お迎えは『異世界』まで〜寝落ち体質のお姉ちゃん、私が迎えに行くからね
私は、姉を迎えに行く。
1番最初の記憶は、幼稚園。
年少組の私は、帰りの会が終わると年長組の教室に向かった。
「おーきーて!」
1人、すやすや寝ている姉を起こして、迎えの母のところまで手を引いて行った。
小学校。
下校時間がずれる時は、校庭で遊びながら姉を待った。
教室で寝てしまう時はまだ良かった。
帰り道、道端の草原で、猫みたいに丸くなって寝てしまう時がある。
そうなったらもう、しばらく起きない。
チョークで地面に落書きしながら、姉が起きるのを待った。
いつからかこう思い始めた。
(私がしっかりしなくっちゃ)
***
社会人になるとき。
まず始めに在宅ワークができるキャリアを選んだ。
色々苦労はしたが、今はなんとか雇われの在宅勤務とフリーランスの掛け持ちだ。
市内の比較的新しいマンションが、今の自宅兼オフィスだ。
駅にも近く、買い物や移動に便利。
住む場所を勤務先に縛られないのは喜ばしい。
パソコン作業に一区切りをつけ、マグにコーヒーでも淹れようかと立ち上がった時だった。
「〜〜♪」
スマホの着信音が鳴った。
「もしもし、ハル? さっき仕事クビになっちゃってさ」
(はあーーー!?)
「はあーーー!?」
気付けば心の声がそのまま声に出ていた。
いつもいつも、良い大人のくせに、心配をかける姉である。
私はこの際にと日頃の思いを畳み掛けた。
「――うん、うん、はい……すみません。ちゃんと安全な場所に移動しますんで」
まったく手がかかる姉だ。
電話を切ると、私はパソコンの電源を落とし、上着と鞄を引っ掛け、急いで家を出た。
こういう時、姉の体調は大変危うい。
精神的負荷は、突然の眠気を誘発しやすいのだ。
スマホで電車の発車時刻を確認し、小走りで駅に向かう。
姉の勤め先まで電車30分ほどの距離。
そう、このために私はここに住んでいる。
***
「いないって……どういうことですか!?」
私は警察官に詰め寄った。
「どういう、と言われましても……」
警官は困ったようにカフェ店員の方を振り返った。
「ここに、座ってたんですよね? カメラにも映ってたって……!」
話を振られた女性店員も困惑気味に頷いている。
姉に指定されたカフェに到着したら、救急車両が集まっていた。
血の気がさっと引くのを感じながらも、近くの店員に話を聞く。
車が店に突っ込んだらしい。
そして、窓側席で「寝ていた客」が巻き込まれたようだ、と。
そんなはずない。
規制線の張られた外からでも、駐車場に面した広い窓に、白のワンボックスカーが大きく突っ込んでいる様子が分かる。
店員の証言によると、当時店内に客は1人のみ。
ほうじ茶オレをオーダーして、窓際席で伏せるように寝ていた客のみだという。
だが、救急隊員が搬送したのは運転手の1人だけ。幸い、鞭打ち程度の怪我で済んだそうだ。
お願いして、監視カメラも確認してもらう。
間違いない。
作業服を着た姉らしき姿が映っている。
念の為、スマホのGPSも確認した。
確かに、姉はここにいた。
いたはずなのに。
「消えた……?」
そう、事故の後、跡形もなく姉は消えてしまったのだ。
***
捜索願いを出した。
遠方の両親にも連絡を取った。
仕事の合間を縫って、有給も使って探した。それでも、姉は見つからない。
「まったく……どこに行っちゃったのよ」
たったひとりの姉が消えても、世界はいつも通りに回っている。
──そして、自分もいつも通り、仕事をしている。
けれど、ふと気づけば、手が止まっていた。
「ああ、もう……!」
私は駅へ駆け出し、電車に飛び乗る。
***
窓の外の景色が、徐々に市街地から郊外へと移り変わっていく。
思い出すのは、中学の頃。
遊園地のトイレから姉がなかなか戻らず、もしかして中で寝ているのではと焦ったこと。
高校では、いろんな病院をまわっても治療が進まず、受験期に少し荒れた姉の姿。
それでも──
気づけば姉は、いつの間にかおおらかになっていた。
寝落ちしないように頑張っていたはずが、今では快適に眠る方法を追求する“睡眠オタク”になっていた。
けれど、それがきっと良かったのだ。
