無実の罪で婚約破棄された伯爵令嬢は、魔法使いに溺愛される
「シュティーナ。君との婚約は、今、この時点をもって破棄する!」
王座の間。
何故かわたくしの両親以外の国の重鎮たちが集まるこの場に突然呼び出された伯爵家令嬢であるわたくしシュティーナ = アスケルは、前触れもなく婚約者であったこの国の王子クリストフ = ストリンドに婚約破棄を言い渡されたのです。
「どういうことですか?」
どよめく重鎮たちの中、わたくしは気丈にも声に震えが出ないように必死に押さえながらそう問いかけました。
クリストフ王子との婚約はストリンド王家と、我がアスケル伯爵家が、わたくしがまだ物心つく前から決められていたことでした。
それ以来、わたくしは成人を迎え、王族の一員になる日の為に、毎日のように王族の嫁としてのマナーや技能を教え込まれ。
王都の貴族が集う学園で、学友たちが結婚前の最後の自由を謳歌している時ですら、私はほとんど自由時間も与えられずに努力を積んできました。
だというのに、いまわたくしは突然突きつけられた、一方的な婚約破棄によってその努力の全てを無に帰されてしまった。
いや、それどころか王族からこのような場で婚約破棄を告げられたのだからそれだけで済むはずはないでしょう。
しかし、わたくしがいったい何故クリストフさまから婚約破棄を告げられなければならないのか。
皆目見当が付きません。
「それは君が不貞行為を行ったからだ」
「不貞……ですって?」
「私が知らなかったとでも思っているのか。おい、あいつを連れてこい」
王子が私を軽蔑を込めた目で睨み付けながら側近の男にそう告げると、その男は王座の間に居並ぶ重鎮たちと王に一礼をして部屋を急ぎ足で出て行きました。
「あいつとはいったい誰のことですの?」
「わかっているくせに、白々しい奴だ」
「いいえ、わたくしには皆目見当もつきませんわ」
王家教育に全てを費やされたせいで、幼い頃から友達と呼べるような者すらいません。
いるとすれば王族に嫁ぐということを知ってすり寄ってくる者たちばかり。
そのような、うわべだけの付き合いしか記憶にないのです。
わたくしが何も言えず口ごもっていると、先ほど出て行った王子の側近である男が、別の男を連れて王座の間に入ってくるのが目に入りました。
そして、それを見て私は思わず叫び声に似た声を上げてしまったのです。
「ベナスー先生!?」
私の声に、何やら憔悴しきった表情でうつむいていたベナスー先生がゆっくりと顔を上げると私に無理矢理作ったかのような笑顔を向けます。
「やぁ、アスケルさん卒業式以来だね」
そしてベナスー先生がそう口にした途端でした。
突然王子がベナスー先生に近づくと、その体を全力で床に叩きつけたのです。
ガッ!
「きゃあっ!」
「がふっ」
バリーン!
両手を後ろに縛られていたベナスー先生は受け身も取れないまま顔面から床にたたきつけられ、付けていた眼鏡が大きな音を立てて割れてガラスが散らばりました。
「アルストーリア貴族学園の臨時教諭ジョゼ=ベナスー。この男とシュティーナ。お前が密かに逢瀬を重ねていたという報告が私の元にいくつも届いているのだ」
「そんな! わたくしとベナスー先生はただの生徒と教師、それ以上の関係はございませんわ!」
それは本当のことです。
学園生活のわずかしかなかった休憩時間に、わたくしが通っていた図書館。
そこで授業のないときだけ司書のようなことをしていたベナスー先生と時々お話をしたことはある。
ですが、それだけのことで逢瀬を重ねていたなどとされるのは心外でした。
わたくしはそのことをクリストフ王子に必死に訴えました。
言いがかりとしか思えない婚約破棄理由に加え、このままではわたくしだけでなく、巻き込まれたベナスー先生も極刑を免れないでしょう。
なんせ王族に嫁ぐはずの令嬢に手を出したのですから。
事実は手を出すどころか、たわいもない会話を何度か交わした程度だというのに。
「君とこの男が、学園の図書館にある秘密の部屋に何度も出入りしていたという報告も上がってきてる」
「秘密の……部屋?」
「あくまで惚けるつもりか?」
そんなことを言われても私にはまったく心当たりがないのです。
確かにわたくしが図書館で本を読むときは、集中するために『読書室』と呼ばれる個室を使うこともありました。
ですが、そこにベナスー先生と二人で入ったことなんて一度もありません。
それに、そもそも読書室は秘密でもなんでもありませんし、クリストフ王子はいったいなにをおっしゃられているのでしょうか。
「汚らわしい! このような女が我の婚約者だったとは。お前の顔などもう二度と見たくはない!辺境の修道院で死ぬまで反省しろ」
辺境の修道院に送られる。
それはわたくしたち貴族の娘が一番恐れていることで。
問題を起こし、一度でもそこに送られたら最後。
死ぬまで辺境の何もない村から外に出ることもかなわず一生を神に祈りを捧げて過ごすことしか出来ない。
もちろん娯楽などは一切ない。
豪奢な衣装も、アクセサリーも全て奪われ、質素な修道着のみしか与えられないよな生活。
そんなものに貴族の令嬢として育てられてきた者たちが耐えきれるわけはない。
「聞く所によると、大体の者が十年も持たずに自害するような場所らしいがな。まぁ、運が良ければ天命を全うできるだろう」
ガッ!!
