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第七十二話 どきどきレッツクッキング篇

「吸血鬼さん」


 ミカは吸血鬼の隣に走り、手の中の一匹のために地面を掘り始めた。


「俺も手伝います」

「構わない、私がやろう。汚れるだろう。その子をこっちに」

「でも……」


 一言、反論しかけたミカだったが、吸血鬼の両手が既にミカの手元まで伸びてきていて、抗いようもなかった。そのまま、ミカは素直にもコウモリを渡してしまい、作業が再開された吸血鬼の手元を訳もなく眺めるしかない。


「……あの、大丈夫すか」

「仕方がないことだ。こっちより君、夕飯の支度をしてくれないか。キッチンに食材が沢山あるから、好きなものを作るといい」

「夕飯? 料理っすか?」

「レディと一緒に、簡単なものならできるだろう?」

「簡単なもの」

「ああ」


 ミカは吸血鬼の真っ直ぐな目を見つめ返しながら、コクンと頷いた。彼の頭の中には二筋の川が流れている。要はこういうことだ――簡単なもの? え、簡単な料理って何? まず料理って何? ――姉さんが居るから大丈夫か。


 ミカは再び深く頷いて、吸血鬼に了解の意を示す。土で汚れた手をはたいて、エリザベスが待つはずの館に戻った。


 ミカと吸血鬼が森に入ってからというもの、エリザベスはずっと館の玄関ポーチの上に立ち、なかなか戻ってこない二人を不安ながらも待っていた。茨の森は館を侵食せんばかりに接近していて、網目状に絡まりあった枝の密度は、以前よりも明らかに増している。ミカたちは森の中で土を掘れる場所を探しているうちにどんどん奥に行ってしまったようで、彼らの姿は茨の陰に隠れて見えなくなってしまった。そこへ、ミカ一人がトボトボと戻ってくるのに気付くや、エリザベスは大慌てで駆け寄り、ミカの肩を抱きよせた。


「奴はどうなりまじだが!?」


 しかし、ミカはその質問には答える素振りを見せず、肩に置かれたエリザべスの手をなぜか強い力で握り返して言った。


「簡単なものでいいんです、姉さん」


§


 厨房に移動してきた二人は、中央の作業台の上に所狭しと並べられた雑多な食材たちを見て、顔を青ざめさせた。


「どうしよう、何から何が作れるのかさっぱりわからない」

「ゔ~ん……」


 適当に人参を手に取ってみたミカの後ろで、エリザベスが腕組みして呻いた。ミカは全くと言っていいほど料理の経験がないようだが、それはエリザベスも同じだった。いつも自分たちの面倒を見てくれる吸血鬼のため手伝いを申し出ることもあるが、何分ゾンビである以上、水にぬれたくないもので、洗われた皿を拭くとか、料理の配膳とか、オーブンからキッシュを取り出すとか。生前は言わずもがなである、貴族夫人であったので。

 その時、ミカがあっけらかんと言った。


「まあ多分、何でも焼いたら食えると思うんすよ。肉とか、切って焼いたらいいと思うんすよね」


 切って焼く、という言葉に、エリザベスはハッとして震えあがった。


「ミカ、あなた、切って焼くんでずの!?」

「切って焼きますよ。姉さんが嫌なら俺が全部やるっすよ!」

「な、なぜぞんな酷いごとをずるものでずか!! 自分がやりだぐないごどは、ミカにだっでやっで欲しぐありまぜん!」

「でも、どうにかして夕飯の準備をしないと……吸血鬼さんはあの調子なんすよ」

「そうじゃないのでず! 切って焼くどいうのは……」


 エリザベスの脳内に、ありし日の厨房の様子がまざまざと蘇ってきた。そう、元はといえば料理など、決して美しいものではないのである。市場で買ってきた肉は生臭く、下働きの者が長いナイフで切り刻み、作業台には血が飛び散るのだ。時には主人が狩猟で狩ってきた動物の皮を剥ぐところから始めたりもする。作業のおどろおどろしさは、エリザベスの母が嵌っていたような拷問と変わらないことを、十六世紀生粋の貴族であったエリザベスは知っていた。

 そんな作業を、あろうことかミカにやらせるなんて!


