12、フィルランドの精霊
丘を登る道はそれなりに勾配があり、片側には森との境界線が続く。
この周辺の森には時折狼が出ると言われているため、森の中には入らないよう町の人から注意をされていた。
買った食材を落とさぬようにゆっくりと丘の道を登っていると、横の木の木陰からリスが出てきた。
木の枝の上から、瞬くこともせず黒く大きな目でじっとこちらを見ている。
リスからは会話をしたがっている気配を感じた。先に口を開いてやることにする。
「こんにちは。フィルランドのリスさん」
『僕たちと話せるの?』
リスは驚いて返事をした。
「そうよ」
『僕たちと話ができる人間が来るのは久しぶりだ!以前はたくさんいたんだけど、最近はみんなダナンランドのほうに行ってしまったんだよね』
「ドルイドは王宮に勤めるのが一般的になってしまったものね。昔はこのあたりでも人間と動物、精霊たちが話すなんて普通のことだったんでしょうね」
私が言うと、リスは興奮したように木の上で一回転した。
話ができるのがよほど嬉しかったようだ。キュルキュルと鳴き声を上げている。
『ねえ、ダナンランドが嫌な雰囲気になっちゃったよ!これも人間のせいなの?』
「嫌な雰囲気ってどういうこと?」
『大陸の人間が入ってきたよ。大陸の人間は精霊と相容れない。固くて大きい武器も持っているし、嫌いだよ』
「それっていつ頃?最近の話かしら」
『ダナンランドのほうで人間たちが大きな騒ぎを起こしていた頃だよ。島国の人間たちが武器をたくさん持ち出して何やら喧嘩みたいなことをしているときに、大陸の人間たちが船で入ってきた。
ねえ、早く追い払ってよ。僕たちとても怖いんだ』
「ブレス軍が起こした反乱のときで間違いないわ。ブレス軍が受け入れたのだとしたら帝国の可能性があるわね……」
「ありがとう。大陸の人間は必ず追い返すから」と約束する。
話をしてくれたお礼に、買ってきたリンゴをおすそ分けすると、リスは喜んで森の中に消えていった。
王宮から逃亡する際、ゲオルグとダグダはブレス軍の背後に帝国がいるかもしれないという趣旨のことを話していた。
このタイミングに限って、フィルランドのリスが話している「大陸の人間」がダナンの友好国である可能性は低いだろう。
嫌な情報を聞いてしまったなと思いつつ、私は帰宅の足を急がせ、先ほどの町での噂とともにリスから聞いた話をさっそくゲオルグに話すことにした。
「ゲオルグ!帰ったわよ」
私はドアを開けながら室内に声をかけた。こうやって声を出す習慣を作ることで、部外者ではないことを伝え合うようにしているのだ。
隠れ家は、食卓のある居間の脇に寝室が二つある構造になっている。
ゲオルグは普段、自室で本を読んでいるか裏庭で槍の鍛錬をしている。
今日は読書をしていたゲオルグに一連の話をすると、彼は難しい顔をした。
「十中八九、帝国だろう。ブレスは自分が王位に就くために、兄弟たちの王位継承権争いが続いていた頃から大陸と手を結んでいた疑いがある。
非合法な権力奪取を正当化するために実力行使に及んだと見るべきだな」
淡々と解説するゲオルグ。私は怒りを抑えることができず、胸の前でぐっと手を握りしめた。
「許せないわ、ブレスは何を考えているのかしら。招き入れた帝国がダナンを蹂躙する可能性だってあるのに……。早く何とかしないと」
「そう感情的になるな。今はまだ身動きが取れん」
「分かっているけど、でも」
「せっかく逃げ出すことに成功したのに、このまま戻っても捕らえられて殺されるだけだ。せめてダグダと連携が取れればいいのだがな」
長きにわたって島国ダナンを守ってきたのは、何度も大陸を退けてきた軍艦を有する水軍部隊と精霊たちだ。
ゲオルグが軍を指揮できれば再び首都を奪還することも可能かもしれない。
(私に精霊が使役できたら)
心の中で反芻する。
(そうしたら精霊たちの力を使って、ブレス軍や帝国軍を追い払えるのに)
ただし、精霊の使役は実力あるドルイドが何らかの対価を払ってようやく行うことができる荒業とされていた。
下手なドルイドが行えば、その対価に魂を奪われかねない。
近年はお母さん以外に使役できる人はいなかったと言われているほどだ。
けれど、ここでのうのうとしていたらいつブレスの手下に見つかるか分かったものではない。
ダグダにも「王を頼む」と言われた手前、自分が打開策を見つけなければという気持ちがあるのは事実だった。
フィルランドは精霊が多く住む地域と言われている。町に下りて情報収集を行う傍ら、何とか精霊の力を借りられないか試行錯誤してみよう。
森に入るのは危険だと町の人には注意されたが、自然の近くには精霊が存在していることが多い。もしかしたら森の中で接触できるかもしれない。
(まあちょっと入るだけなら大丈夫よね)
「あまりあせるなよ、フリッカ」
「え?」




