第8話
梨花ちゃんと静かにお茶を飲みながら、俺は特に変わらず続けた。
「あのさ・・・責任感じてるとしたら・・・俺、梨花ちゃんに対してなんだよね。」
「・・・私?」
「うん・・・。だって当時女子高生でさ、俺のことも弟みたいに大事にしてくれてて、それなのに・・・自分のお兄ちゃんとそういう関係にあったって、意味わかんない事実だしショックでしかなかったでしょ・・・。」
思い出させるのは申し訳ないと思いながら言うと、彼女は苦虫を噛み潰したような顔をして視線を逸らせた。
「マジで悪かったなぁって・・・思ったのはつい最近だしさ俺・・・。自分の家族がそんなことしてたとか・・・灯くんのこと慕ってなら尚更嫌だったろうし・・・。でもしでかしたことは変わらないしさ、自己満足に謝ることはしたくないし・・・だからっていうかなんていうか・・・二人がさ・・・ぎこちなくなっちゃったの・・・嫌でさ・・・」
自分勝手なことを言ってるのを、重々承知していたから、それ以上は言えなかった。
「なるほどね・・・。もぉ・・・そっかぁ・・・。まぁそりゃ当時は正直・・・吐き気したよ、冗談抜きで。」
「ですよねぇ~。」
「でも・・・理人があの時必死にお兄ちゃんの事庇ってるの見てさ、あぁこの子は本気でお兄ちゃんの事好きって思ってるんだってわかって・・・それが他人じゃなくてたまたま身内で、たまたま年が少し離れてたってだけで、こんな風に大人たちが責めて引き離しちゃうのは、可哀想かなとも思ったよ。」
「あ~・・・そうだね・・・。俺はねぇ・・・俺の悪いとこなんだけどさ・・・正直あの時、何でそんな大事にすんの?身内だと好きになっちゃいけないの?俺が男だからいけないの?とか色々思ってたんだよね。伯母さんと母さんがそういうつもりで怒ってたわけじゃないのは、もちろんわかってるけどさ。」
「ふぅ・・・・あんたは子供なのにわかりすぎ。」
梨花ちゃんはそれだけ言い残して、自室に戻って行った。
俺は灯くんと同じく、面倒見が良くて優しい梨花ちゃんが好きだ。
男が好きだという俺のことも、特に軽蔑したりせず、あの一件からも変わらず迎え入れてくれる。
手元のカップを置いて、俺はゆっくり2階への階段を上がった。
彼の自室のドアの前で、何度目かわからない、返答のない独り言を始めるために。
無機質な茶色い扉の前に着くと、静かな廊下で小さくノックした。
「灯くん、俺だよ。・・・・今何してんの?・・・・灯くん・・・俺さ・・・さっき梨花ちゃんに・・・謝罪というか懺悔みたいなこと、伝えちゃった。・・・・灯くんはさ・・・何も悪くないから。全部全部俺のせいにしてさ、開き直って出て来てよ。」
相変わらずうんともすんとも返ってこない彼の部屋からは、本当に何の音もしない。
けどそれは、灯くんが俺が来たことで何か手元の用事を諦めて、耳を傾けてくれているんだと、勝手に思い込むことにしていた。
「灯くんはさ・・・未だに嫌な気持ちを抱えてたりすんの?・・・俺は灯くんのこと当時、好きで好きで仕方なくてさ・・・ガキだったから何も先のことを考えてあげられなかったんだ。もう・・・俺あの時の灯くんと同い年になったよ。今なら少しはわかる・・・あの時の灯くんの気持ち。灯くんが・・・何考えてるか知りたい・・・。落ち込んでるとしても、俺はスーパーポジティブ人間だからさ、励ましてあげられるし、これでも人付き合いは上手い方だから、愚痴でもアドバイスでも何でも出来ると思うんだよね。・・・・でも灯くんからしたら、今の俺もまだガキなんかな?」
彼の部屋からわずかに、椅子が軋む音がして、足音がドアの前で止まった。
「・・・灯くん?」
その時静かに、カチャリと鍵が回される音がして、ゆっくり廊下側に扉が開いた。
隙間からチラリと見えた彼の顔が、ドアが視界から避けると全て見えて、自分より少し背丈の低い灯くんが、驚いた表情で目を見張った。
「・・・ふ・・・灯くん・・・」
「・・・・・・・理人・・・。大きくなったね・・・」
