26、水軍将
今回はちょっと長め(3000字)です……!
森の中で彷徨っていたのは諸島国家ダナンの水軍将、ダグダだった。王宮で離れ離れになって以来の再会だった。
クーシーに連れられてダグダと再会したフリッカは、森の中で迷って疲弊していたダグダを隠れ家へと連れて帰った。
家に入ったダグダはゲオルグの姿を見た途端、「陛下」と言葉を発したきり、だまって彼の前に跪いた。無言の時間は長く続いた。静寂を破ったのは、ゲオルグだ。
「よく無事だったな、ダグダ」
「――陛下。必ずやご無事であると信じてはいたものの、このように再び拝謁できることを幸せに思います」
「お前が王宮で機転をきかせて逃亡させてくれたおかげだ。あのとき少しでもタイミングが悪ければ、俺はブレスの軍に掴まっていたであろう。礼をいうぞ」
「とんでもございません」
「あとは、逃亡先にフィルランドを選定したフリッカのおかげもあるな」
ダグダは立ち上がると私のほうへと振り向いた。
「ブリガンディーの娘……いやフリッカ。陛下を今日まで守ってくれたこと、礼を言うぞ」
「大したことはしていません。むしろ私のほうが……」
むしろ私のほうが、ゲオルグとの生活を楽しんでしまっている気がする。などと言ったら不敬罪に問われそうなので、「なんでもありません」と口をつぐんだ。
「なんだ?変な奴だな。お前、陛下にタメ口使ってるんだろう。俺だけに敬語もおかしいから普通に話して構わんぞ」
「え?ええ、分かりました。……分かった」
ゲオルグとダグダは居間の席に座り、向かい合いながら会話を始めた。
「ダグダは今、どこで何をしているんだ?」
「南部の軍港付近の砦におります。ブレス軍は南部の軍港を制圧したつもりでおりますが、脇が甘い。
ブレスのやり方に納得できない者は水軍には特に多く、軍港の一部砦は新王軍と対峙するための根城になっている様相です」
密かに新王軍と対決する腹積もりをしている者たちが表面上はブレスに従っている様子を見せ、実際には逃げおおせたダグダを匿っているのだという。
「それにしても、俺とフリッカがフィルランドに逃亡したということがよく分かったな」
「情報を探らせている行商人が、ダナンランドから引っ越してきた兄妹がフィルランドにいることを知らせてきたのです。
フィルランドは精霊の故郷と言われる地。ドルイドが共にいれば逃亡先として選ぶこともあるのではないかと思い至り、少し前から何度かこの地に赴いておりました」
さすがにブレス軍が「ダナンランドから引っ越してきた兄妹がフィルランドにいる」という情報だけで私とゲオルグに行きつくことは難しいだろうが、ダグダは私をゲオルグに付き添わせた張本人。
しかも私がドルイドの見習いという素性を知っているからこそ、すぐにピンと来たのだろう。
とはいえ、この隠れ家はフィルランドに古くから住んでいる人ならまだしも、地理に詳しくない者が探し出すには相当に難しい場所だ。ダグダだけでは発見することは不可能だっただろう。
クーシーが教えてくれたからこそ、今日、私たちは再会することができたのだ。
(精霊って付き合うのは難しいけど、力を貸してくれるとなると本当に頼もしい存在よね。クーシーにも後でお礼を言っておかなければね)
ゲオルグが頷く。頬杖をつきながら、さらに状況理解のための質問を重ねた。
「ダグダが把握している限りで構わん。現状のダナンはどうなっているか教えてくれないか」
「御意。ダナン王宮および首都はブレスの支配下に収まっています。軍部も内部では不満が溜まっておりますが、表面上は掌握されております。ブレスは新王を名乗り、島全体へと徐々に支配を拡大しております」
「となると島内で俺たちにとって安全な場所がなくなるのも時間の問題か」
「いえ。そう上手くはいっておりません。ブレスの政治手腕は未熟なため、各地域で諸侯との衝突が起きております。大陸との連携も上手くいっておらず、島全体への支配を確固たるものにするには未だ時間がかかるものと見られます」
