第八十二話 最後の穴篇
「ガゥッ! ガゥッ!」
ミカはその大きな口で、館の周辺に生い茂った茨の枝を食いちぎっていた。密集して塊のようになった棘ある枝を、齧っては捨て、齧っては捨てる。ミカの後ろに吸血鬼がついて、捨てられた枝を回収していった。
「ワォゥーーーーーーー!!!」
館をぐるりと一周回った後、最後にミカが遠吠えをした。これは仕事完了の合図だ。館の壁を貫ける範囲に、もう茨の枝はない。森はまだ館への接近を続けているが、これでしばらくは問題ないだろう。
吸血鬼はミカよりも大分遅れて館を一周していた。高性能芝刈り機のごとく森を伐採していくミカからは少し距離をとらなければならなかったし、何を隠そう、捨てられた枝を拾うという動作は思ったより腰にクるのである。ミカの遠吠えを聞いた頃、彼は館のちょうど裏側を歩いていた。館の中央に差し掛かった時、膝くらいの高さに空いた壁の穴からエリザベスが顔を覗かせて、バッチリと目が合う。
「あ」
「あ゛」
エリザベスは吸血鬼を認めると、両目をかっぴらいて館の表側を指差した。
「も゛のずんごいでずわ」
「ミカかい?」
「わだぐじ、ごのよゔな穴がら間近で見でおりまじだの。戦車が前を通っだのがど思いまじだわ」
「完全にブルドーザーだったもんね」
「枝が次々に伐採ざれる爽快感。壁の穴がら枝が、ヒュンヒュンどいう風に引っ込んで行きまずのよ。角栓抜きのようでじだわ、わだぐじにば永らくご縁がありまぜんでしだけれど」
「ああー、アレ系の動画って一部界隈に人気あるよね」
「ずっど見でいだがったのでずが、飛んできだ枝が目に刺さりぞうだっだので辞めまじだわ」
「賢明だ。それで、壁の修繕はどこまで終わったんだい?」
ミカやセレーンが壊したドア、家具などを修理するのは、エリザベスの役割だった。元は貴族の奥様であったことを考えれば、信じられないほどに手際がいい。
「粗方でずわ」
エリザベスは吸血鬼に三冊の本を手渡した。バラバラに見ると分かりにくいが、三冊並べて小口を見ると、ちょうど円を描くようにへこんで、ページがぐしゃぐしゃになっている。
「本棚を枝が貫いておりまじだ」
「げっ、うわまじかよ最悪だな……」
吸血鬼の午後は、本の修繕に時間を取られることだろう。
「大広間の壁も、ごの穴で最後でずわ。ごれが終わっだらミカの毛皮を撫でざぜでもらう予定なのでず」
吸血鬼は、本の傷み具合をチェックしながら言う。
「君、今朝も投げ飛ばしていたじゃないか」
「最初に狼の姿で現れた時はどうじだものかど思いまじだが……申し訳ないごどをしましだわ。上手く気絶ざぜられながったので」
「レディ・エリザベス?」
「ミカが自由に変身できるようになっだのなら、百人力でずわ!」
「あれ?」
吸血鬼は呆れたようにエリザベスを振り返り、ふと彼女の左隣にある大きな穴に気がついた。
「レディ、まだ塞がっていない穴があるよ」
「え?」
エリザベスは吸血鬼の視線を追って左側を見たが、心外だというように首を振る。
「ぞっちにはもう穴はございまぜん。全てチェックいだしまじだもの」
「ちょっと出て見てみてよ。ああ、もしかしたら、大広間の外かなぁ」
「廊下の壁は先に直じまじた」
「じゃあ食糧庫? いやあそこはそんなに広くないぞ」
その時、ミカが人間の姿で館の裏へ回ってきた。遠吠えからしばらく時間があったのは、服を着るためだろう。
「姉さん、終わりそっすか」
「ミカぁ、彼がまだぞこに穴があるどいうのでず」
「……あるっすね」
「ありまずの?」
「あるって言っているじゃないか」
ミカは、吸血鬼が指す穴を覗いてみることにした。外の様子が気になるようで、エリザベスがまだ修理していない穴を潜って出てくる。
「穴が広がるじゃないか」
「引っかかってもいまぜんごどよ」
ミカは少し背伸びをして穴の中を覗き込んだ。人狼であるミカの目は夜目がきき、無人で灯がついていない部屋の中の様子も、しっかりと確認することができる。
「ん〜?」
「どうだい、ミカ。食糧庫かい?」
「食糧庫じゃあ、ないっすね」
「廊下じゃありまぜんごどよね」
「どっかの部屋の中っすけど……あれ? 俺、この部屋見たことないっすね?」
「見たことない部屋?」
吸血鬼とエリザベス、ミカは顔を見合わせた。
「まだ開けてない部屋があったかな」
「大広間を開放した今、残す部屋などないはずでずわ。使っでいない部屋なら沢山ありまずげれど……」
「使ってない部屋って、二階の物置とか、使用人室とかでしょ。使ってなくても、入ったことはありますから」
エリザベスはミカの横から穴を覗き込もうとするが、ミカのようには上手く暗い部屋を判別できない。
「何が置いでありまずの……?」
「えっと、大きいテーブルが真ん中にあって、壁側に、椅子? が、いくつも置いてあります」
「……物置でずがじら」
エリザベスとミカは、やはり首を傾げる。その様子を見ていた吸血鬼は頭に手をやり、「どのみち、行ってみるしかないね。壁の穴を放置するわけにもいかない」と言った。




