第6話
芹沢くんと他愛ないやり取りという名の、若干の情報収集が出来た次の日、寒くなって来たのでコートをクローゼットから引っ張り出して袖を通し、大学へと向かった。
「あ~・・・やば、結構寒いじゃん・・・」
寒波が押し寄せて来てるのか、朝だということもあり、空っ風で頬が痛い。
「東京って案外冷えるし・・・確か真冬は雪も降るよなぁ・・・」
ポケットから手を出して、冷えてきた鼻を温めるように拭って、今度からは手袋もつけようと決心しつつ大学の校門をくぐった。
「うぃ~・・・さむぅ・・・・」
冷えた廊下を歩いていると、ふと脇を通り過ぎるカップルが目に入る。
嬉しそうに微笑み合いながら、温め合う手を取り合って歩いていく。
平和な日常を享受していることが幸福なら、あんな風に誰かと愛おしそうに手を繋ぐことは、かなり贅沢なことなのかもしれない。
無意識にため息がこぼれていて、気付けば教室の前について戸を開けた。
教室内は暖かいわけだけど、いつもならワイワイ賑わってる知り合いの輪の中に入ろうとする自分が、今日ばかりは離れた席へと足を向けた。
そしてまたため息を落として腰を据える。
リュックを机の上に置きつつ、筆記用具を取り出し、少し遠くの視線の先にこれまた見覚えある二人が映った。
柊先輩と朝野先輩だ。
・・・あの二人って・・・どれくらい付き合ってる間柄なんだろ・・・
俺結構警戒されてっからなぁ・・・普通の会話すらなかなか応じてもらえないし・・・
推しカプがいつも通り尊くて、二人は仲睦まじい様子で端の席で微笑み合い、そのうち甘い視線を向ける朝野先輩が、少し周りを見渡した後、そっと隠れるように柊先輩に顔を寄せてキスをした。
見えにくいようにしてるようだけど、ちょうど見える角度にいる俺にはバッチリ焼き付いた。
頬杖をつきながらニヤつきそうになるのを堪えると、知り合いの一人が俺の側にやってきて言った。
「理人おはよ~」
「はよ・・・」
中村さんはそっと俺の隣に座って、内緒話でもするように机に腕を置いて言った。
「ね・・・あのさ・・・」
「ん?」
「・・・理人、あの・・・ゲイってホントなの?」
恐らく以前話した件で間接的にお断りしたし、半信半疑で聞きに来たんだろうと合点がいった。
「うん。」
短く答えると、中村さんは小首を傾げながら、何となくまだ納得いってない表情をする。
「そう・・なんだぁ・・・・・。え~・・・・え、女の子とは付き合ったことないの?」
「ないよ~?」
「一度も?」
「うん。」
「バイとかじゃなくて絶対男の子だけ?」
「そうだねぇ。」
彼女のように疑いをかける人は昔から存在した。
それも一人二人じゃない。
いわゆる俺はオネエってやつじゃないし、わかりやすくゲイな言動をしているわけでもない。
どちらかというと、女の子と仲良くなる口実のためにそう言ってるのじゃないかと、疑いをかけまくられる方だった。
「・・・なに?証明出来ないだろって話?」
面倒だったので少し強めに言葉を返すと、俺に好意を持っていただろう彼女は、申し訳なさそうに目を伏せた。
「ん~・・・ごめんね、色眼鏡で見てたのは事実だし・・・そうは見えなかったから信じられなくて・・・。別に・・・何か要求してるわけじゃないんだけど、ちゃんと本人の口から聞こうかなと思って。」
「あ~・・・そう。まごうことなきゲイだよ。男大好き。女の子は友達だし、性欲が湧いたこと一度もないよ。子供の頃からね。」
「そうなんだぁ・・・。そっかそっか・・・。じゃあ別にこれからも友達でいてくれる・・?」
「もちろんいいよ。ただ色目使われても俺は意に返さないし、何か求められても応えられないよ?」
中村さんは俺の言葉を飲み込むように頷くと、元居た席に帰って行った。
そしてふと思う
もし・・・今後俺が偶然にも女の子を好きになったとしたら、大炎上だろうなぁ・・・