「混乱が続いているうちにこちらから攻め込んでしまえば首都奪還の可能性もあるということか」
「はい。ブレス軍は大陸の軍事力を最大限利用する魂胆でしょうが、大陸からすればちっぽけな島国を対等に見る向きなどありはしません。ダナンランドの港を守る艦船を割り当てられて終わりでしょう。
一方で陛下のもとには南部の軍港に停泊している軍艦もございますし、水軍将である私が声をかければ、もう一度現王たる陛下のもとに馳せ参じるであろう兵士は多くございます。未だ風はこちらに吹いております」
「そこまで楽観視できる状況でもないが、やるしかないだろうな」
ゲオルグは寝室から持ってきた地図を机上に広げた。ダグダとゲオルグの二人が地図を覗き込み、あれやこれやと話し出す。
私も話を聞きたかったが、朝食の準備をしなければいけない。
キッチンに立ちながらも、聞き耳を立てる。
「では、水軍を動かして首都の港を攻めるのはどうだ」
「陸軍部隊を動かせない以上、王都を奪回するにはそれしか方法はないでしょう。ただしそのためには解決しなければいけない問題が二つあります。一つは王都の港を守る帝国海軍の存在です。大陸から押し寄せた艦隊をどう打ち破るか」
「南部に停泊しているダナンの軍艦を差し向けても勝てない陣容なのか」
「勝てる、と言いたいところですが五分五分です。必ず勝利を約束するためには、水軍将としてはもう一艦隊ほどの戦力が欲しいところです」
「ふむ。ではもう一つの問題というのは何だ」
「南部の軍港から軍艦でダナンランドに向かうには、“水妖の墓場”を通らねばなりません」
思わず手が止まる。
水妖の墓場。噂には聞いたことがある。
島国ダナンの南西に広がる小さな海域で、視界が悪く高波が起きる船の難破海域だ。
その難破理由はほとんど自然災害によるものとされているが、なぜその海域だけ難破事故が多いのかは謎に包まれている。
「船が通れば必ず嵐が起きる」とされて避けられている地域であり、ダナンの人々の間では「水妖の仕業だ」と言い伝えられていた。
「船乗りたちも“水妖の墓場”だけは通りたがりません。過去には小型の軍艦ですら沈没したという話も聞きます。それほど特殊な海域を無事に通り抜けられるかどうか」
ゲオルグはダグダの説明を頷きながら聞いていた。アゴヒゲに手をやりながら、聞き終えたと同時に口を開く。
「なるほど。となると海上から迂回するか、なんとか陸路での戦略を見つけるかの二択になるということだな」
ゲオルグは気落ちした様子は見せなかった。現状を把握し、あくまでも冷静に対処しようとしている。
数日前には自分の無力さを憂いていた彼だが、あれから考え方も変わったようだ。
目の前にある課題から目を背けず粛々と応じる彼に、国のトップとしての強い意思を見るような気がした。
一方で、私のほうはゲオルグとダグダの会話を聞いて以降、ある思いが頭の中から離れなかった。
(水精霊……)
自然のあるところには精霊が住む。海も同様だ。お母さんが使役したとされる水精霊の力を借りることができれば、帝国海軍の件も“水妖の墓場”の件も解決できるのではないだろうか。
ただし水精霊は精霊の中でも特に気難しく、中には体が大きく凶暴なものもいるとされる。
契約を交わすにしても自分の体の一部など「捧げもの」を要求されることもあると聞く。とにかく関係を結ぶこと自体が難しいのだ。
(でもドルイドを目指すなら水精霊ともやりとりができるようにならなければ……。それに私が水精霊の力を借りれば、ゲオルグは王宮に戻ることができる)
そこで私は気付いた。
この逃亡劇が終われば、私はドルイドの見習いに戻り、ゲオルグは王様の生活に戻る。二人暮らしも終わるのだ。
そんなのは当たり前のこと。でも、心のどこかでそれを寂しいと思っているのもまた、事実だった。