クリストフ王子はそう告げると、足下に倒れ伏したままのベナスー先生の頭を、突然力一杯踏みつけます。
「ぐ・・・ぐぅ」
床に流れ出した血に私は思わず息を飲みました。
顔を叩きつけられたときに眼鏡の破片で傷でも負ったのか、はたまた鼻血か。
どちらにせよ、彼は無実なのに。
クリストフ王子の語る報告とはいったいなんなのかわたくしにはわからない。
ですが、このままではベナスー先生は確実に死罪。
もしかするとこの場でクリストフ王子によって命を絶たれるかもしれない、
「おやめくださいクリストフ王子! それ以上されてはベナスー先生が」
「このゴミくずがなんだって? 王族の婚約者に手を出したのだ。このまま踏み殺されても誰も文句は言わないはずだ。なぁ皆の者」
クリストフ王子が大仰な身振りで、王の間に集う重鎮たちに目を向けました。
「父上。わたくしにこの大罪人の首を切ることをお許しください」
そして、最後に王座に座る自らの父親である王にそう尋ねます。
「まってください陛下! これは何かの間違いでございます。わたくしも、このベナスー先生も潔白なのです」
「まだ認めぬというのか」
「ですから、わたくにしはまったく身に覚えがございませんと先ほどから申し上げています。もう一度、もう一度再調査をしてくださいませ」
「したさ。なんどもな。だが、上がってくる報告はどれもこれもお前の不義理を伝えるものばかりだった」
「そんな……ありえませんわ」
わたくしは回りに居並ぶ重鎮たちに目を向けました。
わたくしの不義理を咎める目。
汚らわしいものを見るような目。
戸惑いを浮かべる目。
ですが、その中に一人、気持ちの悪いほどの愉悦の表情を浮かべている人物がいた。
その時わたくしはこの茶番劇の主犯がその人物であることを確信したのです。
「……フリュクベリ……伯爵」
王家に仕える貴族の中でも我がアスケル家と双璧をなすフリュクベリ家。
フリュクベリ家にはわたくしとは二つほど年下にあたる令嬢がいました。
名前はエステル = フリュクベリ
「もしかしてあの女が」
エステルが入学して以来、わたくしの回りでおかしな事件が頻発するようになったことを思い出したのです。
突然花瓶が近くに落ちてきたりといったものから、わたくしがよく利用していた庭のベンチがある日壊されていたりとか。
そして、今考えるとおかしいと思えるのですが、私にすり寄ってきていた学友が、彼女が入学して以来あまりわたくしに近寄らなくなっていったのも。
アスケル家の令嬢が王家に嫁ぎ、やがては王妃になれば、アスケル家の力は増し、フリュクベリ家は相対的に力を失う危険性がある。
たぶん、フリュクベリ当主はそれを恐れたのでしょう。
もちろん我がアスケル家も、他家からの妨害工作に、わたくしには伝えずとも全力を挙げて対抗していたはずです。
その証拠に、本来なら結婚式前の最終契約を行うこの場まで、わたくしが何も感じずたどり着けるわけはないのだから。
