30、遭遇
普段は早朝に通っている坂も暗闇に包まれており、ランタンがなければ足元すらおぼつかない。曇っているせいか、空も低く感じられた。
森は昼間に見るのとは違う気配を纏っており、道端から私を追い立てているような気さえした。今にも目を光らせた狼が飛び出てきそうな雰囲気だ。
(普段通り慣れているはずの道なのに、時間が違うだけで十分に不気味ね)
まるで希望の明かりのように私の目に光るのは、坂を下りた先にあるフィルランドの町明かりだ。
田舎町とはいえ、そこここの家々には生活の明かりがついており、港にも船の灯りがともる。
ガサガサと音がして、道端の木々が揺れた。
一瞬ドキリとしたが、目に入ったのは青白い気品を纏った獣。
気付けば、坂を下りる私の横には森の中から現れたクーシーが並走していた。
「あら、クーシー。もしかして私のことを守りにきてくれたの?」
昼に比べて、夜には精霊も凶暴になる。
森の番人であるクーシーはそれをよく理解しているはず。「守りにきてくれた」のはきっと自惚れではないだろう。
『勘違いするなよ。たまたま見つけただけだ。夜に出かけるなんて珍しいじゃないか』
「ふふふ、ありがとう。……メロウに会いにいくのよ」
『メロウか。フィルランド周辺のメロウは集団行動を取る。単独よりもコミュニケーションが難しいから気をつけろ。それに、最近のメロウは銀魚がもらえなくて気が立っている』
クーシーの忠告を聞きながら、港に到着する。
先ほど坂の上から見えていた帆船も、ほとんどいなくなっていた。みんな夜漁に出たのだろう。
私は石造りの埠頭の前にランタンを置き、海面を覗き込みながらしゃがみこんだ。
いつの間にか、森の中からついてきたクーシーも横に座っている。
何だかんだ気にしてくれているのは嬉しいので、そのままにさせておいた。
周囲に人はいないけれど、いたとしてもおそらく町の人にはクーシーの姿は見えないだろう。
私とクーシーは、一緒に港でメロウを待つことになった。
漁師から聞いた話だと、メロウに出会ったのは岸から離れた漁業中の海でのこと。港近くでは出会うことは難しいかもしれない。
ぼんやりと見上げれば、真っ暗な空の中で星が力強く輝いていた。
待っている間、私は物思いにふける。
祭司は星の位置や動きを見ることでダナンに起きる将来を予言する、いわゆる星詠みが主な仕事だ。
でも私は星詠みが苦手で、こうやって星を見ても綺麗な宝石のようだという感想しか抱くことができない。
(あーあ……。私に星詠みができたらもっとゲオルグの役に立てるのになあ)
ショーンのこともクーシーのことも、たまたま運が良かっただけで、己のドルイドの力が功を奏したわけではない。
ゲオルグにもフィルランドの人にも感謝はされているが、自分がそのままの評価を受け止めることはためらわれた。
(きっと、王宮の祭司だったら当然のようにできているはずよ。いいえ、それだけでなく、もうすでにブレスを打ち破ってゲオルグの治世を取り戻すことだってできているかもしれない……)
さすがにそこまでは無理だが、今の自分にだってできることはあるはずだ。メロウの力を借りて、さらに別の水精霊とも仲良くなって。
そうしてゲオルグをダナンの王宮に帰すことができたら、私だってちょっとは自信がつくかもしれない。お母さんに近づくことができたんだ、って。
(そんなこと言っても、まだメロウにすら会えていないんだけどね)
思考の海から意識を引き上げる。現実の海面を見れば、先ほどと同様穏やかな様子だ。
何も変わったことはなく、精霊の気配もしない。
あれから一時間は待っただろうか。今日は空振りに終わりそうだった。
後ろにいるクーシーに視線を向けると、犬みたいに丸くなっていた。
あまり夜遅くなってもゲオルグが心配するだろうし、明日の朝市の時間にも起きられなくなる。
今日はここまでかな。そう思いながら立ち上がると、海面から小さな囁き声が聞こえてきた。
『――……れ、そう……』
若い女性の、踊るような高い声だった。小さかったが間違いない。海面のほうから声がしている。私は慌てて周囲を見やった。
『あの子、珍しい。人間の女の子よ。バーン・マクと一緒にいるわ』
今度ははっきり聞こえた。
が、声の主がどこにも見えない。立ち上がったクーシーが口先で前方の海面を示した。
『フリッカ。メロウだ。あそこにいる』
埠頭から数メートル先。女型の人魚が海から顔を出していた。
上半身だけ見ると、人間と変わらない。綺麗な顔をした金髪の少女だった。