違って、励まされて
今回もボリュームが少し多めで、3000字程度になります……!
二人の気持ちの変遷を表現するのに少々長いまとまりになりました。
隠れ家までの坂道を上る間、ゲオルグは一言も話さなかった。
暗闇の中、カンテラの明かりが無言で揺れる。明かりに照らされた自分のローブの裾が、先ほどのメロウの一件で土埃にまみれていた。
このローブはゲオルグが今日の朝に洗濯をしてくれたものだ。それを汚してしまった。
洗濯をした服が汚れるなんて至極当たり前のことなのに、今は申し訳なさでいっぱいになる。
「なぜメロウが危険であることを俺に伝えなかった」
隠れ家に到着すると、居間の椅子に座ることなくゲオルグが訪ねてきた。
後ろを向いていて彼の表情は分からない。ゲオルグの口調はいつも通り平坦だったが、わずかに普段とは違う熱が乗せられていることに気付いていた。
私は俯いて、言葉を探す。
焦っていたから?
変な自信があったから?
どれも事実だ。けれどいざ口にしようとするとひどく幼い理由に思えた。
そうだ、私は今、それをゲオルグに伝えるのが恥ずかしいのだ。
ゲオルグは私の沈黙を別の意味に捉えたようだった。
「そんなに俺が信用できないか」
顔を上げた。あまりに意外なことを言われたせいで、一瞬その言葉の意味が理解できなかった。
信用?誰が、誰を。
「所詮君にとって俺は信頼に値しない王か。いや、今は同居人だな。それにしたって何の相談もできない、信頼できない同居人ということか。一人で全てを解決できると、そう思って」
「違うわ、ゲオルグ!そうじゃない」
ゲオルグの思い違いに、私は叫んだ。
ゲオルグがゆっくりとこちらを向く。
普段表情の乏しい彼の顔は歪められていて、私は愕然とした。
そこにあるのは悲しみだ。孤高の鷹の目に、悲しみが湛えられている。
私は単に、ゲオルグに無用の心配をかけたくないと思い、メロウの危険性を説明しなかった。それほど深刻に捉えていなかったのだ。
ところがゲオルグは、私が彼のことを信用していないと考え、独断でメロウを味方につけようとしたのだと、そう考えたのだ。
二人の考えの齟齬に気付き、後悔する。ゲオルグを悲しませたのはまぎれもなく自分だった。
自分のドルイドたる力に全てがかかっているという変な思い込みをしていたせいで、一番助けたかった人を悲しませてしまった。
「ゲオルグ」
「今回は間に合ったからよかった。だがもし俺がフリッカの異変に気付かずに後を追わなかったら?今頃君は海の中だ。君は死んでいたかもしれないんだぞ」
「……ごめんなさい」
ゲオルグがかきあげた髪をくしゃりと掴む。彼の言葉を聞いて、私は自分の判断が間違っていたことを悟った。
ゲオルグの言う通りだ。彼がいなかったら今頃死んでいたに違いない。
「ゲオルグ、聞いて」
自分の過ちに胸が苦しくなる。立ちすくみたくなる。
でも今は、何よりも先に彼に言わなければならないことがある。私は数歩進んで彼の目の前に立った。
ゲオルグの黄色い瞳を見上げれば、彼は静かに私を見下ろしてくる。
「私はあなたをことを信用している。これは本当よ。信じて」
喉が震えた。その後の言葉を紡ぐことは、すなわち自分の未熟さを打ち明けることと同義だったから。
でも、言わなきゃいけない。ちゃんとゲオルグに説明をしないといけない。
「メロウの力を借りることができれば、フィルランドの人々の生活を救うことができると思ったし、何より、ゲオルグを王宮に帰すことができると思ったの。これは私にしかできないことだって思った。
私自身の手でなしとげなきゃいけないことだと思ったの。あなたにメロウの危険性を伝えなかったのは、あなたを心配させたくなかったから」
ううん、違う。それだけじゃない。私は首を振る。
「私だけでも……メロウの力を借りることができるって。お母さんのように精霊の力を借りてあなたの役に立つことができるんだって、証明したかったの……」
言い終わると、視線を床に落とした。全部言ってしまった私は、思わずぎゅっと手を握る。
またお母さんへの対抗心が、私の心から悪い芽を出してしまった。
お母さんのように自分一人でなんでもできればゲオルグを助けられると思った挙句、結局自分の無力さを露呈し、あまつさえゲオルグに助け出されたのだ。
これでは彼に呆れられても仕方ない。
しばらくして、頭上からは息を吐く声がした。次に聞こえるのは、罵声か、呆れ声か。
ゲオルグは「いいか、フリッカ」と前置きをした上で、言った。
「君は君だ。母親とは違う。そこで焦らなくていい。……だから、危険なことはするな」
ゲオルグの声には労りの音が含まれている。見上げると、眼鏡の奥の表情はいつもの優しい彼に戻っていた。
「ここには俺もいる。君は一人じゃない」
「でも、私がメロウを味方につけなければダナンランドへの侵攻作戦は……」
「また別の方法を考えればいいさ。ダグダにも知恵を絞ってもらう」
ゲオルグが肩をすくめて見せる。
彼が気休めを言っているのだとすぐ分かった。ダナンランドへの侵攻作戦はそんなに簡単に行くものじゃない。
先日のゲオルグとダグダの会話を横で聞いていても、陸路での侵攻は非常に難しく危険が伴うことだと言っていた。そうであればやはり海路しかない。
「やっぱり、私では駄目なのね」
気が抜けていたせいか、普段であればこぼすことのない弱音を漏らしてしまう。
ゲオルグは片眉を上げたが、特に言葉を挟むことはなかった。
「王宮の祭司だったら、こういうときにゲオルグのことを導いてあげられたのかしら。いざというときに限ってフィルランドの人々の苦しみを取り除くこともできないし、あなたのことも救うことができない。……お母さんにも追いつけない」
私は椅子に座って、膝の上に置いた手を見つめ続けた。
気持ちが落ち込んでいるのは、精霊とのやりとりで初めて危険な目に遭ったからでもある。
私が生まれてからこれまでに相対してきた木々や動物は比較的友好な者が多く、気楽に会話をすることができた。
けれどメロウは、明確に私を海の底へ引きずりこもうとしていた。そこにははっきりとした敵意があった。
「メロウが私を海に引きずり込んだときも、うかつだった。私はメロウが危険なことを分かっていながら警戒もせず、隙だらけだった。……これではドルイド失格ね」
「フリッカ、もうそのことは気にするな。次から気を付ければいい話だ」
ゲオルグが私の名を呼びながら肩に手を置く。彼の手がそっと肩を撫でるものだから、私は顔を上げることができなかった。
その優しさに泣いてしまいそうだったのだ。
「それに言っただろう。君は一人じゃないと。打開策なら二人で考えればいい」
「でも私は結局、お母さんを越えられないのよ。こんな未熟者じゃ何をやったってうまくいかないわ」
「君は母親を超えたくて焦っているのだろうが、今は自分を卑下するよりも、焦らず我慢をするときだ。実際、俺は君に助けられたからここにいる。そのことを忘れないでくれ」
先ほどは怒りを見せたものの、ゲオルグの言葉はどこまでも穏やかで私の耳に溶け込むようだった。
こういうとき、この家に共にいるのが彼で良かったと心の底から思う。
「今日は疲れただろう、もう休め」と促され寝室に入ったが、どこか興奮した気持ちを鎮めることができず、眠りに就くことができたのは夜半を過ぎたあたりのことだった。