第七十一話 堅牢な檻篇
息絶えた黒い小動物たちは、玄関ホールを埋め尽くさんばかりの数、赤い絨毯がまだら模様に変わったかのように見える。小さなコウモリを一匹一匹拾い集める吸血鬼を、ミカとエリザベスはホールと厨房を繋ぐ廊下の入り口辺りから、遠巻きに見守った。
「吸血鬼さんのコウモリって、こんな数いたんすね」
「全匹一堂に会じだどごろは見たごどがございまぜんでじだわ。彼のコウモリだちは、館や森の至る所に点在じで、警備兵のような役割を担っておりまじだがら」
ミカとエリザベスは、吸血鬼の行動から目を離さないまま、互いに隣へ話しかけた。二人の口は前を向いていて、会話の内容は吸血鬼にも聞こえていたはずだったが、コウモリたちを一匹ずつ拾っては撫でて、目に悲しみを浮かべる吸血鬼が、会話に参加してくることはなかった。
「コウモリたちに何があったんでしょう。俺たちはずっとサロンで話していただけだし、悪いこととか何もしてない。何も触ってない。誰が急にこんなこと」
「館の日記を読んだ代償、とかがもじれまぜんわ」
「それなら、もっと早くに何か起こるもんじゃないっすか?」
「或いは、大広間を開いた時に何か毒素がばら撒かれでいで、コウモリだちは時間をがけて弱っでいっだどか」
「それなら、俺たちも只じゃ済みませんよ」
エリザベスはミカの顔を見合わせ、それから一度視線を逸らして首を傾げた後、再びミカの方を向いて言った。
「わだぐじはゾンビでずがら」
「でも俺は、その、まだ、生きてるっすから」
ミカのその返答に、エリザベスは小さな違和感を覚えた。こういう時、いつものミカなら「でも俺は人間っすから」と言いそうなのに、と思ったのだ。ただ、ミカは最近、一度記憶を失くしている。エリザベスが思う「いつものミカ」というのが、今の彼にどれほど当てはまるのかはわからない。ミカの記憶が戻るように様々な努力をしたエリザベスたちだったが、そもそもそのために探し当てたはずの『ミカの日記』は読めず仕舞いで、未だミカは万全の状態に戻れていない。
だから、エリザベスはあまり直球な表現にならないよう遠慮しながら、ミカに感じた小さな違和感を伝えた。
「ミカ。何かございまじだの?」
すると、ミカは少しだけ俯き、エリザベスの視線から露骨に逃れて答えた。
「いや、まだわかんないっす。あ、姉さん。吸血鬼さんが外に出ます」
吸血鬼は腕にコウモリたちを一杯に抱えて、腕の背で体重をかけ、玄関扉を押し開けようと四苦八苦していた。ミカはその隣に走っていき、すかさず扉に片手を押し当て、吸血鬼と一緒に外へ出る。ミカの反対側の手には、先ほどからずっと一匹のコウモリの死骸が大事に乗せられたままだったのだ。
「すまないね、ミカ。こういう手が使えない時も、本当だったら……」
「別に言わなくていいっすよ、そういうこと」
軽口を叩きたかったのだろう、けれど実際に聞こえた吸血鬼の声の弱々しさに、ミカも吸血鬼自身さえも内心で驚いた。悲しみで窶れ小さく発された声ではない。いつも通りに発そうとしたものの乾燥した喉が言うことを訊かなかったというような、腹から出た掠れ声だ。
吸血鬼はコウモリたちの死骸を土に埋めるため、外に出たはずだった。吸血鬼の意図は、その場にいた全員が迷いようもなく汲み取った。だからこそかもしれないが、館の外には既に、掘り起こせるような土の場所がなくなっていた。
吸血鬼が驚きに音を立てて息を吸った。それから、なかなか吐き出す音が聞こえないのは、失意の表れだとミカは思った。
ミカは、吸血鬼にその事実を突きつけることを止めて、二人の背後から外を覗こうとしているエリザベスのために、視界を開けるように扉を押し開いてみせた。
「姉さん、外の茨って、前はこんなに近くなかったっすよね!?」
外の様子を目の当たりにしたエリザベスが目を見開き、「う……が……」と唸り声を上げる。
「もちろんでずわ! 茨がポーチのギリギリにまで迫ってぎでいだなんで、絶対にあり得まぜん! 一目瞭然でず!」
吸血鬼はミカとエリザベスによる喧騒から逃れるように歩いて、玄関ポーチの短い階段を、ゆっくりゆっくり降りていった。それから、網目状に絡まりあった棘だらけの枝――以前よりも館に近く、まるで壁に密着したいかのような、いかにも堅牢な檻のような――の間を腰を折々潜り抜け、その根元に僅かに見える地面を見つけては、そこへ小さなコウモリたちを丁寧に埋めていった。




