16、太陽の実
バーンマクに「待っててね」と声をかけ、すぐに駆け出した。
しばらく走ると、けもの道が途切れ、低木が集まって生えているところに出た。
高木がないために、そこだけ青空の光がくっきりと届き、青緑の葉が元気いっぱいに日の光を浴びている。
陰深い森の中にこんなところがあるなんて。
先ほどバーンマクがいたところからも決して遠くはないけれど、古代林に教えてもらわなければ分からなかったに違いない。
そして私がいる手前の低木に、人の拳よりも少し小さい黄色い実りがふんだんに実っていることに気付いた。探していたのはこれだ。
名前の通り、太陽のような果実だった。
私は思わず笑顔になった。ローブの裾を広げて太陽の実をできるだけ多く採る。
あとはそれを落とさないようにバーンマクのところまで戻ればいい。
迷子にならないように、そして木の実を落とさないように。
先ほどの古代林のところまで慎重に戻ってくると、バーンマクは逃げることはせず、同じように丸くなっていた。
「本当は実から油を抽出してそれを湯せんにかけたいところだけど……今はそんなことをしている場合じゃないから、我慢してね」
近くにある大きな岩の上に太陽の実を広げると、落ちている太い木の枝でそれをすりつぶす。
何度か木の枝を行き来させていると、太陽の実のペーストが出来上がった。
少し乱暴だとは思いながらも、このまま何もしなければバーンマクの怪我は悪化するだけだ。
多少沁みるだろうという申し訳なさが先立つが、私は思い切って太陽の実のペーストをバーンマクの前脚に塗った。
『痛っ』
「沁みるだろうけど、我慢して。必ず効くから」
言いながら、毛をかき分けて怪我で赤くなっている場所にしっかりと塗り付ける。骨は折れていないだろうが、それにしても深い傷である。
罠にかかったときは相当痛かっただろうと、眉をしかめつつ手を動かす。ペーストを塗りながら、バーンマクに話しかけた。
「あなた、一人なの?親や仲間はいないの?」
『バーンマクは通常の狼とは違う。……別に群れてなくてもおかしくなんてない』
そうなのだろうか。私が本当の祭司であればもっとバーンマクの生態に明るかっただろうし、相談にも乗ってあげられたかもしれない。
今は自分の知識不足が悔しく感じられた。
バーンマクのふさふさの尾がぎゅうと背中に巻きつけられた。痛いのを我慢しているに違いない。それでも私は黙々と塗り続けていく。
『お前。こんなことをして一体何が目的だ?』
「言ったでしょう。あなたを治してあげたいのよ」
『強欲な人間め。きっと何か企んでいるんだろう』
「何もないわ。強いていえば私はドルイドだから……まだ見習いだけど、人と精霊の間を取り持つのが仕事よ。あなたたちとは仲良くしたいの」
『そんな綺麗事を言っても、僕は信じないぞ』
「別に信じてもらわなくても構わない。……はい、塗り終わったわ」
一通り太陽の実の塗布は終わった。今できることは他にはない。
立ち上がった私の前でバーンマクは首を振ると、前脚を引きずりながら森の奥へと消えようとした。
私は慌ててその後ろ姿に声をかける。
「ねえ!また会える?」
『会うつもりはない』
精霊に会ったのはこれが初めてだった。
怪我の治りも気になるし、できればまた会いたい。
そう思って問いかけたのだが、バーンマクからの返事はつれないものだった。無理強いできるものでもないし仕方がない、と私は肩をすくめた。
「私、この森の外れに住んでいるの。また足が痛んだら来てちょうだい。薬を塗り直してあげるわ」
その声かけには答えることなく、バーンマクは足を引きずりながら森の中へと姿を消していく。
精霊との邂逅の余韻に浸りながら、私はしばしの間その場に立ち尽くしていたが、バーンマクが再び戻ってくることはなかった。
その後、私も隠れ家へと帰ったが、精霊に会えた興奮は冷めることはない。
居間を歩き回る私に、姿を見せたゲオルグが首を傾げる。
「フリッカ。一体どうしたんだ」
「聞いて、ゲオルグ。バーンマクに会ったのよ!」
「バーンマク?」
とにかく聞いてほしくてつい身を乗り出す。
私が今日一日あったことを伝えている間、ゲオルグは言葉を挟むことなくじっくりと話を聞いてくれた。
青白く光る狼の姿は鮮烈な印象を残している。私がそれを思い出しつつ身振り手振りを挟みながら話す様子を、彼は穏やかに見守ってくれた。
「俺も見てみたかったな。精霊というのはやはり動物とは違うのだろうか」
「見える人と見えない人がいるわ。ドルイドでないと言葉は交わせないけれど」
「では俺は無理か。精霊の言葉が聞けたら見える世界も変わるのだろうな」
「そうだわ、ゲオルグ。ひとつお願いがあるの。木の上に住むエーン・ドゥを追い払ってもらいたくて……」
約束をした手前、古代林のお願いを無視するわけにはいかない。
翌日には、太陽の実の場所を教えてもらった古代林の上に住むエーン・ドゥをゲオルグの槍で追い払ってもらった。
とはいえ突然住み家を追われたエーン・ドゥにしてみれば何事かと思ったことだろう。
申し訳ないと思ったので、当日の朝に買ってきた銀魚をエーン・ドゥたちにお裾分けし、せめてもの報いとした。