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第八話 タオルで脱水はだるい篇――その一

「な、な、なんすか腕ーーーー!!!!」


 人魚の手中のものを指さして、青年が叫んだ。その声にハッとなった人魚が、水の中を上に昇っていく。青年は水槽のガラスに張り付くほど近づいて、人魚の尾を見上げてまた叫んだ。


「姉さんに何やってんすか腕!!!」

「落ち着いて。何やってんすか人魚さん、でしょう」

「ぷはッ!! 違うの!!!! 違うの!!!! 拾ってきたの!!!!」


 ぱしゃんと水面が鳴って、人魚の声がガラスを通さないクリアさで聞こえた。青年は水槽横の階段を駆け上がり、目隠し壁の裏側に回る。吸血鬼も後に続いた。


「……っ、姉さん!」


 大水槽は、表から見るよりも実際の奥行がなく、開口部は平べったい長方形をしている。左手の壁から金網の足場が細く張り出しており、そこに手をかける形で水から顔を出していた人魚が、青年の声に振り返った。彼女の両手のすぐ傍には、濡れそぼった継ぎ接ぎだらけの腕が並べられている。そして人魚より奥に、その腕の持ち主は、金網の上でペタンと座り込んでいた。


「姉さん、何があったんすか?」

「うああ」

「大丈夫じゃないっすよ~! 腕、取れちゃったんすか? 痛くないんすか~!?」


 青年は慎重に腕を拾って胸に抱えた。死んだ人間の腕だ、水を吸ってぶよぶよとしている。人魚の手をよけてゾンビ嬢に近づき、様子を窺えば、健気で丈夫な彼女は上半身全体を使って大きく頷いてみせる。肩口に残された空っぽの袖が反動で揺れるのを見て、青年はゾンビ嬢にすがりつき泣き崩れた。


「今本当ならガッツポーズしたかったっすよね~~~~!!! わかります~~~~! 伝わったっすよ~~~~~!!!!!」

「うああ」

「うわ、無理しないで! 笑顔とかいいっすから! 痛がっていいんすよ~~!」


 ゾンビだから痛くないとか、死後硬直で表情筋死んでるから笑顔じゃないとか、そんな突っ込みをする人は、この場にはいなかった。吸血鬼も人魚も、概ね青年と同じ心境でゾンビ嬢の痛々しい様を見守っており、肩から先を失くした当人だけが、ケロリとして座っていた。

 とはいえ、このままでは何も進まない。吸血鬼は努めて冷静に口を開いた。


「人魚さん、何があったんです?」

「わたし、〈うごくシャワー水槽号〉と、こっちのおっきい水槽を移動するときは、いつもゾンビちゃんに抱っこしてもらってるの。でもさっきね、わたしを水槽の中に落とすときにね、たまたまゾンビちゃんの手が滑っちゃって、そしたら、その拍子に腕が取れちゃって~!」

「それで、そのまま腕だけ水槽の中に沈んでいった感じですか」

「そう! そうなの! だからわたし、がんばって拾ってきたの! わたしが引きちぎったんじゃないんだから!」

「わかってますよ」


 たどたどしい説明を聞き終わって、吸血鬼は一つ、大きく頷いた。青年の騒ぐ声が大きいが、人魚も十分に泣きそうな様子である。自分を抱えたせいで友達の腕が取れたのだ、怖かっただろうし、何より、責任を感じているだろう。天真爛漫な彼女は、そういう感情に不慣れなはずだった。吸血鬼は不敵に金髪を掻き揚げてみせ、笑顔を作る。


「君、その腕を渡してもらえるかい?」

「え? はい……」

「よろしい。では、バスルームに行ってタオルをもってきてくれるかな? できるだけ沢山、吸水性のいいやつがいいな。それと、ドライヤーも」

「は、はい! え、姉さんの腕って、乾かせばくっつくんですか?」

「ゾンビの体はバラバラになってもくっつくのが定番だよ」

「ていば……」

「いいから早く!」

「……いや、わかりました! タオルと、ドライヤーですよね、すぐ持ってきます!」

「そう、沢山のタオルだよ」


 吸血鬼が少し退いてスペースを作ってやれば、青年は彼を通り過ぎて勢いよく階段を下りていく。ダッシュする背中を見送ると、吸血鬼は静かに足場を進んで、ゾンビ嬢に寄り添った。


「さあレディ、立てるかな? 両腕がないとバランスを崩しやすいから、気を付けてね」

「うああ」


 ゾンビ嬢を支えて、横歩きで階段に向かう。片手にまとめて持った腕は柔らかく、つぶさないように気をつけねばならなかった。下に降り始める直前、人魚が波音も立てずに近づいてきて吸血鬼を見上げる。