「・・・はは・・・・・生き別れた親父かっての・・・」
心底安堵して、思わず目の前の彼を抱きしめた。
「灯くん・・・・」
腕の力を込めると、彼は弱々しく背中に手を回してくれた。
「わかってんのかなぁ・・・。俺はさ・・・ずっと羨ましかったんだよ・・・灯くんが・・・。頭が良くて優しくて、兄弟がいて、両親がいて・・・暖かい家庭の中、独りぼっちになんてなったことないんだろうなって思ってたんだよ。けどさ・・・あの時灯くんの本音を聞いて、もっとたくさん話聞けばよかったなって後悔したんだよ・・・。」
責任は感じてないと梨花ちゃんに話したけど、やっぱり俺は心の奥で感じてたのかもしれない。
腕を解いてまた彼の顔を覗き込むと、わずかに苦笑いを返されて、それはさっきの梨花ちゃんにとてもよく似ていた。
灯くんは自室に招き入れた俺を、昔と同じようにテーブルの前の座布団に座らせてくれた。
引きこもっているというわりには、彼は身なりがちゃんとしていて、髪や髭が伸びているわけでもなく、部屋の中も綺麗だった。
「ねぇ~・・・・どんな気持ち~?」
隣に腰かけた彼に、まるで恋人にするように頬に触れた。
すると意外にも灯くんは余裕ある大人の笑みを見せて、俺のその手をそっと取った。
「ありがとう理人。・・・・・本当は・・・・あいたか・・・いや・・・・ごめんね・・・。」
「・・・灯くん・・・誤解しないでほしいんだけどさ・・・。別にそこまで責任感じてってわけじゃないし、誰かに言われたからここに来てたわけじゃないよ。それと・・・身内として大事に思ってるけど、あの時みたいに恋人になってほしいみたいな、そういう愛情はないから・・・。安心して。」
それは彼と一定の距離を保つための言葉だ。
昔と比べると少し大人っぽくなって、でも好青年な見た目は変わらなくて、ふわふわした柔らかい髪の毛が、少し表情を隠して、でも彼の優しさが何も変わっていないのは、その眼差しで分かったから
もう一度絆されたくはなかった。
「・・・・うん・・・。」
何から話せばいいのかと、思案している様子の灯くんを、テーブルに頬杖ついて待った。
とりあえず健康そうで心底安心した。
「理人・・・」
「・・・な~~に?」
「何を考えてるか知りたいって言ったよね。」
「うん・・・」
「・・・怖かったんだ・・・。本当は俺の事・・・理人はどう思ってるんだろうって・・・。でもここに来るたびに自分の話をしてくれて、理人がどういう人なのかは何となくわかったし、あの時から変わらず、真っすぐで可愛い弟みたいな存在なのは・・・やっぱり俺の中で変わらない。俺もね・・・・臆病で卑怯者なだけで・・・あの時と変わってないよ。」
「・・・・ふぅん・・・・。なぁ、あの時の一件ってさ、そんなに俺は大したことないって思ってんだけど・・・灯くんはやっぱ嫌だった?」
「・・・・そりゃね・・・。ご存じの通り俺は小心者だから・・・。でも、理人が変わらないでいてくれて、俺のことを嫌わずにいてくれたことが救いかな。」
「ふ・・・そっか・・・。」
思いの外自分の中の荷物が降りたせいか、色々話したい事があったはずなのに、それ以上何も思いつかなかった。
「ねぇ灯くん・・・これからは出てきて会ってくれる?」
「・・・そうだね。」
「もう家族に心配かけちゃダメだぞ~?」
「ふふ・・・別にもう父さんも母さんも、梨花も心配はしてないと思うよ。」
「え・・・いやでも色々・・・。大学もだいぶ前に中退したんでしょ?」
「中退はしたけど・・・。今はリモートワーク勤務だから、家にいるんだよ。」
「・・・え?・・・・そなの?」
「うん。ゲーム会社のSEしてるんだ。出社することほぼなくて、買い物も大抵ネット注文しちゃうから、引きこもってることには変わりないけど・・・。」
「・・・そ・・・・そうなんだ・・・・。それは普通に・・・働いてる社会人じゃん。」
それならそうと、伯母さんか梨花ちゃん・・・教えてほしかったな・・・と思ってしまった。