前向きになった姉は、大学受験に失敗しても気にせず専門学校へ進み、就職も決めた。
眠気をある程度コントロールできるようになってからは、大手企業にも勤めた。
順調に見えた。でも、転職は何度かしていた。
寝落ちが原因だったことも、後から知った。
それでも、姉は誰にも頼らず、すべて自分でどうにかしてきた。
「また道端で寝てたんでしょ!?」 「大丈夫。ベンチで昼寝してるおじさんに擬態してるから」
女の子がベンチで寝るなんて危険だ。そう言っても、
姉は髪を短く切って、体を鍛えて、メンズ服に身を包んで笑っていた。
「私はいつでも大丈夫だから。眠くなったら電話して。迎えに行くから!」
だから私は、念押ししたのだ。
***
電車を降りて、バスに乗り換える。バス停で、深く息を吐く。
社会人になってから、姉を迎えに行く回数は減っていた。
「そろそろお姉ちゃん子卒業しなよ」なんて、友人に笑われたこともある。
でも違う。
私が姉を必要としていたんじゃない。姉が、私を必要としていたのだ。
だから、姉の転職先に合わせて、私は何度も引っ越した。
バスが山道を登っていく。
あのとき、警察官が言った。
「家出や誘拐、事件に巻き込まれた可能性もあります」
──でも、私はそうは思えなかった。
姉は、どんな状況でも眠ってしまう自分を理解し、それでも事故や怪我を避けるため、準備を徹底していた。
初デートでも、昇格試験でも、寝落ちして恥をかいても──命に関わるようなことには絶対にしないようにしていた。
傷ついた心を、家族にすら隠しながら。
だから、今回もきっとそう。
どこかで、ただ寝落ちして──
帰って来られなくなっただけ。
きっと元気にしている。そう、私は信じている。
「ほら、やっぱり私が迎えに行かないと」
***
辿り着いたのは、住宅街に囲まれた小高い山の中にある「音枕神社」だった。
幼い頃、家族でこのあたりに住んでいたことがあるらしい。
山といっても、実際には丘のようなものだ。けれど、ここだけ時が止まったように緑が深く茂っている。
鳥居をくぐり、砂利道に足を踏み入れると、空気がひんやりと肌を撫でた。
参道を進む。だが本殿ではなく、脇道へ。
母に聞いた通り、裏手にももう一つ鳥居がある。
「母さんね、妊娠中に安産の神様にお参りしてたの。それがね、安眠の神様だったのよ」
両親は「だからよく寝る子だったのかもな」と笑っていたけれど、もしそれが本当なら、なんと迷惑なご利益だろう。
鳥居をいくつもくぐり抜けると、木々の間に小さなお社が姿を現した。
狛犬が両脇に座っている……いや、座っているというより、妙にくつろいだ体勢だ。
社には苔がびっしりと張りつき、かろうじて「静穂社」の文字が読み取れた。
私は財布を取り出し、数枚の紙幣を抜く。
(全く、馬鹿げてる……)
じっとしていられなくて、ここまで来てしまった。
神様なんて信じてないのに。
それでも、賽銭箱にお金を入れて鈴を鳴らす。
二礼、二拍手、一礼。
……何も起こらない。
「“眠り”と“心身の調和”の神様なんでしょ。だったら、私の心に少しは調和をもたらしなさいよ」
思わず、口から言葉がこぼれる。
その瞬間──
狛犬が、のっそりと立ち上がった。
白い尾をゆっくりと振りながら、てくてくこちらに歩いてくる。
***
(……本物の犬?)
狛犬にしては妙に柔らかそうだと思っていたが、きっと神社の飼い犬なのだろう。
犬は、雪のように真っ白な毛並みだった。
石段をのぼり、迷いなく足元までやって来る。
「……こんにちは」
すんすんと足元の匂いを確かめる鼻先に、思わず声をかけた。
「ひゃっ」
冷たい鼻がぴとりと触れてきて、くすぐったくて身を引いた。
すると犬は満足したのか、くるりと背を向け、軽やかに歩き出す。
その後ろ姿になんとなく惹かれて、ついて行った。
犬は参道を外れ、木々の間の細道を進んでいく。
淡い木陰のなか、白い毛が光を帯びて、ふわりと浮かんで見える。
青い木の香。
カコンと遠くで鳴る鹿威し。
砂利と落ち葉の下を踏みしめる足音。
すべてが静かで、柔らかかった。
しばらく歩くと、深い屋根がせり出した建物が見えてくる。
(……こんなところに、授与所なんてあったっけ?)