だが、フリュクベリ家は最後の最後。
この瞬間を狙って仕掛けてきたということでしょう。
「クリストフさま。あのひとです! エステル――エステル=フリュクベリが全ての仕掛け人に違いありません!」
「貴様っ、我が娘を愚弄する気かっ!」
わたくしの叫び声にかぶせるようにフリュクベリ伯が怒声を上げました。
ここに来る前に打ち合わせでもしてあったのかのようです。
「見苦しいなシュティーナ。今度は他人に罪をなすりつけ始めたか」
「なすりつけるなど!」
「黙れ! あの清楚可憐なエステル嬢が、学園でお前の指示で動いた令嬢によって悪質ないじめを受け続けていたことは調べが付いている」
「わたくし、そんな指示など一度も……」
「現にお前の取り巻きがエステル嬢を呼び出し、俺に近づくなと何度も脅しつけが続いていたとの報告も上がっている」
「そんな。エステルさまは伯爵家のご令嬢ですわよ。他の誰が手出しできると言うのですか!」
「お前が後ろ盾になってやるとでも言って動かしたのだろう?」
「たとえわたくしが後ろ盾になると言っても、そんなことくらいで身分差はどうしようも……」
わたくしはそこまで口にしてから口を閉じました。
そうなのです。
確かに伯爵令嬢に対して、同格の伯爵の後ろ盾というだけでは弱い。
だけども。
「そうだ。お前は私の婚約者だった女だ。次期王妃という後ろ盾があれば伯爵令嬢などたいしたものではないとその者たちも思ったのだろう」
クリストフ王子は怒りに満ちた目で私を睨み付けながら続けます。
「それに次期王妃の命令を下級の貴族令嬢が断ることができる訳はない。だとすれば選択肢は二つ。お前の命令を断って王妃になったお前に断罪されるか、伯爵令嬢であるエステルに一時的に不興を買っても、後に王妃になったお前に助けて貰うかだ」
貴族の社会では身分差は絶対。
その最上位である王族の、しかも王妃の命令に逆らえる者はいないということである。
それが今はまだ婚約者でしか無いとしても、かつて一度も今回のような婚約破棄が行われた前例はないのだから。
「わかりました」
わたくしが多分この場でどんな言い訳をしようと、フリュクベリ家はその全てを覆すだけの罠を用意しているでしょう。
現に、この場にわたくしの父、アスケル伯がいないという異常な事態を見るだけでもわかるというもの。
多分、両親は何らかの罠にはめられ、家から動けなくされている。
もしかしたら既にその命すら……。
わたくしは酷薄な薄笑いを浮かべているフリュクベリ伯を最後の抵抗とばかり睨み付け、クリストフ王子に向き直りゆっくりと頭を下げ。
「わかりました。このシュティーナ = アスケル。クリストフ王子様との婚約の破棄を受諾いたしますわ」
悔しい。
そんな気持ちが心に溢れ、うつむいた瞳から床に一粒涙が落ちた――その次の瞬間でした。
「くっくっくっく」
そんな私の耳に場違いな笑い声が届いたのです。
フリュクベリ伯だろうか?
それともクリストフ王子?
