第29話
誘惑しないと断言しておきながらの、その可愛らしいつぶらな瞳で上目遣いを受けた俺は、ぐっと胸の中で色々堪えた。
「理人はいったい誰の気持ちならわかるの?」
「・・・へ・・・」
不意の質問に頭を真っ白にさせていると、灯くんは「ふふ」と冗談めかしに微笑んで、靴を脱いで廊下の先へ歩いて行った。
後に続いて上がらせてもらいながら、頭の中で質問の意味を考えようにも、こんがらがってよくわからない。
灯くんはその先を話題にすることはなく、黎人さんのこともなかったように、ゆっくりまったりお茶しながらお菓子をつまんだ。
何気なく日常的な話をしながら、ダラダラと灯くんと過ごすのは、ホントに心地よかった。
「ていうか理人、朝帰りってことだよね?・・・いや、帰ってないか・・・引き留めちゃったから。」
「あ~まぁ・・・。でも別に母さんから連絡来てないし、無断外泊することはわりとあるし、大丈夫だよ。」
灯くんは眉をひそめて、どうしかるべきかと考えるようなお兄ちゃんの顔をする。
「それは看過出来ないかな・・・。伯母さんはどれだけ遅くなっても、家に帰って来れなかったとしても、理人を心配してない日なんてないんだよ。」
「そ~・・・・れは~わかってるけどね?」
「わかってるなら一報入れなきゃ。とういか・・・伯母さんから一つも連絡ないことを、逆に理人が心配するべきだよ。」
「ん?どゆこと?」
「だって・・・連絡ないってことは、伯母さんも余裕ないくらい働いてるか、連絡出来ない程の状況にいるってことでしょ?」
「あ~・・・そうだね・・・。」
まぁ前の後輩に言い寄られてた件もあったし・・・確かに心配してあげるべきかな・・・。
スマホを取り出して、さてなんてメッセ送ろうかと考えながら画面を開くと、タイミングよく母からの着信画面に変わった。
「お?・・・もしもし?」
「・・・理人?貴方昨日帰ってこなかったけど、今どこ?」
「え・・・なに、今日は怒ってんの?」
「・・・はぁ・・・あのねぇ、怒ってるんじゃなくて心配してるの。別に貴方は成人年齢だし、無断外泊したって別に構わないけど、最近ちょっと遊び方が酷いんじゃない?」
「そ~~・・・んなことないけどねえぇ・・・・でもごめんなさい・・・。今は灯くんちだから、問題ないよ。」
「灯くんち・・・??貴方姉さんのとこに一泊してたの?」
「いやいやそうじゃなくて、別の知り合いと遊びに行ってたんだけど、帰りに偶然灯くんに会ってさ、一人暮らしし始めた灯くんちにせっかくだから、ちょいとお邪魔しちゃってたとこ。」
「・・・・・そうなの。灯くんが一人暮らし・・・初耳だわ。まぁいいけど・・・あんまり長居するのも迷惑よ?甘えすぎないようにね。」
「は~い、帰っていい子にしてますよ~。」
通話を終えて画面を見ると、まだ昼前だ。休憩時間でもないのに、わざわざかけてきたのかな。
「ちょっと怒られた~。」
「ふふ・・・」
静かに飲み物を口に運ぶ灯くんを見ながら、いとこであり、親友で努めようという決意を改めて胸の中で繰り返す。
これ以上余計な問答しない方がいいかな、灯くん自分のペースに持ってって誘うの得意だし。
グラスに入ったジュースをさっと飲み干して荷物を持った。
「んじゃあそろそろ帰るよ。色々ありがと。」
「・・・うん、下まで送るね。」
買ってもらったコートにまた袖を通そうとした時、静かに佇んでいた灯くんがまた口を開いた。
「そのコート・・・新しく買ったの?」
「ん・・・あぁ・・・。その・・・遠慮したんだけど、別にいいっつって買ってくれてさ・・・」
「そうなんだ・・・。結構有名ブランドのだよね。」
「だと思う・・・めっちゃ高いと思う・・・。てか俺より灯くんの方が似合うかも。」
シックな黒いコートは、そこまで重い雰囲気を出さないお洒落なデザインだけど、体の線が細い灯くんにも合う気がした。