犬が駆け出した。
屋根の下で寝ていた老人のもとに嬉しそうに駆け寄り、その周りをくるくる回っている。
白装束をまとった老人がゆっくりと身体を起こし、立派なあごひげが陽に揺れた。
彼は犬に何かを渡し、それをくわえた犬がこちらへ戻ってくる。
「え、なに……?」
差し出されるままに、それを受け取ると——
手のひらで、紫の光がふわりと弾けた。
***
「はっ!」
気がつけば、石段の上に寝転んでいた。
「え? ……寝てたの?」
姉ならまだしも、自分が昼間の神社でうたた寝とは。
「はは……。疲れてるのかな」
今日の自分は、なんだか少しおかしい。
苦笑して立ち上がると、右手で小さな音が鳴った。
ちりん。
見ると、小さな枕型のお守りが手の中にあった。
紫の布の中で、何かが小さく揺れている。
「……おみくじ?」
折りたたまれた細い紙片を広げてみれば、たった一言。
《探し人 異世界にいる》
***
あの日の私はどうかしてた。
結局姉については何もわからないままに、私は日々を過ごさなければならない。
キーボードを打つ手を止めては着信を確認し、会議が終わればメッセージがないかと確認する。
片時もスマホの確認は怠らない。
姉がいなくなった世界で、姉がいた時の習慣だけがしっかり残る。
今日も何度確認したことか。
ついに着信を示す光の灯らないスマホを机に放り出し、気分転換に近所の喫茶店に向かうことにした。
自宅マンションから徒歩10分。
南アメリカで修行してから開いたという個人のコーヒーショップは、最近テイクアウトも始めていた。
平日のこの頃は空いているはずだ。
今日はカウンターで、オーナー手作りチーズケーキも一緒にお願いしようか。
などなど考えていたのだが。
「げっ。めっちゃ混んでる……」
ビルの物置をリノベーションしたお洒落な木造ショップの前には、長い行列が出来ていた。
歩道に張り出した白いオーニングテントには『本日コーヒー豆40%増量!』の文字が。
(諦めてス〇バにしよっかな)
来た道を戻ろうとした時だった。
白い光がすうっと視界を横切ったのだ。
急いで後を目で追えば、ふさふさの白い毛が、ビルとビルの隙間に消えていくところだった。
(……犬?)
なぜだか放っておけなくて、思わず後を追いかけた。
覗き込んだ路地は薄暗く、両脇には業務用のゴミ箱らしきコンテナがいくつか並ぶだけ。
奥は行き止まりで、犬の姿は見えなかった。
「何か……落ちてる?」
路地の奥で、白く輝く塊が目に留まった。
拾い上げると、それはテニスボールほどの大きさの、ふわふわとした綿毛だった。
そうっと両手ですくうと、風でたんぽぽの綿毛のように飛び散ってしまった。
手の中に残されたのは小さな紙片。
《失物 よく寝れば見つかる》
それは、音枕神社のおみくじだった。
***
あの日以来、白い犬をよく見かける。
線路脇の草むらに、ビルの窓から見下ろす雑踏の中に、渡ったばかりの歩道橋の反対側に。
一瞬だけど、あの日の白犬が視界を横切っていく。
確かめようとした瞬間、姿は見えなくなるのだけれど。
犬を見た日は必ず「夢」をみた。
――黒い森の中で、誰かに見守られながら、昼寝をする姉の姿
(心配だ)
――汚い布団に涙し、ハンモックを作って眠る姉の姿
(心配だ)
――建物内で人々がすし詰め状態で作業をする中、昼寝をする姉の姿
(大丈夫かしら)
――小さな部屋の中を好みのコーディネートと安眠グッズで埋め尽くして、熟睡する姉の姿
(心配……?)
「いや、元気でしょ!?」
夢は私に、姉が異世界で暮らしていることを教えてくれた。
私なんかいなくても、姉は問題なさそうだ。
両親や他の皆に説明は難しいのだけれど……妹の私には、姉が異世界で元気に暮らしていることが確信できた。
それからは、スマホの着信の代わりに「夢」の確認をするようになった。
「夢」が見られるように、就寝前3時間はブルーライトを控え、半身浴にストレッチ。
姉おすすめのハーブティーを飲んで布団に入る。
「夢」は、異世界における姉の活躍を伝え続けてくれていた。
毎夜の夢は、私に安心を与えてくれたのだ。
あの「夢」を見るまでは――
***
「――お姉ちゃんっ!!」
久々に姉のことを「お姉ちゃん」と呼ぶ自分の声で目が覚めた。
気付けば全身、水を浴びたようにぐっしょりだ。
握りしめて強張った手をそっと開く。
黒い蛇が、黒くて暗くて昏い蛇が。
触れるとぞっと冷たくて、心が拒絶の悲鳴をあげる。
そんな恐ろしい蛇が、姉の周りを覆い尽くしていた。
どんなに叫んでも私の声は届かなくて、姉はどんどん蛇の沼に沈んでいってしまうのだ。
「……助けに行かなくっちゃ!」
私はもう一度、音枕神社に向かった。
始発の電車に飛び乗って。
ゆっくり流れる景色がもどかしくって。
早い時間、バスはないから走って丘を駆け上がる。
朝日で色づき始めたばかりの赤い鳥居をくぐり抜け、疲れた足を砂利道にとらわれながらも、静穂社の前にたどり着いた。
(眠りの神様、いるなら返事をしなさい!)