でもその声はその二人のものとは違って――
「遂に婚約破棄が成されたか」
「き、貴様っ!! うわっ!!」
顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、無様に床に尻餅をついたクリストフ王子。
そして、その彼の視線の先、額から大量の血を流しながら立ち上がろうとしている一人の男性。
「ベナスー先生!」
「シュティーナさん。泣いているのですか?」
優しいいつもの彼の声に私は自分の涙を慌てて拭こうとしました。
だけどその腕は彼の手に止められて。
「そんなことをしては汚れてしまう」
そう言ってハンカチで私の顔を優しく拭いてくれたのです。
「さて、私も身だしなみを整えるとしよう」
血まみれのベナスー先生は、そう告げるとパチンと指を一つ鳴らしました。
その途端、地面に割れ散らばっていた眼鏡の破片が、まるで逆再生のように一カ所に集まっていったかと思うと、壊される前の状態に戻ったのです。
それだけではなく。
ベナスー先生の血と埃で汚れた服も、一瞬にして新品のように変っていきました。
「魔法か!」
「おや、貴方は魔法をご存じで?」
この場に連れてこられたときのおどおどした感じも、いつも学校で見かけるときの真面目な顔とも違う。
今、わたくしの前でクリストフ王子を見下ろしているベナスー先生は、まるで別人のように強い威厳を放っています。
それは王座に座る国王すらも霞ませるほどのもので。
「貴様っ!」
「無礼な!」
しかしそれに気づけない愚かな者たちもこの場には沢山いました。
クリストフ王子を守るように近衛兵が王子の元に駆け寄ると、ベナスー先生の前で腰の剣を抜きます。
王座の間の空気が先ほどまでと一変し、逃げだそうと出口に向かう重鎮の姿も見えますが、彼らはこの場の事態を他の者よりは理解していたのでしょう。
例えそれが既に手遅れであったとしても賢明でした。
「どうやら『魔法使い』のことを知っているのは王族と重鎮の皆さんだけのご様子」
幾つもの剣先を突きつけながらも、その顔から微笑みを絶やさずベナスー先生は告げます。
「魔法使いだと。なんだそれは」
「戯れ言を。そこに早く跪け!!」
近衛兵たちは口々に叫びながらゆっくりとその切っ先をベナスー先生に近づけていきました。
「せめて近衛兵くらいには『魔法使い』とはなんたるかを教育しておくべきでしょうに。呆れますね」
やれやれといった風にベナスー先生は肩をすくめ。
それを見ていきり立つ近衛兵たちを見ながら、わたくしはやっと気を取り直しました。
「ベナスー先生が、あの伝説の魔法使い……なのですか」
そんな誰にも聞こえないような呟きをベナスー先生は聞き取ったのか、いつもの笑顔を私に向けて「ええ、そのとおりですよ」と答えてくれました。
わたくしは王族の一員に連なる予定だった身。
王族としての教育の中で、歴史の闇に葬り去られた『魔法使い』という存在について学んでいました。
それはこんな話です。
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かつてこの国には不思議な『魔法』という全てを超越する力を使う一族がいた。
数こそ少なかったものの、この国を建国するに当たって、彼らはその力を遺憾なく発揮し、この地の蛮族たちを討ち滅ぼす立役者となったという。
戦乱の絶えなかったこの地を平定し、この国を作り上げた当時の国王であったが、戦勝の宴の日、呼び寄せた全ての魔法使いたちを毒殺したという。
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彼らの力を恐れたのか。はたまた何か違う理由があったのか。
この国の建国の立役者であったはずの彼らを葬った闇の歴史は、そのまま後世に語り継ぐことを固く禁じられました。
だけど王家とそれに繋がる者。
語り継ぐお役目の者にだけは、そのことは伝え続けられていたのです。
その真実は私が王妃になった後に教えられるはずでした。
ですがもうそんな日は永遠に来ません。
目の前でわたくしにやさしい笑みを向ける彼なら……ベナスー先生ならその全てを知っているでしょうけれど。
「なんだ」
「動けないっ」
突然ベナスー先生に詰め寄っていた近衛兵たちが悲鳴のような声を上げました。
その体は微動だにしていないのに、顔の表情だけ動いているという奇妙なもので。
「話の邪魔をされるのもかなわないのでね。全員の体の動きを止めさせて貰ったよ」
ベナスー先生はそう言うと、固まったままの近衛兵の間をすり抜け、へたり込んだままのクリストフ王子の元に歩み寄ります。
「さて、それではかつての盟約を果たしていただきましょうか?」
「盟約……だと。なんだそれは」
「おや、これから王になろうというものが私との盟約を知らないのですか。まぁいいでしょう。どちらにしろ双方合意の上で『婚約』という呪いは破棄されたのですからね」
盟約? 呪い?