「ゾンビちゃん、本当に治せるの?」

「うん、私に任せなさい」


§


「ドライヤーで乾かすには、この腕は水を吸いすぎているからね。先に、タオルドライしておかなければならないんだよ」

「タオルドライ」

「脱水だよ。デリケートな服を手洗いした後に、こんな作業をするでしょう?」

「俺洗濯しないんで……」

「私がしてるものね」


 サロンの隅に設置されたソファーセットに、男たちは、ローテーブルを挟んで向き合う形で座った。青年が持ってきた大量のタオルは、吸血鬼の隣に山を作っている。タキシードの上着を脱いで腕まくりをした彼は、その山の中から二枚ほど取って重ね、ローテーブルに広げた。その上にゾンビ嬢の腕を慎重に置いて、また別のタオルをかける。乾いたタオルにサンドされた腕を、一本ずつ象るように、タオルの上から優しく握っていく。


 青年はその様子を、向かい側から恐々と見ていた。バスルームから持ってきたドライヤーをぎゅっと抱きしめて、上目遣いに吸血鬼の手つきを見守る。


「……うわぁ……つぶさないでください………?」

「つぶさないように、こういう方法をとっているんだよ。服を脱水するときは、バスタオルに挟んで、上から手のひらで叩くようにすればいいんだけどね」

「それやると、つぶれますね!」

「そう。また、タオルで包んで握りこもうにも、持ち方によってはグニャリといっちゃいそうだったから。机に寝かせたまま、根気強く水分をとっていくのが一番だと思ったよ」

「確かに……」

「ほら、タオル交換だ」

「はい、濡れた方は引き取りますね」


 作業を進めながら、吸血鬼は口元をほころばせる。


「タオルごしに指を一つ一つ抑えていく感覚……この感触には覚えがあるよ。あれは懐かしい、大昔、牧場の乳しぼり体験に行ったとき。牛の乳の柔らかさだ」

「なんでそんなこと言うんすか」

「抑えると水分が出てくるあたりとか、まさにそれだ」

「なんでそんなこと言うんすか。ていうか、乳しぼり体験なんてできるとこあるんすね」

「青年にはあまり馴染みのない文化だったかな? それは失礼したね」

「別にいいっすけど。あんた、出身はどこのあたりなんすか」

「君こそ、生まれが気になるがね」

「だから、覚えてないって言ってんでしょ」

「ふうむ、不思議な問題だね」


 ふと、吸血鬼は顔を上げて辺りを見回した。ミーアキャットのような感じ。青年は首をかしげてみせる。


「どうかしたんすか?」

「いや、レディ・アンデッドはいつからここにいなかったかと思ってね」

「ああ、ちょっと前に。ほら、あんたのちょうど真後ろですよ。水槽の前」

「え?」


 手を止めて振り返れば、大水槽の前に椅子を置いて、静かに座っているゾンビ嬢の背中が見えた。ガラスの向こうには人魚がいて、お互いに向かい合っている。水中にいる上、小声でしゃべっているようで、会話の内容は聞こえない。人魚の表情も、ゾンビ嬢に隠れて見えなかった。しかし、ゾンビ嬢の方からは哀しげな様子がよく見て取れた。顔こそ見えないものの、背中がしょんぼりと丸まっている。


「おや……、やっぱり両腕がないことが堪えてきたのかな?」

「いやそれが、姉さんったら、この前も人魚さんを運んでる時に手を滑らせて落としたの思い出したみたいで。今、反省中みたいっすよ」

「ああ、それで人魚さんが慰めてるんだね……」


 合点がいったと頷きながら姿勢を戻す。その時、吸血鬼は、青年が耳に手を添えていることに気付いた。そうか、この子にはあの二人の会話が聞こえるんだ。だから、レディの心情を察したのか。本当に耳がいいね。やっぱり、狼の耳なのかなぁ。


「レディ・アンデッドと人魚さんが仲良くしてくれててうれしいね。人魚さんも、レディの腕が取れて随分心配していたようだから。お互いを大事にできる友人がいるのはいいことだね」

「だれ目線なんすか、年寄りくさいっすね」

「けれど」

「けれど?」

「今回ばかりは、人魚さんにだけ自責させるのも忍びないと思っているところだよ……。正直、思うんだよね。レディには、普段から力仕事を任せすぎていたんじゃないかって。彼女、一応死体だからさ……。脆い体に重労働のダメージが蓄積して、腕が取れやすくなっていたんじゃないかと思って」

「……そうだったら、どうしましょうかねぇ……」

「多分、これからも頼むもんねぇ……」

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