強く強く私は念じ、賽銭箱に札束を投げ込んだ。
――途端、世界が止まった。
鳴らした鐘、小鳥のさえずり、風に揺れる草木のざわめき……あらゆる音が消えてなくなり、真の静寂が境内を満たした。
瞬き1つ、鼓動1つ打てない中で、私は狛犬に命が宿る様を見た。
冷たい石が熱を帯び、柔らかな白い波が流れるように表を覆う。
凝り固まった身体をほぐすように、ぐっと両足を前に伸ばし、しなやかな身体を縮めると、一気に台座を飛び降りた。
近づく狛犬は随分と大きくて、世界の縮尺は狂ってしまったようだ。
車ほどに大きくなった白犬は、私の前で伏せをした。
尾を振りながら、円らな瞳でこちらを見つめる。
「乗っていいの?」
「わん!」
元気よく返事をして待つ白犬に、私はこわごわよじ登った。
――毛並みは信じられないくらいにフワフワで、思わず顔を埋めてみた。
(幸せ――はっ!?)
いけない、思わず寝るところだった。さすが眠りの神の遣い、恐るべし。
私がしっかり掴まったことを確認し、白犬は走り始めた。
地面を駆ける四つ足は、重力を全く感じさせない。
軽く軽く、軽やかに、白犬は境内を駆けていき、以前も見かけた授与所へやってきた。
授与所の前にはなぜか布団が敷かれており、誰かが横になっていた。
白犬はまっすぐ布団に向かっていく。
(危ない! 寝てる人を踏みつけちゃう!)
声を出そうとしたが、喉がきゅっと締めつけられて何も言えない。
こちらに気づいたのか、布団の中から白装束の老人が立ち上がった。
そして、布団の上掛けを大きく持ち上げた。
白犬は構わず猛スピードで老人が広げた上掛けと布団の間に飛び込んでいき――
私は真っ白な光に包まれた。
***
(眠るのが怖いんだ)
そっか、怖いことがあったんだね。
(もう油断しない。しっかり気をつけてるから大丈夫なはずなのに)
うんうん、いつも寝落ち対策はばっちりだよね。
いつ寝ても大丈夫なよう、受け身練習やら携帯睡眠グッズやら昼寝おすすめスポット帳やら、なんでも準備してたもん。
(皆に心配かけて。ちゃんと昼寝できないから、余計に寝落ちで迷惑かけて……)
そうそう、そうやって、いつも周りばっかり気にして。もっと甘えてよ。もっと自分の心配してよ。
(だから早く寝なくちゃいけないんだ)
待って待って。
それは、お姉ちゃんらしくない。
寝るのが大好きなんでしょう?
なんで眠りを義務みたいに考えてるの?
だけど、私の声は姉に届かない。
沢山の黒い蛇が、壁のように私達の間を蠢いているのだ。
(早く寝ないと。早く貢献度を貯めて、日本に帰らないと。皆心配して……)
私はだんだんイライラしてきた。
右手にふわりと温かいものが触れた。
白犬が私に何かを渡そうと頭をこすりつけている。
私は「ソレ」を受け取り、姉に向かって駆け出した。
「垂! このバカ姉! ちゃんと周りに頼れって、いっつも言ってるでしょうがぁーー!!」
私が受け取った力を大きく振りかざすと、「ソレ」は真っ白に輝く巨大なハリセンとなった。
蛇たちは面白いくらいに軽々と吹き飛んでいき――
「……ハル!?」
振り返った姉の頭に、私はハリセンで一発お見舞いした。
「皆お姉ちゃんのことが好きだから心配してるの! だからもっと頼ってよ!」
気付けば姉の周りから黒い蛇はいなくなっていた。
床が消えたように私は落下し始める。
慌てて姉が手を伸ばしたが届かない。
なおも驚きで目を丸くしている姉に、私は笑いながら呼びかけた。
「安心して! お姉ちゃんは私が迎えに行くから。だからそれまで沢山寝ててね!」
落ちる私を白犬がふわりと受け止めてくれた。
そのまま砕けた世界の欠片を、飛び移るように駆け抜けていく。
もう、姉の姿は見えないけれど。
私はだんだん薄くなる意識の中で、こう誓った。
――私が、姉を迎えに行く。
お読みいただき、ありがとうございました。
本作は、連載中の
『あと◯秒で寝ます!〜寝落ち体質の俺が異世界で安眠改革、気づけば眠りでラスボス倒してました』
の番外編となっております。
連載本編では、本作に登場した**姉・垂**が主人公として、
自身の寝落ち体質と向き合いながら、異世界でブラック労働や劣悪な睡眠環境の改革に挑んでいます。
「寝ること」を通して成長していく彼女の物語も、あわせて楽しんでいただけたら嬉しいです。