「いい考えがありまずわ」


 ついにエリザベスは、包丁を探してうろうろと動きまわるミカの肩を掴んだ。


「包丁は使わずに料理じまずの」

「えッ」


 ミカが息を呑む。


「でも見てください姉さん。人参は丸ごと、皮つきでここにあるんすよ。包丁なしでどうするんすか?」

「ミカ、人参は一度置くのでず。これを見なざい。レタスでず」

「ああ!」


ミカが目を輝かせて、まだ土がついた丸ごとのレタスを受け取った。


「これなら手でちぎれますね」

「野菜は、何も固いものにこだわる必要はないんでずわ。包丁を使わずにできる、サラダにすればよいのでず」

「となると、レタス、キャベツ、……何物かわからない葉っぱ……」

「まだありまずわ。トマトでず。そのまま齧ることがでぎまず」


  二人は作業台の端に、使えそうな食材をコトリ、コトリと並べていった。一通り選んだところで、ラインナップのあまりのヘルシーさにミカが呻いた。


「やっぱメインディッシュがいるんじゃないすかね! 肉を焼くなら、まずは……」

「包丁は使わず、ちぎればいいんでずわ!」

「無理っすよ! 肉をさばくのに包丁は必須でしょ!」


 エリザベスは顔をしかめ、何か策はないかと食材の山に視線を巡らせた。そして天啓を受けた彼女は、ミカの目の前にそれを差し出す。

それというのは、ラップに包まれたブロック肉であった。

ミカが目を丸くする。


「姉さん、この肉、既にさばかれてるっす!」

「ぞう」


 エリザベスは満足げに微笑んで、食材の山の中からバジルの葉を探し出し、ブロック肉の上に被せてみせた。


「不可能はないんでずのよ」


§


 コウモリを埋め終えた吸血鬼は、ようやっと冷静な判断ができるようになっていた。土で汚れてしまったズボンを見て、せめて下だけでも着替えてくるんだったと後悔しながら茨の森を出る。一度部屋に戻らなければ、このままの恰好で厨房に入るわけにはいかない。そう、目下吸血鬼が気にしているのは、あの二人が料理なぞできるのかという疑念であった。


 ミカとエリザベスが料理をしたことがないこと、それは吸血鬼もよく知っているはずだった。何せ、館のキッチンは吸血鬼自身が完全に牛耳っていて、あの二人に何か一品でも食べ物を用意させたことなんてなかったのだ。「簡単なものでいいから」なんて抽象的な指示、通るわけがなかった。完全に吸血鬼の判断ミスである。

 夕飯と称して何が出てこようが怒る気はないが、心配なのは果たして、食材を無駄使いしていないだろうかという点だ。コウモリたちが全滅してしまった、そのこと自体の悲しみに気を取られていたが、それはすなわち、吸血鬼が彼らに任せていた細かな仕事の担い手がいなくなったということでもあるのだ。まず直面するのは、食糧問題である。

 茨の枝の狭い隙間を潜り抜けて外へ買い物に行ける者たちがいなくなってしまったのは、非常に深刻な問題だった。今ある食材は大切に使わなければ、すぐに尽きてミカが飢えてしまう。もし、今、吸血鬼が無理を言ったせいで何度も料理に失敗していたり、分量がわからずに大量の小麦粉を使っていたりしたら、自ら首を絞めるはめになってしまう。


 着替え終えた吸血鬼は、急いで厨房に顔を出した。


「すまない、私が後を引き継ごう……おや? もう料理を終えたのかい?」


 吸血鬼が驚いたのは、作業台の上に上体を突っ伏したミカと、項垂れて椅子に座るエリザベスの姿を見たからだった。吸血鬼の声が聞こえると、ミカが起き上がり、「ああ、吸血鬼さ~ん」と片手を挙げる。