「俺には・・・ちょっと丈が長すぎるかな・・・。理人程身長ないからね。それに、理人に似合うと思って見繕ってくれたんじゃない?」
確かに黎人さん、しっかり吟味して選んでたっけ・・・。
「まぁ・・・そうなんかな。」
「理人のために買ってくれたんなら、使って差し上げないと失礼だよ。」
「・・・うん・・・。灯くんは大人だなぁ・・・」
さっとコートを着ると、灯くんは上から下まで目を滑らせた。
「うん・・・カッコイイよ。」
ああああ~~~~~~♡
思わず視線を逸らせてにやける口元を覆った。
「理人・・・」
「・・・ん?」
「いきなりフラットな関係になるのは・・・難しいし気持ちの整理がつかないから・・・少しずつ慣れていこうと思ってるんだ。」
「うん。」
「だからその・・・今日は・・・しれっと何度も手を繋いでて言うのもあれなんだけど・・・。帰る前に・・・抱きしめてもいい?」
心の中で、俺はホントにクソ野郎だ、と思った。
灯くんのその可愛い要求に、キュンとしてるし抱きしめてちゅーして押し倒してめちゃくちゃに、とか脳内で妄想が出発していた。
「もちろんいいよ。」
抱きしめるだけ、抱きしめるだけ・・・
安堵の表情を落とす灯くんに、そっと歩み寄って抱きしめた。
俺より小さくて、細い体。ふわふわした髪の毛から、フローラルないい香りがする。
ぎゅっと力を込めて首筋に顔を埋めると、思わず吸い付きたくなるのを堪えに堪えた。
「理人・・・」
「・・・はい・・・」
「ふふ・・・何考えてる?」
「え・・・・・・・・内緒・・・・・」
「内緒かぁ・・・。じゃあ俺も内緒にしてようかな。」
フワフワで透明なシャボン玉が舞うような、柔らかい声で囁くもんだから、これ以上何かを感じる前に体を離した。
「・・・帰るね~?」
「ふふ、うん。」
灯くんと俺は、お互いの意志を汲み合って、気遣い合って、これ以上こじれないように必死に努めてる。
これでいいんだと言い聞かせながら。
部屋を出てまた一緒にエレベーターに乗り込みながら、ふと思い出した。
黎人さんは・・・何で俺に未練があるんだろって見抜いたんだろ。
ていうか・・・俺は具体的に、灯くんに対してどういう未練があるんだろ・・・
叶えてあげられなかったっていう・・・不甲斐なさ?
理不尽に振り回しちゃったことに対する、罪悪感かな・・・?
芹沢くんと会っている時、可愛いなぁもっと仲良くなりたいなぁ、頼ってほしいなぁ、と常にそんな思考が働いてるもんで、最終的にそれは「付き合いたいなぁ」になった。
灯くんとは、だいたいのことは理解し合ってるものの、心身ともに甘えられる関係でいたいなぁなんて、勝手なことばかり考えてたんだ。
別に付き合わなくてもいつでも会えるもんね~?みたいな・・・
中高生の頃から、出会い系に手を付けてあっちこっちで味見をする癖がついたもんだから、受験勉強を機に止めたつもりでも、俺はまだ黎人さんに指摘された通り、悪癖が心にこびりついてるんだ。
人の心を安易に弄んで、好きな人をいくらでもキープしておこうみたいな・・・
考えて自覚すればするほど、改めなければならない自分の愚かさが露呈していって、マンションの下に着くまでボーっとしていたと思う。
「理人?」
「へ、はい。」
「・・・大丈夫?」
真剣な表情で俺を窺う灯くんは、誰よりも俺を想ってくれる一人だ。
ずっと羨ましいと、子供の頃から思い続けてた相手。
・・・・でもなんで?
その時、去って行く黎人さんの背中と
文化祭で少しだけ会話を交わした、実の父の背中を思い出して
次に先輩の声が頭の中で再生された。
何で父親の背中を追ってる
ゴグリと生唾を飲んで、心配する灯くんをよそに俯いた。
「何でもないよ、ありがとね。」
「・・・え・・・・うん・・・。」
産まれて初めて、灯くんに建前全開の笑顔を見せて、手を振ってその場を後にした。




