23、王の本音
「おや、あんたたち!」
腰掛けると同時に、ショーンの祖父である雑貨屋の店主が私たちに気付いたようだ。
手を振って声をかけてきたので、私も手を振って応じた。店主の手にはエールが掲げられている。
同じ席を囲んでいる漁師二人もエールを飲んでいた。
「レストランで食事なんて珍しいな。その男性は、フリッカの言っていたお兄さんかい?」
「店主さん、こんにちは。ええ、彼が私の兄よ」
「おやっさん、この二人組は?ここいらじゃ見かけない顔だが、行商人かい」
「馬鹿野郎、この前話しただろう。ショーンを助けてくれたお嬢さん、フリッカさんだよ」
店主がそう言うと、漁師の二人組は声を上げて喜んだ。ショーンを助けてからというもの、こういう反応をしてくれる町の人が増えている。
「すげえ!ショーンを助けたって噂の嬢ちゃんか!ショーンは俺たちにとっても息子みたいなもんだからなあ、俺たちからも礼を言わせてくれよ」
「兄ちゃんも男前だな。なあ、せっかくだから酒を奢らせてくれよ」
「馬鹿、フリッカのお兄さんは病み上がりなんだ。あまり無理をさせるな」
そうは言いながらも、三人はなかなか解放してくれそうになかった。
ゲオルグも苦笑しながら「せっかくなのでご馳走になろう」と言う。
店員のご婦人を呼んで、メニューの中から魚の香草焼きや豚肉の塩漬け、ハーブエールをお願いした。
漁師の二人組に乞われて、ショーンを助けたときの話をした。ただし精霊の件は伏せて、森の中にいたショーンの声を聞き、たまたま助けたことにする。
「あの森に入るなんてフリッカさんにも危険が及ぶかもしれないのに」と店主には再び感謝されたし、漁師たちも肩を組んで喜んでくれた。
エールを掲げながら会話に花が咲いたちょうどいい頃合いで、漁師がぽつりと漏らす。
「最近はダナンもきな臭くていけねえや。ショーンが助け出されたって話題は、久しぶりに町にもたらされた明るい話題だよ」
「きな臭いって何がですか?」
私が問えば、すかさず「王様だよ」と返ってくる。私もゲオルグも身を固くする。
「一年前まで王位継承権争いで何人もいる王子様たちが無駄に争っていて物価は上がりっぱなし。それがようやく落ち着いたかと思ったらまた王様の代替わりだぜ。
詳しいことはよく分からないけど、大陸の船まで押し寄せてるって言うじゃねえか。この国はどうなっちまうのかね」
「大陸の国なんて来たらダナンは占領されちまうんじゃないか。それともまた戦争になるのか?」
ショーンの祖父が会話の後を継ぐ。
「大陸と手を結ぶ新王軍とやらは信用できない。その軍隊が大挙した都市や港は治安が悪くなっているそうだ。
兵士も統率が取れていないという噂だし……フィルランドにもいずれ来るのかと思うと不安でならん」
酒が入っている手前、本音が漏れやすくなっているのかもしれない。
思わず直面することになったダナンの人々の不安に胸が痛む。
チラリとゲオルグを見やると、彼は神妙な顔をしていた。
「ほら、あんたたち!兄妹でゆっくり食事させてやりな!」
そこへレストランのご婦人が料理を持ってきた。
「注文の魚料理だよ。悪いね、こいつらもうるさいけど悪いやつらじゃないんだ。ショーンの件は町のみんなにとって本当に喜ばしいことだったんだ。許してやってくれさね」
ご婦人が会話に割って入ると、私とゲオルグの席にへばりついていた漁師たちが「悪かったな」と苦笑をしながら離れていく。
ショーンの祖父が謝罪代わりにエールを掲げた。
「フィルランドの魚料理は絶品だ。存分に味わってくれ」
運ばれてきた料理にさっそく舌鼓を打つ。
さすがに港町のレストランだけあって、魚の味を生かす味付けを知っている。
魚の身がふっくらと仕上がっていて、香草と小麦との相性も良い。パンを食べる手が止まらなかった。
「美味しいわね!」
私は興奮しながらゲオルグに話しかけた。ゲオルグはそんな私の様子を見つめながら、目を細めて頷く。
漁師二人組とショーンの祖父は元の席に戻って三人で話し始めている。
婦人が厨房の奥に行ったのを確認すると、彼はおもむろに口を開いた。
「そうだな。……つい先日まで王宮の厨房係に食事を作ってもらっていた生活を過ごしていたというのに、なんだか懐かしい感じがする」
外での食事という常とは違う環境のせいか、普段は聞かないことを聞いてみようという気になった。
周囲を確認してから、わずかに声をひそめる。
「ねえ、王様の一日ってどんな感じなの?」
「部下からの報告を聞き、会議を終えては、指示を与える。特にダナンは王位継承権争いで国力が落ちていたからな。
とにかく大陸からの脅威に立ち向かえる戦力を取り戻さなければならなかったから、軍事面の決定事は連日大量に積まれていた」
彼は窓の外を眺めながら淡々と語る。懐かしむでもなく、嫌がるでもなく。
それが自分に与えられた責務なのだと、当たり前のように。
「王は孤独だ。大臣やドルイドはアドバイスをくれるが、最終的な判断をするのは全て王だ。正しければ栄えるが、間違っていれば国は失われる。やはり俺は国のトップには向いていない。
王位になど就かず、学者崩れをやっているほうが良かったと何度も思ったよ」
王宮では「新王は独断専行が多い」と噂され、悪評が聞かれていた。
でもそれは、即位したばかりの彼が孤立無縁の中でダナンを立て直すために急激に軍備を拡張していたからなのだと今なら分かる。
彼は私の話をよく聞いてくれる心根の良い人だ。短い間一緒に過ごしただけでも、それは理解できた。
彼は王として、自分ができる最善のことをしてきたのだ。
「王宮の中にいると、外の世界が分からなくなる。国民が何を思い、どのように生活をしているのか。頭の中の考えが先行して、悪いことばかりを想像する。
……今回の反乱も、俺が民の声を取りこぼした結果なのかもしれない」
「それは考えすぎよ。あなたの弟が権力欲しさに反乱を起こしただけでしょう?」
「弟だけで反乱は成し得ない。大陸国家を招く結果につながったのは、ダナンの中にも協力者がいたからだ」
ゲオルグは、窓の外に向けていた目を私に戻す。
出会った頃と同じ鷹の目に、今は恐怖を感じない。
眼鏡の奥で聡明な色に輝く瞳は、今日の朝に見た曇りを晴らしているようにも見えた。
「丘の上の隠れ家に閉じこもっているのは、王宮の奥にこもっているのと同じだな。
フリッカにフィルランドの町を案内してもらって、港町で働く人たちを見ていたら、俺が真に守るべきは何なのかを思い出した気がする。ありがとう」