17、行方不明
バーンマクに会ったあの日から数日が経過した。その間、あの美しい姿を見ることはなかった。
少しだけ森の中に立ち入ってみたけれども、バーンマクの気配は感じられない。
純粋にもう一度会いたいのもあったが、なにより怪我の治りが気になる。家に常備しておいた太陽の実のペーストも無駄になりそうだ。
バーンマクのことも気がかりだが、それよりも気を配るべきはブレス軍の動向だ。
首都はどうなっているのか、フィルランドにまで派兵されるのか。
今日も買い物がてら、町へ行って情報収集をしなければならない。
朝起きて身支度を整え、鼻歌を歌いながら丘を下りる。
朝市へと赴く間に丘から見下ろす海の景色が私の目を楽しませる。朝霧は遠くの方へと姿を消し、水平線の先まで続く光の布地がなんとも眩しい。
陽光を受けてキラキラと輝く朝の海を、丘を下りながら見るのが好きだった。
小さな港町には、帆船が係留していた。
これは漁師たちが漁から帰ってきているという合図。
船が岸に繋がれていれば、朝市が活況を呈している時間帯ということだ。
「今日は大きめの銀魚が大漁だよ!煮込みにしてもいいし、焼いても美味いよ!」
「野菜も入荷してるよ!銀魚と一緒に玉ねぎはどうだい?」
「久しぶりにハーブエールが入ってきたぞい」
港には、魚屋を中心に肉屋や八百屋のほか、北方からやってきた雑貨屋も店を並べている。
この周辺に住む人は朝市で数日分の食材を買い込むのだ。今日はいつにも増して露店の数が多かった。特に魚類の店が盛況だ。
(タラやウナギも美味しそうだけど……やっぱりフィルランドにいると銀魚が食べたくなってしまうわね)
銀魚はフィルランドの名産で、銀のうろこを持つ小型魚だ。
海の中では数千匹から数万匹の大軍で泳ぎ、その姿は通称「銀色の壁」とも呼ばれる。
脂が乗っていて煮ても焼いても美味だが、通常は流通の関係から塩漬けや燻製でしか食べることができない。
それが新鮮な状態で食べることができるのは、産地ならではである。
(この前ゲオルグに作ってもらった焼き魚、とても美味しかった……リクエストしたらまた作ってもらえるかしら)
王様に再び料理をさせようとしている自分に気付き、ぶんぶんと首を横に振る。
こんな考えを知られたらダグダに何を言われるか分からない。
共同生活に慣れ始めたのはいいが、自分とゲオルグの距離を勘違いしてしまったら駄目だ。
(でもゲオルグがあまりにも普通だからいけないのよ……まるで王様っぽくないっていうか……。「普通に接してくれ」とも言われたし)
言い訳がましくなっている自覚はある。
それでもゲオルグの態度はやはり王様らしくないのだ。
ちゃんと本来の身分差を認識しなければいけないとは思いつつ、ひとつ屋根の下で暮らしているとどうもそのあたりが緩くなってしまう。
うーむと唸っていると、「フリッカちゃん!」と豪快な声で呼ばれた。
振り向けば、朝市に出ている八百屋のサーシャおばさんである。
「おばさん、おはよう。美味しそうな野菜がいっぱいね!」
「今日はカブとニンジン、キャベツがおすすめだよ」
買い込んだ銀魚に合う食材はどれかと考えながら買い物を進める。
ゲオルグは姿を見せることが難しいために港町まで下りてくることがないのだが、せっかくだから一緒に買い物ができれば面白いのになあと思う。
一体どんな顔をして露店を眺めるのだろうか。
「兄さんの体調はどうだい」
「来た頃よりだいぶよくなったわ」
「そうかい、それは良かった。フリッカちゃんのお兄さんだしさぞイケメンだろうね、今度連れてきな」
「連れて……そうね、体調次第だけれど、考えておくわ」
(はっ……!いけない、だから彼は王様だって言ってるのに。そんな気軽に考えてはいけないのだわ)
どぎまぎしながら買い物を終える。
その後、私は情報収集を兼ねて市場を回った。
荷物を持ってゆっくり歩き、露天商や買い物に来た人々の話題に聞き耳を立てる。
大抵の話は天気のことや近頃の漁の取れ高など他愛のない話題ばかりだ。
それでも、その中にブレス軍の動向を知る手だてがないかきっちり探るのが私の仕事。
露天商同士のやりとりを聞くために、店頭商品を手に取り店の前で立ち止まる。
すると、先ほどまで楽しく会話をしていたサーシャおばさんが隣の雑貨屋のおじさんと真面目な顔で話をしているのに気付いた。
耳を澄ませていると、「森の中に……」「狼…」などと聞こえてくる。
バーンマクの件もあったのでその単語は引っかかる。
二人ともいつにも増して深刻そうな様子であることも気になったので、私は二人の露店の場所まで戻り、思いきって声をかけた。
「あの、何かあったんですか」
「フリッカちゃん……えっと」
サーシャおばさんが戸惑った表情を見せる。それはそうだろう。
よそ者を寄せ付けない小さな港町。いくらサーシャおばさん自体の気が良くても、雑貨屋さんがいる手前そうそう簡単に話の輪には入らせてもらえないかもしれない。
「よそ者には関係ない。気にせんでくれ」
白髪を撫でつけた雑貨屋のおじさんがこちらに険しい視線を向ける。予想通りの対応だった。
仕方なく肩をすくめていると、サーシャおばさんがためらいながらも言葉を続ける。
「おじさん、フリッカちゃんは丘の上に住んでいるのよ。森にも近いし、もしかしたら何か知っているかもしれない」
「しかし……」
「今はあれこれ言っている場合じゃないでしょう?緊急時よ、何か情報があれば教えてもらいましょう」
2人の会話の行く末を見守る。
ようやく結論が出たのか、雑貨屋のおじさんがこちらを向いた。苦い表情だった。
「実は、俺の孫が昨日の夜から行方不明なんだ。家族で探しているところなんだが、どうも森のほうへ向かったらしい」