ないとは思うけど、無きにしも非ずだ。人生何があるかなんてわかったもんじゃない。
その日は講義を全て終えた後、週末ということもあり、予定していた親戚のうちへと向かうため、特急電車に乗った。
子供の頃からよくして貰っている、いとこたちが住むうちへ。
遠方なので頻繁に遊びに行けるわけじゃないが、大学生にもなってわざわざ会いに行くのは理由があった。
5年前、俺がまだ中学二年生だった頃
母さんの仕事の都合で、いとこたちが住む近所に少しだけ暮らしていた時、小さい頃からの憧れもあって、俺は当時19歳の大学生だったいとこの灯くんと仲良くしていた。
灯くんは優しくて頭脳明晰、面倒見もよくて俺に勉強も教えてくれていた。
優しい面立ちは俺の母さんの姉である伯母によく似ていて、性格も温厚、大人しくて礼儀正しい、絵に描いたような優等生だった。
けど今にして思えば、その時期は灯くんにとって、人生で初めて挫折を味わったつらい時期だったのかもしれない。
そんなこととは露知らず、憧れでかつ少し想いを寄せていたいとこのお兄ちゃんに、毎日のように構ってもらえることが嬉しくて、俺は半ば有頂天になっていた。
母子家庭で兄弟がいないこともあってか、灯くんは特別な存在だった。
いつも決まって、学校が終われば家に遊びに行って、帰りを待ち・・・彼の都合も考えずに勉強を教えてもらったり、テレビゲームに付き合わせたり、他愛ない話し相手になってもらったり、面倒臭いことこの上ないと思うだろうことを、灯くんはいつもにこやかに受け入れてくれていた。
当時思春期真っ盛りなこともあり、或る日学校でのことを話すと、灯くんはいつもより少し元気がない様子で、受け答えしていた。
「それでさ~なんかよくわかんないけどプレゼント渡されてさ・・・付き合ってください、とか言われたんだよね・・・・」
「そうなんだ・・・。理人は女の子にモテるね。」
「・・・ん~・・・・でもなぁ・・・俺さ・・・あの・・・灯くんには教えるんだけどさ・・・男の子が好きなんだよね・・・。」
「・・・え・・・?」
まさかのカミングアウトに、灯くんは見事にフリーズしていた。
実際ごく一部の仲のいい友人には話していたものの、身内に明かすことは初めてだったし、結構勇気が要るものだった。
けど恋心を寄せていたこともあって、灯くんには早く打ち明けたかった。
「・・・・そうなんだね・・・」
その時の彼は、特に否定も肯定もせず黙ってしまって、俺もさすがに『まずいことを言ってしまったかも』と、少し怖くなったもんだ。
けど今ならわかる、灯くんがその時何を考えていたか。
避けられてしまうかと思ったが、その後も彼は変わらず接してくれて、むしろ前より俺を可愛がってくれた。
精神的にも肉体的にも大人になろうとしている年頃だったけど、灯くんの前では我儘を言えるので、すっかり甘え切っていた俺は、彼からしたら隙だらけに思えたんだろう。
或る日いつものようにテストの結果を報告していた時、褒めてくれた灯くんは、俺の頭を撫でたついでに、そっと俺にキスをした。
急な出来事にポカンとしていると、彼はハッと我に返って顔面蒼白になったかと思うと、慌てて俺に謝罪した。
けど賢くて優しい灯くんのことが大好きだった俺は、困惑よりも高揚感と嬉しさが勝って、自分からもキスをした。
そしてあれよあれよと、性欲をぶつけ合うように濃厚なキスを交わして、エッチする一歩手前くらいまでやってしまった。
その日はお互いぎこちなく玄関で別れて、俺自身肉親とそんなことをしてしまったことに、罪悪感に苛まれ、気まずい態度を隠しきれずに帰宅した。
母の前ではいつでも明るく振舞っていた少年だったけど、その時はさすがの変化に母に心配され、灯くんと少し喧嘩してしまったと、言い訳をした。
そして予想出来ていたことだけど、それからもうちに行く度に行為を重ね、灯くんとセフレになってしまったのだった。