 厨房の釜戸の火は既に消えていて、料理に使ったであろうフライパンは洗われて流しの傍に干されていた。余った食材は全て無造作に冷蔵されていたので、ひとまず根菜類を取り出して戸棚に仕舞いなおす。


「へえ、片付けまでしてくれたんだね。なかなか手際がいいじゃないか。どれ、夕飯はそのクローシュの中かい?」


作業台の傍らにはワゴンがあり、そのワゴンの一番上には銀色のクローシュが乗っていた。吸血鬼はそれに向かって笑顔で手を伸ばしたが、そこで何やら、「ああ、待って!」とミカの制止が入る。


「吸血鬼さん! テーブルまで持って行くから、そこで見て!」


気づけばワゴンの方も、エリザベスにさっと動かされて遠ざけられていた。二人が並んで大食堂に促してくるのに抗えず、後ろ髪を引かれながら言われた通りに移動する。


「ええ? 何だっていうんだい。別に見せてくれたっていいじゃないか、何もここで食べようってわけじゃないのに」

「いいから! 夕飯の準備を完璧に整えてからのお楽しみなんすよ。俺たち、今までに見たことないような新メニューを開発したので!」


 「今までに見たことないような新メニュー」。その言葉に怪しげな響きを感じた吸血鬼は、厨房から大食堂に続く戸をくぐった辺りで「ちょっと待った」と振り返った。しかし時既に遅し、ドアは強引に閉められている。さらには、すぐに配膳にかかるだろうに、丁寧に鍵まで掛けられてしまった。


 ぴったりと耳をドアにつけて聞き耳を立てた向こう側から、


「食卓につけりゃあ、こっちのもんでずがらね」


というコソコソとした会話が聞こえた。


§


「じゃーん、まるごと肉の葉っぱ添え~まるごとトマトと共に~です」


 果たして、ダイニングテーブルに運ばれてきたクローシュの中には、まるで何も手を入れていない、生のブロック肉が入っていた。辞典を二つ重ねたような分厚さの肉が、そのままの大きさで皿に乗せられている。肉の上には何を思ったか、バジルとローリエがちぎって乗せられていて、その盛り付けの拙さといったら、土とどんぐりでままごとをする子供よりも、実際の食材を使う分だけ性質が悪い。付け合わせは、ちぎったレタスとキャベツに加え、辛うじてヘタだけは取られたトマトである。


「包丁の場所わからなかった?」

「なんか、姉さんが、包丁では切らない方がいいって」

「ああ」


 確かに、料理初心者に無暗に刃物を使わせるのはいただけないかもしれない。だからってブロック肉を丸ごと使わないでほしかった。


 ちなみに、こういった悲惨な夕飯セットが、ミカの分とエリザベスの分、合わせて三つテーブルに揃ってしまっている。ミカだけは唯一生肉ではなくて、ブロック肉を六面ともこんがり焼き上げているようだが、まあ、これだけ分厚い肉を使ったならおそらく中は生のままだろう。スーパーレアである。

 もし一つのブロック肉を三人で切り分けていたなら、相当分厚いステーキにしても三食分は取れていただろう。懸念は当たっていたわけだ。だが、吸血鬼は誰にも文句を言う気になれなかった。丸ごとブロック肉を見れば見るほど、これはミカとエリザベスなりに、失敗しないように考え抜いた苦肉の策だと感じるからである。


 迷った末に、吸血鬼は付け合わせのパンをもぞもぞと口に運んだ。


 パン?


 夕飯を用意し、配膳までしておきながら、ミカとエリザベスは今、吸血鬼の食事姿を見て初めて気が付いたように顔を見合わせた。

 そうだ、夕飯を用意する=料理をする=切って焼くというイメージが先行していたせいで気が回らなかったが、基本的に人間の食事というのは、主菜がなくとも主食だけで腹を満たせる。

 

 パンあるじゃん。


 パンだけでよかったじゃん。

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