それって魔法使いが歴史から消されたことと何か関係があるのでしょうか。
わたくしは息をのみながら、二人を見つめます。
すると、私の視線に気がついたのか、ベナスー先生が私の方を急に向くと、地面に転がる王子を無視してこちらに向かってくるではありませんか。
「えっ、えっ」
「長い間お待たせしました我が姫よ」
ベナスー先生はそう告げると、わたくしの手をとって、その甲に軽く口づけたのです。
思いもしない急展開にわたくしの頭は混乱し、顔は一気に赤く染まって。
「な、な、な」
「何故? と仰りたいのでしょう?」
ベナスー先生は今まで見たこともないような優しい笑みを浮かべると、私の体を優しく抱き上げました。
肩を両膝の裏に回した両手で、軽々と持ち上げられたわたくしは、さらに顔を真っ赤にして言葉をなくしてしまいます。
「ですが、それを貴女が知る必要はないのですよ」
「でも」
「私が貴女を愛している。ただそれだけわかって貰えれば、他には何もいらないのです」
ベナスー先生は全くの照れもなく、私の瞳を見つめながらそう告げます。
「ああ、本当に美しい瞳だ……私が長い間求め続け、得られなかったものをやっと手に入れることが出来た」
「き、貴様っ!! 誰か!! 誰か奴を殺せ!! その女共々殺すのだ!!」
王座から怒声が飛び。
いつもは理知的なクリストフ王子の顔が今は青ざめ、その大きく開いた口からは唾が飛び散って照明を反射させています。
「やれやれ。誰も動けるはずはないというのに。王族はそんなことすら忘れてしまったというのか。嘆かわしい」
ベナスー先生は大げさなジェスチャーでそう声を上げると、次の瞬間その頭上に無数の光の球が出現しました。
「もうこの国は必要なくなってしまいましたね。いっそ滅ぼしましょうか」
「滅ぼす!?」
「ですが、安心してください。貴女を生み育んでくれたアスケル家だけは除外しますよ」
ベナスー先生がそう告げると、頭上の無数の球がその場にいた重鎮たちや王、王妃、そしてクリストフ王子に、そして一部は壁を抜け場外へも向かって飛んでいきます。
きっと先ほど逃げ出した重鎮たちに向かってでしょう。
「ひぃぃぃぃいぃぃぃ」
「た、助けてくれぇぇぇ」
「殺さないで」
「死にたくないぃ」
無様な悲鳴がそこかしこで上がりました。
しかし無慈悲にも彼らの体の中にその球が吸い込まれていきます。
だけどその光の球が彼ら、彼女らの命を奪うことはなく。
「いったい何をなされたのですか?」
「簡単な魔法……いや、呪いに近いものを掛けただけだよ」
「それはどのような」
そう問いかける私に、ベナスー先生はゆっくりと顔を近づけて。
私の耳元に唇を寄せ、私にだけ聞こえる小さな声で教えてくれました。
『彼らの血が、アスケル家の助けがなければ次へ受け継がれないようにしただけさ。優しいだろ?』
と。
「それはいったいどういうことですの?」
『これから何百年もの間、私の呪いを受けた者たちはアスケル家の血を引いた者以外との間に子が出来なくなるんだ。つまりこの国はもうアスケル家なしでは存続できないようになったというわけさ』
ベナスー先生はそうささやくと、わたくしの耳元からそっと唇を離し、王の間に集う人々にも同じように告げます。
そして最後にこう付け加え。
「これが魔法使いから、君たちへの祝福さ」
当然のようにざわめく室内を満足げにベナスー先生は見回すと、私を抱きかかえたまま空中に浮かぶと。
「さて、それでは私は花嫁を頂いていくよ」
そして、その場にいる全ての者に届く声でそう告げると、わたくしと共にその場から一瞬にして城の外へと転移してみせたのです。
「ここは……外なのですか」
「ええ。あんな狭くて醜い場所にいつまでも居たくはありませんでしたからね」
ベナスー先生は冷たい瞳で王城を一瞥する。
「それでわたくしはこれからどうなってしまうのでしょうか?」
わたくしのそんな声は少しうわずっていました。
胸の鼓動が先ほどから激しく響いて顔も熱くなっていて。
きっとひと目でわかるほど真っ赤になっているにちがいありません。
「我が城にご招待するつもりですがお嫌ですか?」
「い、いえ。嫌ではありませんわ」
「それはよかった。それでは我が美しき城へご案内いたしましょう、お姫様」
ベナスー先生はそう優しく微笑むと、わたくしの額に軽く口づけをして大空高く舞い上がったのでした。
***********************
この日から数ヶ月後。
一つの王国が歴史から消え、魔法使いの伝説に新たなページが追加されたのでした。
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今後の参考とさせていただきます